鮎とは本年度アクセスカウンター

 魚へんに占うと書いて鮎。鮎は大きく分けて降海型(海産系)と陸封型

(琵琶湖系)の二種類あり、海降型は冬に海岸線で過ごし春になると川に

遡上し秋になると川を下り河口近くで産卵して孵化後、海に下って越冬

する。陸封型は太古の昔に地殻変動で琵琶湖が海と遮断され湖になった

事で淡水域に閉じ込められた鮎は淡水だけで生息出来るように進化し春

に琵琶湖に流れ込む流れ込む河川に遡上し秋になると琵琶湖に下って産

卵&ふ化後、淡水の琵琶湖で越冬する。琵琶産鮎は湖産鮎として全国に

仔苗用として出荷されていて、追いが強く友釣り漁には最適ですが、近年は冷水病の根源として敬遠されがちです。

近年は、その子孫がダム湖で産卵&孵化し翌年、上流向けて遡上していく光景も見られまが、陸封型と降海型が交配

しても孵化後、死滅する事が分かっています。降海型&陸封型はどちらも年魚で産卵後は死滅してしまいます。

鮎は日本各地の河川に棲息し時には一尺(30p)を越す大物もいる。越冬中の稚魚は動物性のプランクトンや虫を餌に

するが成長するに従い川へ遡上する頃になると石についた珪藻類を食べるようになる。西瓜の様な香りがする事から

香魚とも呼ばれる。釣法としては毛針を使ったどぶ釣りや撒き餌(しらす)を使ったエサ釣りやシャビキ、ポン掛けも

あるが縄張りを持ち闘争心が強い習性を利用した友釣りが盛んである。

友釣りとは

 鮎は川に遡上するころから川の石についた珪藻類を食べるようになり

約1uの縄張りを持ちます。そこに外部から侵入するものがあると猛然

と突進し体当たりや噛みついたりして侵入者を追い出そうとします。

友釣りはその鮎の闘争本能を利用したものでおとりに生きた鮎を使い縄

張りを持っている野鮎にそっと近づけてやると野鮎はおとり鮎を追い出

そうとして突っかかっておとり鮎にセットしてある掛針に掛かるといっ

た釣りです。鮎が掛かってもこの釣りはそれで終わりではありません。

取り込むまでが次の重要なステップであって野鮎を網の中に入れた時が完了です。次に出来るだけ早く掛かったばか

りの野鮎をおとり鮎にし素早く送り出して次の鮎を釣る。釣ったばかりの元気な鮎はよく泳ぎ次の野鮎をつれてくる

ので友釣りが循環のゲームであると言われるゆえんです。取り込みは方法は釣法の中の取り込みを参照して下さい。

最近、立ち込んだり水辺を歩くと鮎が散ると怒る方がますが、この釣法は鮎の本能を利用する釣りで居付き鮎が何か

に驚いて縄張りを離れたとしても数分もしないうちに縄張りに帰ってきますから立ち込んだりしても神経質になる事

はありませんが、群れ鮎は散るとその場所に戻ってこないので石のように微動だにしない姿勢が大事です。

私と鮎との関わり

 私の鮎との関わりは小学校低学年の時に父に連れられ初めてのどぶ釣り(毛針)の体験から始まりました。当時は天

然遡上がほとんで遡上してくる群れ鮎に向かって石を投げると数匹は死んで浮かんでくるほどいました。家の近くに

は鮎溜まりになるような大きな淵が幾つもあり夏の渇水時でも水は枯れる事はなくどの淵も絶好のポイントでした。

今は大きな淵も面影はなく土砂で埋まってしまいチャラ瀬や陸になってしまってます。友釣りは高校3年生の夏に友

人と泳ぎに行った安芸川のイヌガエリで川沿いに生えていた竹を切り竿にし玉シャクリで獲った鮎を使って友釣りの

真似事から始まりましたが、その時たまたま野鮎が掛かりその強烈なあたりが手に感触として残り現在に至っていま

す。当時のスタイルは現在のようなウエットスーツにベルトやベスト、カーボン竿や引き舟といった装備ではなく普

段着に直径30pの袋付きのタモを麦わら帽子の上に乗せ、底がフェルトの足袋竹竿(のちにグラスファイバー)といっ

た必要最小限のいで立ちで今のように胸まで立ち込んでの釣りではなく陸から竿を出すと行ったスタイルでした。

取り込みも引き抜きではなく下流に下がり寄せての取り込みでした。遊漁するのは安芸川だけでしたが釣り人も今ほ

ど多くなく朝9時過ぎに行っても入漁場所に困る事はなくのんびりした釣りでした。

水量も多く天然遡上が殆どで当たりも強烈で入れ掛かりも度々あり三桁の釣果もあり十分堪能できました。今思えば

誰に教わった訳でもなく試行錯誤の独学で”そこに川があるから””鮎が居るから”と言う素朴な思考だけで今日ま

で至ったような・・・・

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