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ソラくんの手紙






※この文章は「マツオバ・ショウの日本ナンパ旅」の続編です



マツオバ・ショウ様


ショウくん。
ごめんなさい。
びっくりしたでしょう。
突然、こんなことになってしまって。
おなかの調子が悪いから、長島のおじさんのところに静養に行きます、なんて嘘を書こうと思ったけど、やっぱり、やめます。これから書くのは、本当のこと。僕の本当の気持ちです。
ショウくんには、ショウくんのような天才には、たぶんわからないと思う。裏切られた、って思うでしょう。
ショウくんのことは、好き。今でも、その気持ちに変わりはありません。こんなことをしながら、ショウくんのことを思うと、切なくなります。
でも、しかたがない。こうしなくちゃ、僕は生きていけない。僕は、僕は‥‥。

なんだか、今、不思議な気分です。
ショウくんと二人、漂泊の思いに駆られて、江戸を飛び出したあのころが、遠い昔に思えます。まだ4ヶ月くらいしか、経っていないのにね。
そうして、風の向くまま気の向くまま、バイクを飛ばしながら、行く先々で女の子に声をかけてのナンパ旅。
正直言って、そういうの、ちょっとどうか、とはじめは思っていたんだけど、でもショウくんと一緒になって、おもしろおかしく過ごしているうちに、こんな青春も、いいかな、なんて。
ショウくんにならって、ときどき俳句を詠んだりもしましたね。

   なみこえぬ 契りありてや みさごの巣

象潟ではじめに声をかけたナミコさんは、結局ゲットできなかった。恋人と約束があったのかなあ。好みのお姉さんだったのになあ。残念。と、その後でナンパしたミサゴさんの腕の中で考えています、なんて。
ふふふ、俳句って、おもしろいよね。ショウくんのおかげで、今では僕も、イッパシの俳人です。

でも、今、僕が言いたいのはそういうことではなくて。
忘れもしない、そう、あれは、7月15日の夜でしたね。
越中の国、一振の宿屋。ホステスのお姉さんがた、萩子さん、月子さんたちの隣の部屋で。
深夜、ショウくんに揺り起こされて、え、何、何があったの?って寝ぼけてるうちに、いきなり…。
はじめは、ほら、もう、わけわかんないし、痛いし、堪忍して、って思ったんだけど、でも、なんか、ショウくんったら、すごいテクっていうか、激しかったり、やさしかったり…。だから、いつの間にか、僕も‥‥。
ショウくん。
今でも、あの夜のことを思い浮かべると、身体が火照ります。
それなら、どうして、と不審に思うでしょうけど、でも、でも本当に、こうするしかないんです。僕に残された、たった一本の道なんです。

あの夜以来、僕たちの旅は、一変しましたね。
あいかわらず女の子をナンパしたりはするんだけど、でも、二人とも以前に比べると目に見えて熱心じゃなくなって。
ショウくんったら、
「今日は、女の子ゲットできなかったからな」
なんていうのを言い訳にして、夜更けに僕を抱き寄せたりなんかして。
夜ばかりじゃない。いよいよ加賀の国、というあの日は、人けのない、右手に海が見えるところでバイクを止めて、
「ちょっと休憩しようぜ」
なんて言ったと思ったら、路傍に広がる早稲の田の中に、いきなり僕を押し倒したりなんかして。僕にとっては全然休憩じゃなかったよ…。
その後で、はあはあ息を切らしている僕の隣に寝そべったまま、しれっとした顔で、

   わせの香や 分け入る右は 有磯海

そう俳句を詠んだショウくん。ショウくんって、本当にすごい。どこからこんなエネルギーがわいてくるんだろう。

金沢でも、すごかった。
追善句会に参加した後の夜ときたら、

   塚も動け 我が泣声は 秋の風

なんて、ウソばっかり。俳人はこれだから、油断ならない。一晩中泣かされっぱなしだったのは、僕のほうだったのに。
そうして翌朝、もういいかげん痛いし、寝不足だし、ぼんやりしたままの僕を、
「ちょっとそのへんを一回りしてこようぜ」
と、散歩に連れ出したと思ったら、またいきなり近くの草庵に僕を引き込んで、

   秋涼し 手ごとにむけや 瓜茄子

あ、そんな、恥ずかしいことを。ショウくん‥‥。思い出すだけで、もう、僕は‥‥。
ショウくん。
そういうの、僕は嫌じゃなかった。むしろ、心待ちにしていたのかもしれない。それは本当。そのときの気持ち、感触は、今でも肌に、身体に、刻み込まれています。
でも、僕の心の中にふと、疑問が萌してきたのも、その頃のことでした。
これが単なるナンパ旅だったら、別に問題はなかった。行く先々で女の子をゲットして、そうでない夜はひとつ布団に寝て(最近はこっちのほうが多いけど)、それだけの旅だったら、思い煩うことはなかったはずです。
でも、ショウくんには、もうひとつ、
「俳句」
これがありました。
女の子と寝た後にも、僕と寝た後にも、必ず一句、満足そうにつぶやくショウくん。
それまでは、渋い趣味だね、と思うだけで、あまり気にも留めていませんでした。面白半分に、僕も俳諧の手ほどきを受けたりしたんだけど、でも、本当のところは、どうなのだろう。
もしかしたら、ショウくんにとっては、女の子や僕よりも、俳句のほうが大事なのかもしれない。いや、女の子や僕は、俳句を詠むための、ただのきっかけに過ぎないんじゃないか‥‥。そんな考えがふと脳裏をかすめるようになったんです。

もちろん、ショウくんは残酷な人じゃない。それは、わかってます。やさしくて、あたたかい人。だから女の子も、それに僕も、身も心もとけほぐれて抱き寄せられてしまう。俳句のために他人を利用しようなんて、一度として考えたことはない。そう信じてます。
でも、ショウくん。
人には無意識というものがあるのです。自分の魂の奥底には、自分でも知らない真実が、潜んでいるんです。
あの晩。
小松の小さな宿で、自分をカブトムシに、僕をキリギリスになぞらえて詠んだ句、がっしりしたショウくんの身体の下であえぎ声にむせぶ僕の姿を詠んだ一句。

   むざんやな かぶとの下の きりぎりす

こうつぶやいたショウくんの底知れない瞳の奥を見つめているうちに、僕は、自分がなんだかガランドウになったような、抜け殻になったような、そんな空しいような寂しいような気分に、不意に襲われたんです。
ショウくんと一緒にいるのは、楽しい。気持ちいい。そうやって抱かれているのも、もちろん、たとえようのないほど、素敵な気分だった。でも、でも、このままでは‥‥、このままショウくんと一緒にいては、自分がダメになっていくんじゃないか。自分が消え去ってしまうんじゃないか‥‥。そんなことを思ったんです。

いや、それだけじゃない。隠してもしかたがない。本当のことを言います。
ショウくん。
僕は、怖くなったんだ。恐ろしくなった。
これまでのナンパ旅の途上、一夜限りのつきあいで別れた数知れぬ女の子たち。あの子たちの存在がすべて、ひとつの句を、17文字の言葉を生み出すためのきっかけでしかなかったとしたら、それなら僕はどうなのだろう。やっぱり、この旅が終わってしまったら、用済みになってしまうんじゃないか。
「素敵なインスピレーションを与えてくれて、感謝してるぜ。じゃあな」
そんなひと言で、終わりになってしまうんじゃないか‥‥。
そうなったら、僕はもう、生きていけない。カラッポになって、搾り滓になって、ショウくんのいない生を生きていくことなんて、できやしない。
ねえ、ショウくん、ショウくんにとって、僕はいったい何なの? 僕はいったいどうなるの?
カブトムシのように、ゆったりとリラックスしたまま眠りに落ちていったショウくんは気づかなかったかも知れないけど、その下で、キリギリスの僕は、不安と恐れに身を震わせていたんです‥‥。

でも、だけど、それなら、どうしたらいい? 僕は何をすべきなのか、僕には何ができるのか。ひとり、ショウくんから離れていくなんて、できるわけがない。
そう悩みながら、山中温泉へと辿りついた今日。
一緒に露天風呂に浸かっていたら、僕のお尻を撫でながら、ショウくん、

   山中や 菊はたおらぬ 湯の匂

「今夜は菊を手折らないでおこう。温泉にでも浸かりながら、ゆっくり養生しな」
とやさしく言ってくれましたね。
だから、こうして珍しくひとり、宿の離れの一室で、静かな夜を過ごしていたのだけど‥‥。
そのとき、ほとほとと戸とを叩く音がして。
あんなことを言いつつ、やっぱりショウくんったら‥‥、と障子を開けると、そこに立っていたのは、思いがけない人の姿。誰だと思いますか?

「あ、あなたは‥‥、一振の‥‥、萩子さん‥‥」
そう、一振のあの運命の夜、隣室に泊まっていたホステスのお姉さんのひとり、萩子さんだったのです。
「どうして、こんなところに」
「バカね、決まってるでしょ。あんたを追っかけてきたの」
「えっ、追っかけてきたって‥‥」
「あたし、あんたに、ヒトメボレ、しちゃったの。玄人のくせに、みっともない話なんだけど。だから、あのあとすぐ、月子を置いて、ひとり、あんたのあとを追って‥‥。ああ、ようやく、ようやく会えた‥‥」
そう言って、萩子さん、泣きながら僕を抱きしめた。
「あんたが惚れてるのが、あのカレだとしても、構わない。あたし、あんたと一緒にいたい‥‥」
萩子さんの豊かな胸の中に顔を埋めたまま、その言葉を聞いて、僕は決心したんです。

「萩子さん、これからすぐ、出発しよう。二人で、旅に出よう」
「え、いいの? カレに言わなくても」
「いいんだ。ショウくんのことは言わないで。僕は、僕の道を進みたいんだ」
ショウくん。
裏切るようなまねをして、ごめんなさい。許してくれとは、言いません。でも、僕には、僕のような弱い者には、たぶんこうするしか、ないんです。

自分の気持ちに無理をしているのは、わかっています。もしかしたら萩子さんを悲しませてしまうことになるかもしれない。それは否めないことです。
でも、僕は、行きます。行かなくちゃ、いけないんです。
そう思って、自分の気持ちをはっきりさせるためにも、この手紙を書き始めました。
今、なんだか不思議な気持ちです。こんなに急で、たいへんなことなのに。
心はなぜか、しんと透き通っています。
こんな静かな気持ちは、久しぶりです。
ショウくん。
この手紙を書き終えたら、萩子さんの手を取って、宿を出ます。
二度と戻ることは、ありません。

   ゆきゆきて たふれ伏すとも 萩のはら

僕は行きます。本当の自分を取り戻すために、本当の自分を生きるために。
僕の傍らには今、ショウくんではなく、萩子さんがいます。
たとえこの先、倒れ伏すとも、そこはショウくんの身体の下じゃない。萩子さんのおなかの上です。
さようなら。




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