松井洋子 Matsui Yoko 写真家 Photographer 松井洋子 Matsui Yoko 写真家 Photographer

草雲雀 Kusa-Hibari  2006─2009

言葉 Text
佐藤 泰人(東洋大学)

 懐かしい空気。冷たいけれど、湿り気があるぶん柔らかい。道は、石は濡れて黒いのに、草は乾いているよう。枯れているのに、優しい。

 松井洋子氏の写真集『草雲雀』には、そういう、冬のアイルランドが閉じ込められている。2006年から2007年の年末年始にクローパトリック、アラン諸島、モハーの断崖、ディングル半島などの南西部を、2009年2月にコーズウェイコースト、イニショーエン島、トーリー島、スリーブリーグなどの北部をまわって撮影を重ねたとのこと。いわゆる景勝地もたずねているのだが、観光カタログに出てくるような写真はない。アイルランドの自然の持つ日常の顔がそこに映し出され、それが切なくなるほど美しい。昨年12月に新宿で行われた写真展では原版を観る機会に恵まれたが、それは草の一本一本に、濡れ石の堅い冷たさに触れるような体験であった。

 写真集のタイトル「草雲雀」は、ラフカディオ・ハーンの一篇からとったという。雲雀は空高く舞い上がりロマン派の詩人たちを魅了したが、蟋蟀の一種であるこの小さな虫はつがいを求めて草間の陰に鳴く。なるほど松井氏の風景から響いてくるのはそういう小さな魂だ。彼女の小さな魂と、アイルランドの土地と水とにひそむ魂とが、いつしか共鳴していたのだ。

 あとがきに記された彼女の感慨が面白い。ある小さな村で出会った老人から、当地では川の水が飲み水になっていると聞かされて――「私はなるほどと思いました。このアイルランドの風景の色は、この川の水が作っているんだと。前の晩に泊まった古いホテルでバスタブにお湯を張ると、お風呂の水は何となく黄色のような苔むした緑のような色をしていました。山々を彩る木々の色、大地を覆い尽くす草原、それらを食む羊やロバたちの毛並み、その毛を紡いだセーター・・・・・・。何と言ったらいいのか分かりませんが、どうしてこんな素敵な色をしているのだろうと思いながら撮影をしていた風景の色が、どこからやって来たのかがわかったような気持ちになりました」。

 そういえばブラックウォーター川のほとりの村、アーマー州のモイに泊まった時、風呂の水が少し黒ずんでいたっけ。静かに落ち着かせてくれるモイの風景はあの水のおかげだったのかと得心する。

 最後に、このような希有な写真家をアイルランドにいざなっていただいた会員の西澤豊氏に感謝したい。

「日本アイルランド協会会報」第81号(日本アイルランド協会発行)新刊紹介より