■国際平和と恒久平和     2005/07/06

深い洞察に導いていただき、ありがとうございます。

9条の精神を現実に生かすことは本当に大切なことだと考えています。そしてそれは制定されてから
60年近く現実に生かされて来たとも感じています。

私自身は絶対平和主義でも平和主義でもありませんが、9条の文言をそのまま変更すべきではない
思っています。いわゆる護憲でも改憲でもなく、護憲的改憲論でもありません。このままでは「自衛
のための戦争」もできないと感じて不安な人はその記載を憲法に盛り込めばいいと思うし、「自衛の
ための戦争」もしてはいけないと思う人は同じように憲法に盛り込めばいいと思います。しかしその
ために9条の文言を変更したり、但し書きを追加すべきではないと思います。9条は国際平和を達成
するために必要かつ十分な条件になっています。「自衛のための戦争」が「義務としての戦争」や「
務としての防衛」、「権利としての防衛」として定義できるのであれば、9条とは関連がなく、別
条にす
べきだと思います。それが「権利としての戦争」を意味するものであれば、9条によって処罰
されるこ
とになります。

「自衛のための戦争」という語句は矛盾を抱えた語句であり、戦争主義、平和主義どちらの用途にも
利用できるものであり、その目的、手段を明確に定義する必要があります。

真珠湾攻撃や満州攻撃の立案者は、その攻撃を「自衛のための戦争」と感じていたと思いますが、
れらは「攻撃は最大の防御である」という命題に従う「権利としての戦争」であり、9条で明確に放
棄されています。

英米仏蘭四国連合艦隊の下関砲撃に対して、長州藩の奇兵隊が防戦しました。これは「義務として
防衛」であり、9条で放棄されていません。但し先に砲撃したのは長州藩であり、領海を侵犯したか
どうかが問題になります。

9条の精神は、「国際平和を誠実に希求して、権利としての戦争を永久に放棄する」ことであり、2

の「交戦権を認めない」と一緒になって恒久平和の思想と結びついたものとは思います。
しかしながら、国際平和は国と国との関係における平和という空間的な概念であり、恒久平和は長い
時間の平和を意味する時間的な概念であり、ニュアンスは違って感じられます。

9条の目的が恒久平和だとすると引用された中江兆民の『三酔人経綸問答』にある絶対平和主義の
統が反映しているものと思います。またそれはおっしゃるように仏教的な要素でもあると思います。
承久の乱のときに、明恵上人が破れた後島羽上皇方の人々を寺に隠して、討伐に来た北条泰時に
次の
ように言って引渡しを拒絶したと伝えられています。
「釈迦如来の昔には鳩に代って全身を鷹の餌とし、また飢えた虎に身を投げたという大慈悲があった

隠し得るならば袖の中にも袈裟の下にも隠して命を助けたい。」

しかし、9条の中に恒久平和という語句はありません。それは法として定義することが難しい概念だ
からかもしれません。同様に絶対平和主義という概念も定義しにくい、そして絶対戦争主義などは存
在もしないと思っていました。しかし以前読んだ本にマグロの稚魚の習性について次のように書かれ
ていたことを思い出しました。「南太平洋で生まれた沢山のマグロの稚魚は、そこにプランクトンな
の栄養分がほとんどないので、すぐに共食いをはじめ、口の大きい稚魚が生き残って成長し、回遊
をして他の食物を摂るようになる」。もしマグロの稚魚が絶対平和主義ならマグロは次の瞬間死滅し
てしまうが、絶対戦争主義によって、次の瞬間半数になり、その次には1/4、1/8・・・、最後まで行って
も一匹は残る。成長したマグロが青森付近の日本海に来て、イカを大量に食べる。そのマグ
ロを一本
釣りの漁師が釣上げ、最も高価のものとして寿司屋に並ぶ。もしかして、私たち全員が絶対
戦争主義
なのだろうかと愕然としました。これは人類の平和とは関連のないものとは思いますが、絶
対平和主義
を定義できるだろうかと考えているときに思い浮かんだものです。気分を害されるかもし
れませんお許し
ください。

老年のカントが書いた「永遠の平和のために」という本があり、それには各民族を個人とみなして、
市民としての権利を与え、国際連合をつくると記載されているようです。それにつけても、何故日本
は国際連盟を脱退したのだろうと残念に思います。それは日本の恒久平和を国際平和よりも優先した
からかもしれません。国際平和と恒久平和は異なる概念であることを銘記すべきと思います。ここで
いう恒久平和はArisanが感じられている絶対平和主義的な意味ではなく、戦争を行う権力やシステム
への抵抗の思想でもなく、政治の理想として使用され、かっての日本軍もよく使用した恒久平和とい
う語句です。恒久平和という語句は法として定義できないので、平和主義にも戦争主義にも利用され
ると思います。東洋と西洋の最終戦争の後、地球上に恒久平和が訪れるという思想によって満州攻撃
をしたのだと思います。9条の目的は正義と秩序に基づく国際平和であり、人類の恒久平和ではあり
ません。

2005/7/7 asahi.comの政治ニュースに以下の記事が掲載されました。
「自民党新憲法起草委員会(委員長・森前首相)は7日、改憲の「要綱案」を発表した。9条2項を
改正し、自衛のための武力組織を「自衛軍」と名付け、軍隊であることを明確に位置づけた。」

自衛軍という名称は矛盾を抱えた名称です。軍は「権利としての戦争」を実行する組織のことを示し
ます。歴史の中で使用された漢字としてそれ以外の意味はありません。征夷大将軍、北支方面軍、関
東軍、南方軍、ビルマ派遣軍、神武東征軍、朝鮮軍、満州軍、陸軍、海軍、これらはすべて「攻撃は
最大の防御である」という「権利としての戦争」を遂行する組織です。軍の前に自衛という漢字をつけて
防衛のみを実行するように装っても9条1項の「権利としての戦争」を放棄するという文言と矛
盾します。
もし自衛軍で想定されている組織の目的、手段が「義務としての戦争」、「義務としての
防衛」、「権利と
しての防衛」として定義できるのであれば、9条2項を変更するのではなく、別条
として追加すべきです。
「自民党新憲法起草委員会」の方々は単に9条2項を誤解していて、これで
は防衛ができなくて不安だ
から変更しようとしているのか、再び真珠湾攻撃や満州攻撃のようなこと
をしたいのだろうかという疑問
が起こります。後者であれば、「平和に対する罪」「殺人と通例の戦
争犯罪」「人道に対する罪」として
再び裁かれると思います。