「私の先生になってください。」そう植田正治先生の境港のご自宅へ出した一通の手紙から、「風知草」へと至る道ははじまりました。写真は鳥取や島根、岡山などで撮影したものです。山陰で過した3年を含む10年分の風景と、そして、思いがけず父と最後に過すこととなった島根県は琴ヶ浜での一日を構成しました。
詩人の稲川方人さんは、──か細くて聞きとり難い「声」が、いわば懸命に「私」のいる位置を語りかけている、そんな声です。──と、「風知草」に言葉を寄せてくださいました。すっかり忘れてしまっていた感情でした。私はどこから来て、どこへ帰ろうとしているのか……。
ずいぶんと遠回りをしてきたなぁと思いますが、うれしかったことも、悲しかったことも、感情の記憶が遠のき、たずさえた時にはじめて、山陰の写真と向かい合えたように思います。タイトルの「風知草」は、路傍にむらがり生える多年草のことを言います。出雲の大地に揺れたあの風知草は、答えを求めはやる私に何を伝えたかったのでしょうか。打ち寄せる波濤を抱く弓なりの浜、重く果てなく垂れこめた鉛色の空、金色に光る一本の草の道……。
「風知草」にとっても、私にとっても、山陰の春のように待ちわびた春です。