63.オフィスの女
朝、ヘラのような女に仕事をさっさとやってよと言われた
昼、アフロディテのような女にさっさとやってくれないと困ると言われた
夕、アテネーような女にぐずぐずしないでさっさと決めてよと言われた
オフィスで服を着ているときはさっさと片付けるのが大好きなのに
夜、裸でベットに入ると感じ始めるのがとても遅い
服を着たら羚羊や鹿のように敏感なのに
裸になったら爬虫類のように時間をかける
十人に一人はましな男がいるよ
セックスだって楽しい
十人に一人なら狭き門ではない
命に至る門は狭く、その道は細い
そしてそれを見出す者が少ないとしても、十分の一なら可能性はある
一人のすべてを愛するのと、十人を十分の一づつ愛するのは同じことだとすると
愛と命に至る道は広い
残りの十分の八は単なる環境で、最後の十分の一は憎しみに引き寄せられる
基本的な本能が憎しみに振れるのもその確率は十分の一
朝、昼、夕、憎しみに同期した感受性に会うと夜は調和振動に逃れたい
でも、その立上がり感度は鈍く発振させるのが困難
どこまで祖先に遡れば相手を理解し調和できるのか分からない
三葉虫でも無理だろう
雌雄がある祖先では
雌雄がない原生動物かバクテリアになれば完全に理解出来る
しかし、それでは同一になるので理解という言葉の必要性が失われる
雌雄により対称性が破れているので僕達が存在しているとすると
十分の一、愛の波長が一致していれば幸運
十分の一、憎しみの波長が一致していれば不運
愛の波が来れば、すべてを信じ、すべてを望み
憎しみの波が来れば、すべてを忍び、すべてを耐える
女も男も、神の畑、神の建物、神の宮
十分の一の愛と十分の一の憎しみで、捩れ合ったDNAのように生きて行く
ミス・サイゴンが愛し、憎み、愛の為に命まで捧げたように
オフィスの女にも神の御霊は宿っている