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長崎新幹線「かぎり」






駅のホームで、ふとこんなポスターが目に留まった。
一面、どどんと蛭子能収のイラスト。中央では車掌さんが汗をかきかき右手を大きくあげて、その足下に未来的な新幹線がぎゅるぎゅる風を切っている。周りに配されているのは、長崎おくんちやら眼鏡橋やら大浦天主堂やらオランダ人やら中国人やらちゃんぽんを食べる日本人やら、長崎名物あれやこれや。
そしてその下に、大きく、
「GO! GO! 長崎新幹線」
「今こそ九州新幹線長崎ルートの実現を!」
まあようするに、新幹線を長崎に!ぜひ!と訴えかけるポスターのようである(注1)
脇には、蛭子能収の手書き文字で、
「長崎の未来は
 新幹線ぬきでは描けません。
        ――蛭子能収」
これを見て、私は思いましたね。
「ってことは、つまり、長崎には未来がないってこと?」

いやいや、しかし、バカにしてはいけません。
同じイラストが載っている公式ホームページを見てみると、長崎新幹線へと託された県民の希望、熱い情熱が、ひしひしと伝わってくる。
特に印象的なのは、
「鹿児島ルート(2012年完成予定)が開業すると、博多〜西鹿児島間の所要時間が1時間4分に短縮され、このままでは、長崎県は大きく取り残されることになります。」
という一節。つまりは、
「ぎゃっ、ウソッ、あの鹿児島に新幹線が来るのに、なんでうちに来ないのよ」
「鎖国時代の210余年間、出島を通じてステイト・オブ・ジ・アート、日本の最先端を行っていたわが地が、こともあろうに薩摩の土民どもなんぞに、ぐぬう、ま、負けるなんて‥‥!」
などという鹿児島に対するひがみではないか、と思わないでもない。が、まあしかし、むしろそういう低次元の問題だけに、長崎県民としても、おいそれと引き下がるわけにはいかないのではないか。
新幹線開通のメリットとして、
・人、物、情報の交流が活発化し、社会、経済、文化活動の活性化をもたらします。
・雇用機会の拡大等により、地方の定住人口の増加をもたらします。
・地域ポテンシャルを向上させ、新しい産業立地や魅力ある街づくりにつながります。
・新たな産業立地は、地場産業の活性化や高度化を促進します。
と、いろいろ列挙してあるものの、どうせ博多に人が流出してますますさびれてうらぶれて、雨がそぼ降るだけの街になることは目に見えている。しかしそれを承知の上で、鹿児島だけには負けたくない、薩摩の田舎の土侍どもなんぞにわれわれ元祖インターナショナル地球市民が後れを取るわけにはならじ、というのである。
なんという健気さ、いじらしさであることか!
ということで、このコラムでは、そんな長崎県のために一肌脱ぐことにして、長崎新幹線の早期実現のためには何が必要なのか、まじめに検討してみたい。

長崎に新幹線を延伸するにはどうすればいいのか。
長崎県民からは、すでにいろいろなアイデアが出されているという。しかしながら、
「長崎でオリンピック開催」
というのを筆頭に、
「長崎に遷都する」
「熊本県以南の九州を撃沈する」
「もう一度鎖国して、長崎に出島をつくる」
などと、いずれも現実味に乏しい。というか、新幹線誘致より困難な案ばかりだ。
何とか長崎県のみの力で、新幹線を引っ張ってこられないか。
とはいうものの、鉄道マニアでも政治家でもない私に、具体案を提出できるわけがない。いちばん手っ取り早いのは、専門家にゲタを預けてしまうことである。すなわち、新幹線を開通させるだけの強引な手腕と指導力、政治力を持つ知事を立てること、これが最善の道なのではないのか。

となると、重要なのは知事の人選である。どんな人を知事にすればよいのか。
今いちばん旬なのは、作家であろう。
東京都知事となった石原慎太郎、長野県知事の田中康夫。立候補以来、それぞれが大いに話題となり、思いきった政策は、都民・県民のみならず、全国が注目するところとなっている(是非はさておくとして)。そういえば、猪瀬直樹も道路関係四公団民営化推進委員だか何だかに就任したではないか。(これについては、どうせ作家を採用するんだったら、猪瀬直樹なんかよりも、『ストロベリーロード』の石川好や『きまぐれオレンジ★ロード』のまつもと泉の方がふさわしいように思うのだが、まあそれは別の話だろう。)
とにかく、作家出身知事に今、追い風が吹いていることは、間違いない。

もちろん、作家なら何でもいいというわけではない。
やはり、老若男女、一般に広く名前が知られてなくてはならないだろう。どんなに熱烈なファンがいようと、山口椿や森岡浩之、倉坂鬼一郎、茅田砂胡(注2)などは論外である。
また、イメージも重要だ。たとえば菊地秀行なんぞが知事になったとしたら、
「まずは長崎市をバイオレンス都市にしたい。ついては、長崎魔界化四カ年計画をここに発表する」
と、こわいことになってしまいそうで、いけない。
新井素子あたりが知事になって、
「あれ? あれれ? えっと〜、あたしが、知事。長崎県の。それって、すごい。‥‥かも」
というのも、まあそれはそれでいいかもしれないが、新幹線を強引に着工させるには、いささか頼りない。
だからといって、たとえば宇能鴻一郎なんかを知事に据えては、
「島原のあたりが、じゅん、と濡れちゃったんです」
などと、よくわからない。
さらにまた、石原慎太郎は神戸出身、田中康夫は東京出身と、知事になるためには出生地は関連ないようだが、できれば長崎生まれの人、ご当地出身者を迎えたいのが人情というものだ(注3)

ということで、実は、ぴったりの人がいるのである。
次の長崎県知事には、この人しかいない!という作家が。
誰あろう、そう、その人。
村上龍。
おお、彼なら、適任ではないか。ふさわしいではないか。
ネームバリューはばっちり。話題性は十分。長崎県の佐世保市出身。石原慎太郎に「作家の格が違うから」と一蹴された田中康夫よりも格上な気がする。そのうえ経済通としても知られる。『希望の国のエクソダス』はほとんど経済小説だし、そのものズバリ、『あの金で何が買えたか』のような著作もある。さらに、田中康夫と違って、根っこのところは保守的っぽいから、
「長崎に新幹線なんて、いりません」
などと言い放って県民の期待を裏切ることもなさそうだ。
すでに水面下では、村上龍を知事に呼ぼうと各県がひそかに狙っているかもしれない。おちおちしていては、他県に引き抜かれないとも限らない。急げ! 長崎県! 今の知事の任期がいつまでかは知らぬが、それを力づくで辞めさせてでも、即刻、村上を知事に迎えようではないか。
選挙演説においても、
「行政組織を限りなく透明なブルーに!」
「我が県を希望の国に! 全国の皆さん、長崎へエクソダスしよう!」
などと、威勢がよいことこのうえない。いいぞいいぞ、いけいけ、村上龍!

電撃的な出馬表明からマスコミの注目を一身に浴び、長崎県は大いに盛り上がり活気づき、原爆投下以来、久しぶりに日本中の話題をさらうことになろう。就任後は、坂本龍一や中田英寿あたりへのコネを駆使して世論に訴え、長崎新幹線早期開通運動を草の根レベルから盛り上げていってくれるはずだ。
そうなってきたら周囲としても、
「鹿児島なんかに新幹線延ばしてる場合じゃないよな」
ということになって、とんとん拍子に着工が決まり、何千億もの工費がどかどかと注ぎ込まれ、任期中には見事開通という運びとなる。バンザイ、すごいぞ、村上龍。
さて、そこで問題となってくるのが新幹線の名前である。
「ここはひとつ、長崎新幹線を実現させてくれた村上龍知事にちなんだものを」
という声が、県民の間からあがってくるのは必定であろう。
「村上先生の御作から命名しましょう」
しかし、これがなかなか難しい。そもそも、新幹線の名称の基本は、「ひかり」「こだま」に始まって、「やまびこ」「のぞみ」「こまち」「つばさ」「あさひ」「あさま」「はやて」と、3文字、あるいは4文字のひらがな(注4)。これにあてはめられる作品タイトルを探すとなると、けっこう困難である。
新井素子だったら「ちぐりす」「ひとめ」、菊地秀行なら「まかい」「めふぃすと」などが候補となろうが、村上龍では、どうか。ちょっと考えてみてほしい。
『限りなく透明に近いブルー』
『テニスボーイの憂鬱』
『すべての男は消耗品である』
『コインロッカー・ベイビーズ』
『愛と幻想のファシズム』
『希望の国のエクソダス』
と、彼の代表作は、どれもこれも新幹線の名前になりそうもない。
そのほか、「とぱーず」なんていうのはかっこいいのだが、「そんなの新幹線の名前じゃないやい」と、全国の鉄道マニアから抗議の手紙が殺到しそうで使えない。
「いびさ」は3文字だけど、知名度が足りない。
「たなとす」は4文字でそれなりに響きもいいのだが、こんな不吉な名前の電車に乗りたくはないわなあ、と見送り。
そうなると、無難に、
「まあ、出世作の『限りなく透明に近いブルー』から一部をとって」
ということで、
「かぎり」
あたりに落ち着きそうだ。
これなら、「ひかり」と語感が何となく似ていて鉄道マニアも満足だし、
「本土の西の果てへ行く列車の名前にもふさわしい」
ともいえる。

ただし、おそらく、開通十年後くらい経って一時の熱狂も過去のものになったころ、予想通り博多へと人が流出してさびれうらぶれ雨がそぼ降るだけの街になった長崎を目の当たりにした県民の間から、批判と反省と怨嗟の声が漏れてくることは疑いないであろう。
「あの金で何が買えたか」
と。





(注1)すでに計画自体は決まっているのだけれど、着工がなかなかできないようである。何もないところに新幹線を誘致しようなどという図々しいものではないので、誤解しないように。

(注2)蛇足だと思いますが、一応ひと言ずつ説明しておきますと、山口椿は幻想、耽美、怪奇、残酷など、まあそういった方面にいろいろ作品のある人。チェロや三味線を弾いたりもして、けっこう正体不明。森岡浩之は星界シリーズ(ハヤカワ文庫JA)の人。倉坂鬼一郎は『四重奏』(講談社ノベルス)などのミステリ・ホラー作家。茅田砂胡は『デルフィニア戦記』(中央公論社、中公文庫でも刊行開始。ファンは「デル戦」と略す)の作者。いずれも、読者層は狭いが、熱烈なファンは多そうである。

(注3)長崎出身の作家としては、蛭子能収のほか、内田春菊、白石一郎(歴史小説の人です)、吉田修一(『パークライフ』で世に躍り出た人)、小川勝己(『葬列』で第20回横溝正史賞をとったのだけど、あんまり知られてないよね)、佐藤正午(佐藤賢一あたりとときどき間違える)などがいるのだが、知事にするにはちょっとなあ。あ、立花隆も長崎出身だ。しまった。村上龍に断られたら立花隆を知事にしてください。

(注4)念のために言っておくと、私は鉄道マニアでも鉄道ファンでもないので、これらの名前をすらすら何も見ずに書いたわけではありません。ちゃんと調べました。それにしても、いつの間にか新幹線って、いっぱいできてるのね。なんだかありがたみがない。っていうか、乱発じゃないの?

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