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ひとりかも寝む






「ああん、寂しい‥‥。どうして来てくれないの? あなたがいない夜がどんなに長くて切ないか、知ってる? あん、もう‥‥、あたし‥‥、あたし、がまんできない‥‥」
なんていきなり言われてしまったら、男としては、
「わっ、わっ」
と色めき立たずにはいられない。
「そんなにがまんできないのでしたら、私めが‥‥」
と名乗りをあげる義侠心に溢れた御仁もおられるだろうが、いやいや、待たれよ。実はこれ、『百人一首』の、
《嘆きつつひとりぬる夜の明くるまは いかに久しきものとかは知る》
なんである。
「嘆きながらひとりあなたを待つ晩の夜明けまでの間がどれほど長いか、御存じないでしょう」などと直訳するとせっかくの色気が干上がってしまうのだが、歌にこめられた情感は、「あん、もう‥‥」なのだ。

見かけが古文だからみんなだまされているけど、お正月に家族で無邪気に楽しむ百人一首は、実はけっこうキワドイ内容なのである。
《難波江の芦のかりねのひとよゆえ みをつくしてや恋ひわたるべき》
という縁語と掛言葉を駆使した技巧的な歌も、その心は、
(たった一晩だけの行きずりの関係なのに、あなたのことが忘れられないわ‥‥。ああん、もう、あたし、ほかのオトコでは満足できない‥‥)
だったりするわけである。
感じやすい中学生などは困ってしまう。家族でワイワイ百人一首を楽しんでいる最中に、ひとり思わずポワポワポワンと想像してしまい、
「あら、どうしたの、赤くなって」
なんてことになってしまうはずなのだ。

そんな艶めかしい歌がひしめく百人一首の中でも、冒頭の《嘆きつつ〜》にあるような「独り寝の夜の寂しさ」は、人気のあるテーマのひとつである。43首の「恋の歌」のうち5首、ほかにも景物に事寄せて独り寝の寂しさを嘆じている歌が幾首もある。
最もストレートなのは柿本人麿の歌で、
《足びきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む》
枕言葉と序詞を長々と連ねているけれど、言ってることは、
(長い夜が寂しい。女欲しい)
という、ただそれだけ。さすが万葉歌人、素朴である。
ほかには赤染衛門《やすらはで〜》や後京極摂政前太政大臣《きりぎりす〜》などが、この「独り寝の寂しい歌」なのだが、中にはフィクションの歌まであるから始末が悪い。
《いま来むと言ひしばかりに長月の ありあけの月を待ちいでつるかな》
(あなた、すぐ来てくれるって、言ったじゃなーい。だからあたし、急いでシャワー浴びて、お化粧して、下着もすんごいのにして、待ってたっていうのに‥‥。どうして来ないのよ。いつの間にか、月まで出ちゃって‥‥。もうっ、月のバカっ。あーん、もう、あたし、あたし‥‥)
などという、《嘆きつつ〜》に輪をかけて色っぽいこの歌、
「わっ、わっ、これ誰? どんな美人が詠んだの?」
と読人を見ると、げげっ、なんじゃこりゃあ。素性法師。坊主ではないか。ぐわーっ、だまされた!
実はこれ、坊さんが、女のふりをしてつくった歌なんである。何たるハレンチ坊主、と思わないでもないが、昔はこういうのも許されたようで、もう一人、俊惠法師という坊主も《夜もすがら〜》という同じような歌を詠んでいる。

みんな知ってる《淡路島》も、夜の独り寝が寂しい歌である。これなんかは、人生相談の投書などにもありそうだ。
《淡路島通ふ千鳥の鳴く声に 幾夜寝覚めぬ須磨の関守》
(アパートの隣に住んでいるアワジという男のもとへ、毎晩女性が通ってきて、‥‥その、あの、声が気になって、眠れないんです。その女性は、チドリさんというのです。チドリさんは、見かけは清楚な感じなのに、夜は意外に激しくて‥‥。独り者のぼくには、拷問にも等しいです。ああ、ぼくはどうしたらいいのでしょう。引っ越すことも考えたのですが、チドリさんの声が聞けなくなるのかと思うと、それも寂しく‥‥。悩める純情青年に、心あたたかな助言をお願いいたします。  兵庫県 須磨の関守 23歳)
といった感じである。

同じ悩みは大中臣能宣朝臣も抱えていて、《御垣守》の歌の中で、昼は反省するんだけど夜になるとつい‥‥、と悩みを訴えているわけであるが、よくできたもので、これらに対する達観した回答が、百人一首にはちゃんと用意されている。
《さびしさに宿を立ち出でてながむれば いづこも同じ秋の夕暮》
(ま、あきらめなさい。独り寝が寂しいからって家を出たところで、巷はラブラブカップルで溢れているんだよ。いっそう寂しくなるばかりさ)
厳しいようだが、それが人の世。しかたがない。よしんば人のいない山の中へ逃れたところで、
《世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山のおくにも鹿ぞ鳴くなる》
(無駄だってば。山は山で、仲睦まじい鹿のカップルでいっぱいなんだから)
なんであり、結局、ラブラブな鹿たちが互いに呼び合う声を聞きながら、ひとり悶々と切ない思いを味わい、
《奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の 声きくときぞ秋は悲しき》
ということになる。




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