硫黄島守備隊 2005/08/05
硫黄島守備隊海軍部隊最高指揮官 市丸利之助少将が最後の総攻撃前に書き上げた米国大統領「ルーズベルトニ与フル書」は、ハワイ出身の部下に英訳をさせて、その書簡を最初に発見した米国人にその重要性がすぐにわかるようにしていました。書簡を託された通信参謀はその後戦死し、その腹巻の中から書簡は発見され、4月4日に米本国に打電されました。その内容が米国指導者の戦争責任を指摘しているために米海軍当局が公表を差し止めていましたが、昭和20年7月に米国各紙に取り上げられました。
日本海軍市丸海軍少将書を「フランクリン ルーズベルト」君に致す。我今我が戦ひを終るに当り一言貴下に告ぐる所あらんとす。・・・
から始まり、凡そ世界を以て強者の独専となさんとせば永久に闘争を繰り返し遂に世界人類に安寧幸福の日なからん。・・・
If only the brute force decides the ruler
of the world, fighting will everlastingly
be repeated, and never will the world know peace nor happiness.
で結ばれています。
この書簡は、日本軍が硫黄島およびその他の太平洋の戦場でこれほどに激しく戦うのは、権利としての戦争をしているのではなく、ペリー来航以来、絶対に植民地にならない、東洋のものを東洋に帰すための義務としての戦争をしているということを示してます。そして米国が従来と同様に植民地主義である権利としての戦争をしているのであれば、正義は日本にあると主張していると思います。この書簡の重要性は、米国が今次大戦に勝利を収めようとしているが、それは義務としての戦争であり、権利としての戦争ではなかったことを証明することを要請しているということです。また、それは硫黄島で死んで行った沢山の両軍の兵士の魂の祈りのようにも思えます。
権利としての戦争は王位継承権、領土の割譲、賠償金の請求、権益の確保を要求するものです。
戦後、日本を占領した米国は上記いずれも要求しませんでした。市丸少将の指摘を完全に証明して、米国は権利としての戦争ではなく、義務としての戦争をしたことを示すとともに日本の復興を助けてくれました。沖縄が返還されたとき、当時の佐藤首相は戦争で失った領土の平和的外交交渉による返還が評価されてノーベル平和賞を受賞しましたが、むしろ権利としての戦争をしなかった米国大統領がふさわしいとも言えるし、返還されないと正義は日本にあったことになると市丸少将の書簡で示唆されていたことにもなります。
日本国憲法に権利としての戦争を放棄することが明記されましたが、憲法に記載されていなくても、第二次世界大戦以後、権利としての戦争をした国はほとんどありません。イラクのフセイン大統領が、クエートはかってイラク領土だったと主張してクエートに侵攻しましたが、約30カ国が多国籍軍を編成してイラク軍を攻撃しました。権利としての戦争に対して義務としての戦争で応えたということになります。
「9条2項を改正し、自衛のための武力組織を「自衛軍」と名付け、軍隊であることを明確に位置づけた。」という自民党新憲法起草委員会が、多国籍軍への参加やテロとの戦争を目指しているのであれば、それは義務としての戦争あるいは義務としての防衛であり、憲法9条とは関連がなく、9条2項を変更する必要はないと思います。自衛軍という名称が2項の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」に抵触すると感じているのでしょうか。
義務としての戦争、義務としての防衛というのは国以上の存在、国連や人類のためになされる戦争や防衛になるので、自衛隊では名称として適しないと考えているのかもしれません。その意味では自衛軍より防衛軍という名称がより適切です。陸上防衛軍、海上防衛軍、航空防衛軍という名称であれば、義務としての戦争、義務としての防衛を任務とするということがわかりやすいと思います。
繰り返しますが、防衛軍を創設し、義務としての戦争、義務としての防衛、権利としての防衛を任務とするのであれば、憲法9条に関連がなく、今でも実行できることです。今、自衛隊が保持している防衛力を継続保持するとともに国連平和維持軍への参加や今後できる可能性のある地球防衛軍への参加も視野に入れることができます。