

ある夏の日、美しい青年ドリアン・グレイは自分の肖像画を前に一つの願をかけた。この肖像画が代わりに年老いていき、自分はいつまでも若く美しくいられたら…。彼の願いはかなえられた。しかし堕落と悪行を繰り返すごとに、その肖像画は醜悪さを増してゆく。
イギリスの劇作家オスカー・ワイルド(1854-1900)の唯一の長編。ワイルドは同性愛者として有名だが、この作品でもドリアン、ヘンリー郷、画家のバジルの三者には、同性愛の三角関係が感じ取れる。ただ当時は同性愛者というだけで投獄されてしまう時代だったためか、具体的な描写は控えられている。
永遠の若さを得たドリアンは、友人のヘンリー郷の感化によって快楽主義に傾倒していくのだが、このヘンリー郷はワイルド自身が投影されているようで、一癖も二癖もある人物。逆説的な言葉で周囲の人々を煙に巻き、「なにを言ったのか、もうきれいさっぱり忘れました」と言ってのけるくわせ者。実際には彼は言葉だけの人物で、ドリアンの具体的な悪事には全く荷担していないばかりか、関心もない様子。ヘンリー郷のユニークな言葉が本作のしゃれたスパイスになっている。
このヘンリー郷がドリアンに送った一冊の本が、彼の退廃と放蕩のきっかけとなった。この本のタイトルは作品中では具体的に書かれていないが、フランスの作家J.K.ユイスマンス(1848-1907)の『さかしま』だそうである。この作品はデ・ゼッサントという青年の「引きこもり」生活を描いた作品で、内容的には小説というより芸術論とでもいうべきもの。本作の第11章は『さかしま』のパロディともとれる文体になっている。デ・ゼッサントのことが「ドリアンにとって自分の前身ともいうべきものとなった」と書かれているが、引きこもりの彼は社交家のドリアンとはあまりにも対照的な人物に思えるのだが…。
ドリアンの具体的な悪事として描かれるのは女優シビル・ヴェインを自殺に追いやったことと、画家のバジルを殺害したことだけで、他にどのようなことを行ったのかはほとんど描写されていない。この点が本作に物足りない印象を与えていることは否めない。また、友人の化学者アランを脅迫してバジルの死体を処理させる場面にしても、あの程度の薬品と実験器具で人一人を跡形もなく消してしまうのはどう考えても無理がある。
女優シビル・ヴェインは物語の前半で自殺してしまうのであるが、終盤で農民の娘ヘッティ・マートンとして再登場する。彼女はひねくれ者のワイルド(?)が描いたとは思えないような、純粋無垢の少女である。実のところワイルドのは4歳年下の妹がいたのだが、彼が12歳のときに病死している。ワイルドは彼女の頭髪を封筒に入れ、生涯肌身離さず持ち続けたそうである。そんな妹への思いがシヴィル(ヘッティ)に投影されているのであろうか?
そして終盤、ドリアンはおぞましさを増してゆく肖像画に嫌悪を抱きナイフを突き立てる。次の瞬間断末魔の叫びと共にドリアンは醜悪な姿となって息絶え、肖像画は元の美しさを取り戻す…。
結局のところワイルドが書きたかったのは、本人の代わりに年老いていく肖像画の怪談だったのではないだろうか。



