ワットアルンから眺めるバンコク

1987/03/28〜1987/04/13 タ イ
(バンコク、チェンマイ、パタヤ、アユタヤ、サメット島)

チケット

 MS865 成田 バンコク マニラ経由 1600 − 2305
 MS864 バンコク 成田 マニラ経由 0200 − 1205
  秀インターナショナル(HIS)で購入。

ヴィザ

 15日以上の滞在はヴィザが必要ということで、五反田にあるタイ大使館で取得。手数料3,000円

お金

 東洋信託銀行でアメリカンエキスプレスのT/C購入 1ドル150.35円で460ドル(円換算で69,161円)
    横浜銀行でドル現金購入 1ドル152.45円で120ドル(円換算で18,294円)。


3/28(土) 成田 → バンコク

 成田空港駅のバスターミナルでは厳重なチェックがなされていた。14時45分出国。15時25分搭乗。席は窓側。16時離陸。17時頃夕食が出る。20時頃マニラ着。待合室で40分ほど過ごして離陸。しばらくたって今夜2度目の夕食。その後映画を見たが、もうちょっとで終わるというところでバンコクに着いてしまった。カイロ行きのせいか。結末を気にしながらタラップを降りると途端にムッとした熱気に包まれた。空港ビルに向かうバスの中でTシャツにする。入国審査はすぐに終わった。バンコク時間で23時半。寝る所を探し、4階の通路の人目につかない所でザックを枕にして寝た。

宿 ドンムアン空港に野宿


3/29(日) バンコク

 5時頃掃除のおばさんが来たので2階に移り、ヨーロッパ人のヒッピーが2人いる横で寝直す。6時半に空港を出て鉄道のドンムアン駅へ向かった。ファランポーン駅まで5バーツ。駅はホームが片側だけでしかも30センチくらいの高さしかなく、列車には線路を歩いて渡って列車についている階段を使って乗る。約45分でバンコク着。まず売店でバスマップ(35バーツ)を購入。それから銀行を探して両替(1バーツ=約5円)した後、近くの食堂でバミーナーム(10バーツ)とコーラ(8バーツ)の朝食を取り、駅へ戻り明日の列車の予約をした。予約はかなり混んでいて40分ぐらいかかった。しばらく駅で休んでから、歩いてホテルに向かった。大まかな地図しか持っていないうえに街中に英語の表示がないため、道を間違ったりしてかなりかかってしまった。ホテルでしばらく休憩後、歩いて数分のタイ東急へ行き、そこで午後を過ごす。17時半、東急の中のスーパーマーケットでパンと牛乳を買い、ホテルヘ戻ってシャワーを浴びてからそれを食べ、22時半頃寝た。

宿 スターホテル 飛び込みで宿泊 エアコン付きツイン 280バーツ。


水上タクシーから

3/30(月) バンコク → チェンマイ

 はっと目が覚めたら夜中の2時45分だった。この夜に日本から来る友人のN村とは、近くのインターコンチネンタルホテルのロビーで2時15分から3時までの間に待ち合わせる約束になっていた。寝ていた格好のままで外に飛び出し、約束の場所へ走る。外は真夜中だというのにムッとする熱気のまま。5分で着いたが、そこにN村の姿はなかった。時間前にあきらめてどこかのホテルに泊まったのかと思い、ホテルに引き返そうとロビーを出ると、向こうの暗がりの中から荷物を引きながら歩いてくるN村を発見。私がなかなか来ないのでトゥクトゥクでホテルに向かったところ、走っている私を見かけて戻ってきたという。ともかくこうして異国の地で無事に会えた私たちは、ホテルに戻って9時まで寝た。
 朝起きて、私たちはまずバスで駅へ向かった。バスはエアコン付きが5バーツ、なしが2バーツ。駅で荷物を預けた(5バーツ)後、王宮を目指した。途中N村が朝食をとり、その後自称高校教師のおじさんにトンブリのワットへ連れて行ってもらったのだが、往復に使った水上タクシーで200バーツぼったくられた。さらに今日はブディストディとかで王宮は閉まっていることが分かった。そこで私たちは、N村が早くもお土産を見ておきたいというので、またもや東急に向かった。東急とそれに繋がるマーブンクロンセンター(MBS)をぶらぷらした後、昼食をとってからはサイアムスクエアーを歩き回り、ファストフードの店でしばらく休息後、夕方東急へ戻って、今夜列車の中で食べるためのパンと牛乳を買い込み、バスで駅へ戻った。荷物を受け取り、チェンマイ行きの列車に乗った。列車は19時40分発。
 列車は2等なので冷房はついていなかったが、走っているときは窓から風が入ってけっこう快適。車内で東急で買ったココナッツを飲んでみたが油がまわったような味でまずい。古かったのかもしれない。21時頃、係員が来て座席を寝台に作り変えていったので早々と寝た。

宿 バンコクからチェンマイ行きの2等寝台 前日にファランポーン駅で予約。370バーツ


絹をとる家具づくり

3/31(火) チェンマイ

 7時起床。夜はけっこう涼しかった。牛乳を飲みながらしばらく外を眺める。森とひからびた田んぼばかり。8時40分チェンマイ着。駅を降りるとすぐにトゥクトゥクの運転手やゲストハウスの客引きに囲まれる。全て振り切って街の中心の方へ歩き始めたが、しばらく行くと向こうから1人の娘がにこやかな笑顔を振りまきながらゲストハウスのバンフレットをかざして近寄ってきた。何とさっき駅の前で私たちに付きまとっていた内の1人だ。車で先回りして待っていたのである。参りました。ということで、トラックの荷台に乗って、Paocome GHへ。そこで一服してからGHの人にレンタルバイクの店に連れていってもらった。バイクは80バーツ。ガソリン48バーツ。二人乗りで私が運転し、チェンマイ周遊旅行に出発。ヘルメットもなく風圧をもろに顔に受けるため、50キロ以上は飛ばせない。とりあえず動物園まで行き、バミーナームを食べながら休憩。その後傘屋、彫刻屋、織物屋と周り、17時頃ステーキという豪華な夕食。ライスは頼まず肉と付け合わせの野菜だけだったが、それでも食べ切れない量だった。これで42バーツ。GHに帰りシャワーを浴びて一服してからナイトバザールヘ。たいして面白くはないが、ひなびていて風情がある。ドリアンのアイスクリーム(5バーツ)を売っていたので食べてみる。確かに匂いはドリアンだが、味は甘いだけといった感じであまりおいしくなかった。

宿 Paocome Guesthouse チェンマイ駅前で客引きにつかまり。 ファン付きツイン 70バーツ


川で遊ぶ子どもたちアカ族の村

4/1(水) チェンマイ → アカ族の村

 今日から2泊3日で山岳少数民族を訪ねるトレッキングツアー。料金は850バーツ。ガイドはGHの若者で、一行は私たち2人とコリンというスコットランド人の計3人。朝食(スクランブルエッグとパン)を食べて9時半出発。3時間近くもめちゃくちゃ混んでいるトラックを改造したミニバスに揺られて、身体が十分痛めつけられたところで昼食。バミーナームガイ。さらに少しバスに乗ってから今度は歩き。道は、バイク旅行のときもそうだったが赤くて非常に細かい土で、歩くだけで土が膝上まで舞い上がる。すぐに靴とスボンがまっ赤になった。おまけに暑くて水はすぐに飲み干してしまう。2時間ほど歩いたところでアカ族の村に到着。村には私たちのほかにフランス人とオーストラリア人の2つの中年グループが泊まっていた。今晩の宿は全体が竹で作られた高床式の家で、八方から風が入ってくるので涼しい。村に入った瞬間から私たちは十数人の子供たちに囲まれた。タイ人も人懐こいがアカ族の子供たちはそれに輪をかけて人懐っこい。あとは子どもたちと遊んで過ごした。夕食と飲み会と散歩を挟んで、23時近くまで子供たちは私たちと一緒にいた。その他にも宿となった家には入れ代わり立ち代わりアカ族の男たちが小動物の毛皮やら鳥の雛やらを持ってきて、ガイドの持ってきた古着と物々交換をするのである。なかなか面白かった。1時ごろ就寝。

宿 アカ族の村の高床式住居 トレッキングツアー(850バーツ)に含まれる。


カレン族の家

4/2(木) アカ族の村 → カレン族の村

 7時起床。朝食(パンと卵とコーヒー)を食べて8時半出発。今日はフランス人のグループ(おばさん8人、おじさん1人)と一緒なのだが、彼らがまたかなり太った人などもいて歩くのが遅いうえに頻繁に休憩するという具合でイライラのし通しだったのと、連日の水不足で、1時半、やっとの思いでカレン族の村に着いた。住居の感じはアカ族と変わらないが、この村には子供が少なくまたはずかしがってか近づいてこないため、おかげで今日は静かだが少々退屈な午後を過ごした。今夜は人の訪れも少なく静かに夜が更けていくものと思っていたら、夜中になってコリンが地酒の飲み過ぎからか夜中に何度も起き出しては吐き、おまけに夜はかなりの冷え込みで薄手の毛布1枚では寒くてまんじりともせずに過ごした。

宿 カレン族の村の高床式住居 トレッキングツアー(850バーツ)に含まれる。


4/3(金) カレン族の村 → チェンマイ

 試練の一夜が明けると、私たち一行は2人の病人を抱えていた。コリンは当然のように二日酔いでそしてN村までもが気分悪がって吐き気を訴えていた。そのため私たちは当初の予定を変更して、町に用があるというカレン族の男1人を混じえて近道をしてバス道路に向かうことになった。フランス人の一行は、その足の遅さから2時間も前にガイドに引き立てられるように村を出ていたので、今日は私たちだけだったのだが、こんな具合なのでぺースは昨日とどっこいどっこいだった。ようやく12時頃にバス道路に出、そこからトラック荷台改造ミニバスでチェンマイに向かった。14時半GH着。コリンは部屋を取って早々と寝に行き、夕方の列車でバンコクに帰るため部屋を引き払っていた私たちは、N村は中庭の椅子に崩れ折れ、私は徒歩によるチェンマイ市内観光に出かけ、途中夕食(パンと牛乳、缶詰)を買い込んだ。17時半GHに別れを告げ、トゥクトゥクで駅へ向かった。列車は18時半出発。N村はまだ死んでいる。21時就寝。

宿 チェンマイからバンコク行きの列車の2等寝台 355バーツ


MBK

4/4(土) バンコク

 6時に起きて、昨日の残りのパンと牛乳、缶詰で朝食。7時半ファランポーン駅着。バスでスターホテルヘ。シャワーを浴びて一服。その後王宮を見に出かけたが、駅まで来たところでN村がやっぱり気分が悪いからホテルヘ戻ると言い出した。そこで王宮はもう一人後から来る友人N西が来てから行くことにして、ここでN村と別れ、単独行動となった。
 駅からラマ4世通りをまっすぐ行って、シーロムロード周辺を目的地に定めて歩いた。ジムトンプソンのブティックまで約30分。この店は洒落過ぎていて、Tシャツと半ズボンという格好では気が引けて入れなかった。この店の所で右に折れる。ずっとタイシルクなどのみやげ店が並ぶ。何本か左に折れる路地を見て回った後、シーロムロードに抜けてエジプト航空のオフィスを探し、帰りの航空券のリコンファーム。その後ロビンソンデパートを見て回るが、値段も安くなく品数も少ない。デパートを出て、先ほど来る途中で見かけたフルーツ屋台で見たことのないフルーツ(後にジャックフルーツと判明。ビニール袋に入れられて10バーツでけっこうな量である。)を買って食べながらホテルヘ戻る。途中、息子が早稲田に留学しているというおじさんに、片言の日本語と英語で話しかけられしぱらく一緒に歩き(最後に経営しているタイシルクの店に誘われたが断ったらさっとあきらめた。さっぱりしていてよい。)、12時半MBSに着く。これで駅からの大体の距離が実感としてつかめた。バンコクはむちゃくちゃ暑いうえに排気ガスがすごい。ここでは歩く旅はなかなかつらいものがあったが、やはり歩いてこそ旅をしているという実感があるのだ。と言いつつ、排気ガスのせいか疲労が激しく、MBSで昼食をとった後、午後はホテルで休息。
 夕方から東急とMBSを見て回り、夕食をとり、21時頃ホテルに戻る。約3時間寝たところで、今回は時間どおり、成田から今日やって来ているはずのN西を迎えにサイアムインターコンチネンタルホテルヘ。ロビーに着くとN西はすでに到着していて、飛行機の中で知り合ったという早稲田大学のこれまたN村くんと二人ですっかりくつろいでいた。私は2人をスターホテルヘ案内し、彼らはツインをとった。その後、明日の打ち合わせをし、1時頃就寝。

宿 スターホテル エアコン付きツイン 280バーツ


パタヤ

4/5(日) バンコク → パタヤ

 7時半起床。8時半頃チェックアウトして東バスターミナルヘ。今日の夕方インドヘ旅立つという早稲田のN村くんとは途中で別れる。ターミナルでは9時半発のパタヤ行きがとれた。往復で90バーツ。朝食をとる間もなくバスに乗り、2時間の予定を3時間かかってパタヤに着いた。
 パタヤは東洋のコートダジュールなどと呼ばれているところである。そのヤシ並木が続く海岸通りを、まずホテルを探して歩いた。歩きながらあちこち眺め回すと、パタヤはバンコクにもまして物価が高い。ようやくとれたホテルもツインで300バーツ。しかもスターホテルと比べてはるかに質の落ちるものだった。ともかく宿を確保し、海へ行く途中で中華料理の昼食。海は近くに行ってみると、鎌倉あたりの水質によく似ている。ようするにきれいではないということだ。おまけに海の中は石がごろごろしていてビーチサンダルなしでは歩くこともできず、遠くを眺めれば水平線の方向はツーリスト向けのチャーター船に覆い尽くされ、その合間を水上スクーターが駆け巡っていた。ちょっとがっかりしたものの、とにかくヤシの葉で葺かれたパラソルの下で日光浴をし、泳ぎ、パラセイリングを体験。パラセイリングは値切って180バーツで10分弱、50mほどの高度で空中散歩をした。けっこう迫力がある。17時半頃まで浜にいただろうか、その後ホテルに戻って一休みし、パタヤのもう一つの顔である夜の部へ。この辺で念願のドリアンを食べたが、まだ熟してなく甘みがほとんどなくおいしくなかった。パタヤの夜はオープンバーのピンクの灯に染まり、500バーツほどで連れ出せるというホステスからそこここで声がかかり、タクシーの運転手までもが通りがかりに女、女と呼びかけてくる。今パタヤはフェスティバルの真っ最中で、あちこちで催しがある。こうした祭りの華やかな雰囲気の中で数時間過ごした後、A&Wバーガーで夕食。その後ちょっと疲れた私はバーで居座ってしまったN村とN西を残して一足先にホテルヘ戻った。

宿 名称忘れた。ツインで1泊300バーツ×2。そこに簡易ベッドを入れて3人で宿泊。


ラン島

4/6(月) パタヤ

 今日は昨日申し込んだラン島ツアー(250バーツ)に朝9時半から出かけた。ラン島はパタヤの沖に浮かぶ珊瑚礁の島である。パタヤからは船で1時間、島に近づいたところでグラスボトムのはしけに乗り換えて浜へ。ここはパタヤとは大違いで緑に輝く澄みきった水に真っ白な砂浜の島である。午前中はその浜で過ごした。午後は食事も含めて別の浜ヘグラスボートで海中をちらっと見ながら(見えるのはウニばかりでたいしたことはない。)移動した。そこでは今までの食生活からするとかなり豪華な食事(カニ、ムール貝、チャーハン、温サラダ、イカの入ったスープ鍋、パイナップル)が待っていたが、海の方はパタヤ同様おびただしい数の船と水上スクーター・水上スキーを引っ張ったモーターボートに覆われ、おちおち泳いでもいられなかった。静かな浜に行ってみたい。そんなこんなでラン島ツアーは終わり、16時にパタヤヘ戻った。今晩は私はN西と二人でビールを買って飲みながら街を散策。ここでN西がヤシの実ジュースを試す。私たちがバンコクで飲んだのよりは断然味はよかったが、それでもおいしいといえるほどでもなく、うす甘い水という感じ。口直しにビールを買って飲みながら街を散策し、この日は22時半就寝。


4/7(火) パタヤ → バンコク

 朝9時半のバスでバンコクヘ。12時半着。スターホテルに荷物を置いてワット巡りへ。ワットアルン、ワットプラケオ、ワットポーと回った。王宮は現地人は無料、外国人は100バーツ。ワットポーは10バーツ。王宮でアンケート調査をする大学生と称する女の子につかまった。私は元々街頭アンケートといったものはろくなことがないのでかかわらないことにしているし、ガイドブックに「私はタマサート大学生ですが、ちょっとお話でも・・と寄ってくる女性についていくととんでもないことに!」などと書かれていたりもしたので無視することにしたのだが、N村とN西は素直に受け入れ、王宮を一緒に見ることになってしまった。この後17時頃に東急まで戻り、先ほどの女の子とタイダンスショーを見る約束をした2人とそこで別れた。N村は今夜の飛行機で日本に帰るため、彼とはこれでお別れ。その後私はMBSを歩き回って夜を過ごした。夜10時過ぎN西が帰ってきた。N村がファランポーンからバスで空港に向かうのを見送ってきたとのこと。ショーはガイドブックにも載っているシーロムビレッジでのものだったらしい。

宿 スターホテル エアコン付きツイン 280バーツ×2泊


アユタヤ日本人町の跡アユタヤ

4/8(水) バンコク → アユタヤ → バンコク

 今日は午前中ちょっとシーロムロード周辺によってから、N西が飛行機の中で知り合ったS口さんという24才ぐらいの男の人と3人でアユタヤ観光へ。11時45分発の列車の切符がとれた。片道15バーツ。90分くらいでアユタヤ着。駅を出るとトゥクトゥクの運転手がわんさと寄ってくる。それを振りほどいて船で川を渡り市内の方へ行く。ここでまたもや1人の運転手につかまり、結局値段交渉の末300バーツで、この運転手のトゥクトゥクで3時間コースの観光に乗り出した。アユタヤの街はちょっとチェンマイと似た感じ。車も少なくのどかなものだ。遺跡や寺院も観光客でごったがえしているということもなく落ち着いて回れた。17時の列車でバンコクに戻り、ムエタイを見たいというN西とは別行動とし、私は街をあちこち歩き回り夜を過ごした。


サメット島のビーチ

4/9(木) バンコク → サメット島

 今日からサメット島へ。この島はマラリア危険地域だとあるガイドブックに書いてあったので、私たちはバンコクの東急でファンシダールという予防薬(現地退去後も6週間は飲み続けなければならない。)を買って飲んでいた。朝9時にホテルを出て東バスターミナルヘ。サメットと書かれたカウンターに行く。バン・ぺーまでのエアコンバスで30日間オープンのチケットを買った。往復で120バーツ。10時15分出発。車内は外国人はほとんどいなくてギターやラジカセを持ったタイ人の若者ばかり。バスはけっこう景色のよい所を走り、途中パラパラッと雨なども降って情感だっぷりだった。12時半バン・ぺー着。群がってくる客引きを押しのけ、まず銀行で両替をし、それから船へ。片道20バーツの船は人が十分集まらないと出発しない方式で、私たちが桟橋から丸太や他の船をつたって渡し舟にたどり着いたときは、まだジャッキーチェンに似たタイ人の若者とその恋人らしき娘の2人しかいなかった。この娘がなぜか私たち2人に親切でポテトチップを分けてくれたり、片言の英語で話しかけてきたりし、一方ジャッキーははずかしがってばかりいた。そのうち白人がポツポツ乗ってきて13時半、ようやく船が出発したが、今日は波がけっこうあって揺れが激しく荷物も人もけっこう濡れるという状況の中、約30分で島に到着。港からはミニパスに乗りダイヤモンドサンドビーチまで行く。ここでジャッキーたちとお別れ。バンガローは、3か所ほどたて続けに満員で断られ、1つ岬を超えたところでようやく借りられた。ここはSea Breatheというバンガローで、一風変わった娘が店を切り回している。ここのバンガローは風通しが悪く狭いので1日で他へ移ったが、この娘(聞いてみるとまだ18才だった。)とのやりとりはけっこう面白かった。今日は海には入らず島の様子を見て回り(たいしたことない山を越えて島の反対側まで夕陽を見に行くなど)明日泊まるバンガローを探してから夕食をとり、暑苦しいバンガローで寝た。蚊帳を初体験。

宿 Sea Breathe バンガロー 60バーツ


サメット島のバンガロー

4/10(金) サメット島

 9時起床。実は日の出を見るために5時頃一度起きて1時間ほど浜で過ごしたが、結局日の出は見られなかった。朝食をとって、まずバンガローを移る。今日はNAGAバンガローという所でレストラン、トイレ、バンガロー全てSea Breatheより上。10時半頃から泳ぐ。水はとてもきれいだし、砂は木目細かくて雪のように真っ白。しかし砂浜であるため、魚はあまりいない。ともかく2時間ほど泳いだ後、ウィンドサーフィンにチャレンジ。レンタル料は1時間480円。1つのボードをN西と交代で使うことにして、たいして指導も受けないままいきなり海でボードに乗ることになった。初めは帆をあげるだけで精一杯で走る前に落ちたりしていたが、2時問後には2人とも何とか乗ることができる(といっても方向やなんかはまだ変えられやしないが。)ようになった。ようやくこれからという感じだったが、ここですでに体力を使い果たしてしまったので、このくらいで終りにし、後はまた日没近くまで泳いで過ごした。この島は水道も電気もまだ来ていないため、シャワーは人が入れるほど大きな甕に貯めた水を汲んで使い、夜はバンガローにランプが配られる。水は貴重らしく、大事に節約して使うようにとしつこく言われた。夕方は、昨日同様細長い島を横切って反対側の入り江で夕陽を見、今日はちょっと豪華な食事をして寝た。

宿 NAGAバンガロー バンガロー 80バーツ


4/11(土) サメット島 → バンコク

 8時起床。朝食をとって9時半ごろチェックアウトし、歩いて船着き場へ向かう。たいしてかからなかった。船は例のごとく人が十分集まるまで待ってから出港。なんと、バン・ぺーまで用があるらしいSea breatheの娘と一緒になった。今日は波も穏やかでゆったりとした船旅。10時40分着。11時半のバスがとれたのでそれまでジュースを飲みながら日陰で過ごす。バスの中ではほとんど寝ていた。15時ごろ、またもやスターホテル(他にもっと安くていいホテルもあるようだがここは東急、MBSへ歩いていけるという利便性がある)へ泊まり、しばらく休憩してからシーロムロード周辺を土産物店中心に見て回り、パッポンの夜の雰囲気をしばらく味わって21時頃サイアムスクエアにちょっと寄ってからホテルヘ戻る。

宿 スターホテル


バンコクのバス

4/12(日) バンコク

 いよいよ最後の日である。9時頃ホテルを出てサイアムスクエア、東急、MBSを見て回り、昼食をとってからホテルヘ荷物を取りに戻り、12時ごろ駅で荷物を預けてシーロムロード周辺で土産物を購入した後、ルンビニ公園を見学。15時MBSへ戻り、1階の喫茶スペースで絵葉書などを書いて過ごす。最後の夕食をビアホールその他でとり、21時に駅へ。29番のバスでドンムアン空港へ。エアコン付き15バーツ。22時15分着。カウンターへ行ってみると、チェックインは0時からとのこと。2時間ほど余った時間をドンムアンの街で過ごそうとも考えたが、諸般の状況からあきらめ、値段は高かったが空港喫茶店で過ごした。0時、チェックイン。免税店等を見て時間をを潰し、厳重なチェックを受けて飛行機に乗り込んだ。2時バンコク発。

宿 機内泊


4/13(月) バンコク → 東京

 バンコクを発って間もなく予想もしなかつた夜食が出た。行きの夕食と似た感じ。たいして眠る
間もなく朝日を見て6時マニラ着。45分発で朝食。成田には定刻どおり着。


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