■侵略の定義 2005/10/15
自民党が8月に発表した新憲法草案「第1次案」の9条の改正案では自衛軍の保持について、以下のように記載しています。
第九条の二 侵略から我が国を防衛し、国家の平和および独立並びに国民の安全を確保するため、自衛軍を保持する。
侵略とは、辞書にあるように、「ある国が武力を行使して、他国の主権・領土・政治的独立を侵すこと。」として定義されるとした場合、次の設問に対して、自民党新憲法起草委員会の方はどのような回答するだろうかという疑問が起こります。
設問、「過去100年間において、東アジアで侵略戦争をした国はどこか。」
日本以外の国の人々は、即座に「それは日本、それ以外にはない。」と答えるでしょう。
過半数以上の日本人は、即座に回答できず、「日本は侵略戦争をしました。 しかし、それは自衛のための戦争でもあり、植民地解放戦争でもあった。」とためらいがちに答えるでしょう。
第二次世界大戦後、中国、朝鮮、ベトナムで起こった戦争は自国の領土内でのイデオロギー対立の戦争であり、侵略戦争とは言えないと思います。
日本の歴史を見ると、真珠湾攻撃の理由は、7ヶ月後に石油備蓄が消滅し、全艦隊が碇泊港で錆付くまでの制限時間だった。
満州攻撃の理由は、東洋と西洋の最終戦争を予見し、その戦争が各国民総動員の凄惨なものになることを歴史の必然性として予感し、科学技術の発達がもたらす恐怖の決戦戦争の中で、自国が生き延びるための必要最低限の資源確保だった。
これらの攻撃の立案者にとっては、生き延びるために必要な最低限の攻撃であった。死に物狂いで戦った人々のために涙が流れ、とても侵略戦争をした好戦的な人々とは思えません。
太平洋の島々では全部隊が玉砕し、硫黄島では逃れられない運命の中で、祖国防衛のために過酷な戦いの中でほぼ全員が死んだ。それらの人々にとって、その戦いが侵略戦争として有罪となった極東軍事裁判の判決はとても受け入れがたいものでしょう。
過半数の日本人が大東亜戦争を侵略戦争とのみみなすことはできないにもかかわらず、「侵略から我が国を防衛し、・・・」という文言は、東アジアにおいて、過去侵略があり、将来においてもあることを前提としていると思います。 侵略という歴史的評価および定義が定まっていない事象を憲法の中に書き込むのは、人々を間違った判断に導く可能性があります。
現行の9条では国権の発動たる戦争を放棄すると記載しており、侵略戦争を放棄するとは書いていません。以前にも書きましたが英語表現では、国の最高の権利としての戦争を放棄するのであり、日本の過去の戦争が侵略戦争であったと判断しているような表現ではありません。太平洋戦争を戦った日本人が戦争を名誉ある放棄するという表現です。