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縛る源氏






 『陰獣』の静子さん。
 『化人幻戯』の由美子さん。
 江戸川乱歩の作品の中でも、双璧をなす悪女である。

 私個人としては、由美子さんのほうが好みである。なにしろ、
《桃色のからだが、…水しぶきを立ててもだえていた。そのあらゆる曲線が武彦を痴呆にした。》
というのだ。むふう、いっぺんそんな痴呆になってみたい。
 それに、もし殺されるとしたら、
《あのにおいのある口で、暖かい息で、こちらのほおのうぶ毛をそよがせながら》《「死んでもかまわない?」》
などとささやかれつつ死にたいものではなかろうか。
《「なんてかわいいんでしょう。だから、あなたを生かしておきたくないわ。たべてしまいたいわ」》
なんて言われてしまったら、ああ、もう食べて食べて!と答えるしかないではないか。
《「すっかり、わたしのものにしてしまいたいわ」》
ああ、もうすっかりあなたのものにしてして!
 はあはあ。

 と、冒頭からいきなりコーフンしてしまったのだが、しかしこんなことを言いつつも、一方の静子さんも、なかなか捨てがたいような気がする。
《どちらかといえば昔風のうりざね顔で、まゆも、鼻も、口も、首筋も、肩も、ことごとくの線が優に弱々しく、なよなよと》
していて、
《さわれば消えていくかというふぜい》
でもって、
《この世にもし人魚というものがあるならば、きっとあの女のような優艶な膚を持っているに相違ない。》
 それなのに、
《彼女のうなじには、おそらく背中のほうまで深く、赤あざのようなみみずばれができていたのだ。…青白いなめらかな皮膚の上に、かっこうのいいなよなよとしたうなじの上に、赤黒い毛糸をはわせたように見えるそのみみずばれが、その残酷みが、不思議にもエロチックな感じを与えた。》
というミステリアスな美女。
《「こんな打ち割った相談をしましては、失礼ではございませんかしら」》
などと、
《糸切り歯とほくろの目立つ弱々しい笑い方をして、ソッとわたしのほうを見上げ》
たりなんかしておきながら、
《わたしがつかもうとすると、彼女はイルカみたいに身をくねらせて、巧みにわたしの手の中をすりぬけて》
挑発したりしたうえに、果ては、外国製乗馬むちを《わたしの手に握らせて》それで《彼女の裸の肉体を打擲せよと》迫ったりなんかしちゃって、はあはあ、もうたまりません。

 ところで、そんな静子さんのプロフィールをご覧になって、同じようなキャラクタをどこかで見たような…、という気がしませんか。どこかで読んだような気がしませんか。
「ぎゃっ、何よ、この私に向かって、なんてこと言うの! そんなもの読んだこと、あるわけないでしょう。失礼しちゃうわ!」
と、激しく憤ってしまうレディーのかたもいるかもしれませんが、いや、ち、違います違います。
 私は別に、
『若奥さま亀甲縛り大作戦』
とか、
『鞭とローソクと美人秘書』
とか、そっちの方面のことを言っているのではありません。
 みなさん誰もが見たことのあるような、そう、たとえば国語の教科書なんかに出てきたようなキャラで…。
 ほらほら、日なたよりも日陰がよく似合って、おとなしくてはかなげでなよなよしていて守ってあげたくなるような、それでいて妙に男好きのする、誘うようなさりげない色気に包まれていて…。
 どうですどうです?
 思い当たったでしょ。
 そう、その通り。
 夕顔です。
 『源氏物語』の夕顔です。
 あの、源氏との束の間の蜜月の後、六条御息所の生き霊に取り殺されてしまうという、夕顔です。

 などというと、
「ぎゃっ、何よ、何てこと言うのよ。あなた、ヘンなもの読み過ぎじゃないの。たしかに、おとなしくてはかなげでなよなよしてますけどね、夕顔のどこがマゾなのよ、夕顔がいつ鞭で打擲するよう迫ったのよ! エッ、どうなのよ!」
と血相を変えるレディーのかたが、やっぱりいるかもしれないが、しかしそれは読みが浅いというものであって、物語とは文字で書いてあることだけがすべてではないのだ。行間を読んでこそ、はじめて文学を味わうことができるというもの。一見したところ消え入りそうにはかなげな夕顔は、実は脱ぐと激しいのだ。

 考えてもみなさい。
 そもそも、源氏が自分の素性を明かさないままであるところからして、あやしいではないか。
 一般に源氏のやり口として、これより先もまたこれより後も、つねに変わらず、とりあえずまずは「あーれー」などというヒマも与えぬままむりやり押し倒してしまって、コトすべて完遂した後、
「へへへ、実は僕、源氏なんだ」
なんてことをシタリ顔で告白して、それを聞いた女のほうは、
「まっ、あの光の君さまだったの!? ちょっと強引だったし、痛かったけど、でも、でも、光の君さまなら、…ポッ」
と、うやむやのままにボーッとならざるをえない、というのが常套手段なのであるが、夕顔の場合、これがない。
 源氏はいつも彼女の前では、顔を隠しているのだ。ずっと後になるまで夕顔は、相手の名前はおろか容貌すらわからないまま。わずかに知り得るのは、声と肌の感じから若い男であるという程度でしかない。
 そんな、どこの誰とも知らぬ輩が毎晩毎晩通ってきては朝までカラダを自由にされてしまって、それでコーフンしてしまっているのだ。気が弱い、とか、おとなしい、とか、そういうレベルの問題ではないということは、一目瞭然であろう。それどころか、
《世になく、かたはなることなりとも、ひたぶるに従ふ=どんなに異常で外聞をはばかるようなことにも、ひたすら男の命ずるがままにされている》
というのだから、これはもう、そちらの方面の趣味を疑わないほうがおかしいではないか。
 よくわからないが「秘密クラブ」というか、そういう匂いもするわけであって、いったい《世になく、かたはなること》っていうのは具体的にはどういうものなのかしら、とドキドキしないではいられない。やっぱり、
「鞭」
とか、
「縄」
とか、
「ローソク」
とか、そういうことなのだろうか。…いやーん。ごめんなさい、コドモの出る幕ではございませんでした、と思わざるを得ない。

 そういえばこの夕顔、頭中将との間に娘までもうけておきながら、彼と別れているのである。そのあたりも、こうした「夕顔マゾ説」を裏付ける立派な状況証拠として考えられる。
 ふられた方の言い分を聞くと、
「おとなしすぎて、つまんない、と思ってたんだ」
とか言うのであるが、まあようするに、彼は夕顔のことが少しもわかってはいなかったのだ。頭中将といえば、源氏には及ばぬとしても、地位も富も第一級、葵の上の兄であるだけあって見目麗しく男気もあり、非の打ち所のない立派な青年である。そんな彼をふってしまうのだから、これはもう、
「あっちのほうがあわなかった」
と判断するしかない。

 頭中将は、後には須磨に左遷された源氏に、世をはばかることなく会いに行くような友達思いで豪快なところがあり、そのあたり、夕顔としても、そこらへんの青白い顔の公達にくらべて、
「夜のほうは、さぞかし激しく…」
と期待していたのだが、そういうわけではなかったらしい。彼はその後、源氏が手を出した女には、たとえ60歳の源典侍であろうと興味を持ったりしている。つまり源氏の行動を追体験することで、自分と源氏を重ね合わせようとしているわけで、本当に好きだったのはもしかしたら源氏だったのかもしれないと思えるフシがある。
 そのぶん、プレイボーイを気取りながらも実際には女に対して淡泊なところがあったのではあるまいか。鞭や縄どころかベッドの中で技巧を尽くすようなこともなく、夕顔にしてみれば、
「え? これだけ…?」
と、さぞかしガッカリだったはずである。頭中将の正妻から言いがかりをつけられたのを口実にして、さっさとおさらばしてしまった、というのが真相なのだろう。
 そんな彼女が、19歳の若い肉体を持て余しながら悶々として孤独な日々を送っていたところに、不意に現れた暗闇の謎の青年。夜ごと夜ごとに《世になく、かたはなること》の限りを尽くして、朝まで責めさいなんでくれる青年の出現に、彼女の心とカラダは一挙に燃え上がったに違いない。

 同じようなことが源氏にもいえる。
 現在の天皇の第2皇子として生まれ、臣籍に降下したとはいえ、左大臣の娘を妻に迎えて、宮廷での地位はトップレベル。富も名誉も唸るほどあり、才気煥発、歌舞音曲すべてに通じ、そして絶世の美形。おかげで女は漁り放題なのはいいが、それゆえにこそ人知れぬ悩みを抱えていた。嗜虐趣味というか、つまり鞭とか縄とか、そっちの方面が好きだったのにもかかわらず、そうした自分の性向を露わにできるような機会が、どうしても手に入らなかったのである。

 なまじ超有名人でみんなのアイドルであるだけに、そこらへんの女房相手にそんな趣味を露呈してしまったら、狭い宮廷社会、どんなことになるかはだいたい想像がつく。
「ねえ、知ってるー? 光の君さまって、鞭とか、縛りとか、そういうの、お好きなのよ。あたしも、この前…。ほら、見て、この鞭の跡が証拠よー!」
「いやーん、光の君さまって、そういう人だったのお。うっそー。ちょっと、ゲンメツー」
「えーっ、あたしあたし、光の君さまになら、縛られたーい」
「やあだ、あんたったら、そっちのケがあったのぉ、シッシッ、こっちに寄らないで」
などという会話があっちでもこっちでもヒソヒソ交わされるようになるのは必定。天皇を前にした朝議の際などにも、中年オヤジの参議あたりに、
「よおよお、聞いたぜ。おまえ、あっちの趣味があるんだってな。げへっ。カワイイ顔して、ひっでえやつだなあ。げひゃひゃ」
「光の君じゃなくて、“縛るの君”にしたほうがいいんじゃないの。ぐひょひょ」
などとからかわれたりして、イメージダウンは確実だ。
 これがふつうの身分、ふつうの容貌であったならば、
「ねえ、光クン、こんど、僕たちのサークルに入らない? いいコが揃ってるんだけど」
などという物陰のあやしい勧誘に応じることもできようが、スーパースターの源氏には、それができないのがつらい。

 だからといって妻を相手にしようとしても、周知の通り年上妻の葵の上ときたら、夜の営み自体に対して鼻でせせら笑っているようなところがあるので、とてもではないが、
「ねえ、葵さん、今晩、ちょっと趣向を変えて、縛りとか、やってみない?」
などとは口が裂けても言い出せる雰囲気ではない。
 そのうえ、このころの源氏の恋人である六条御息所は、どちらかというと縛られるよりも縛るほうが好きなタイプ。年上であるのをいいことに、源氏は完全に“若いツバメ”扱いなのである。
「お姉さんにまかせてくれれば、いいのよ…」
と、自分でリードするばかりで、鞭など持ち出そうものなら、
「うふふ、坊や、そんなのが好きだったのね…。いいわ、おしりを出しなさい…。お姉さんが鞭打ってあげるわ…」
などということになりかねない。

 夕顔が縛られたくても縛られない日々に悶々としているのと同様に、源氏も縛りたくても縛れない日々に、やはり物狂おしくあえいでいたのである。そんな彼にとって、突如目の前に現れたこの夕顔という正体不明のミステリアスな女は、まさにその欲望をそのままカタチにしたような存在だったといっていい。最初の訪問で、たぶんその道の人にしかわからぬような確かな“手応え”を感じた源氏は、
「これこそ、僕の求めていた女だ!!」
と、もう大コーフン。次の晩からは、鞭・縄・ローソクをはじめ、なんだかよくわかんないけど口にはめたりするのやら何やら、これまでヒソカに収集してはいたがついぞ使う機会に恵まれなかった大小各種の道具一式を持ち込んで、大いに活用したに違いない。

 こうした事実が明らかになってくると、源氏が夕顔に対してなかなか正体を明かさなかった理由についても、再考の余地が出てくるのではなかろうか。よく言われるのは、
「帝の子で富も権勢もある貴公子としての“光の君”であることから離れ、一個の男として、ありのままの自分として振る舞いたかった、そしてそんなありのままの自分を相手に認めてほしかった」
などということである。まあたしかに、先にも述べたように、本当は縛るのが好き、などという、光の君というより“縛るの君”である自分をありのままにさらけ出していたのだから、その通りといえばその通りである。が、しかし、それだけであるのか。
 この説明には、夕顔の視点が抜け落ちているような気がしてならない。源氏が夕顔に対して素性を明かしたがらなかった以上に、一方の夕顔も、源氏に対して素性を明かすよう求めなかったではないか。むしろ彼女は源氏に対して、謎の男のままでいることを欲していたのではあるまいか。
 というのも、夕顔にとって、夜ごと夜ごとの大コーフンの淫虐の宴の基礎は、ほかならぬこの「相手が誰だかわからない」ということにあったからである。源氏は名乗らないばかりでなく、覆面までしてるのだ。
「ああ、どこの誰とも知らぬ男に、あたし、こんなことされて…」
というシチュエーションが、激しくコーフンをもたらすのである。相手が誰だかわかってしまったら、そういう楽しみがなくなってしまうではないか。
 源氏もそれがよくわかっていた。せっかくこうして邂逅した万にひとりの天性マゾ女。自分の正体を明かして「あーあ、興醒め」などということになってしまっては元も子もない。細心の注意を払って、この「どこの誰とも知らぬ男にこんなことされて…」プレイに協力し、妖しい悦びを分かち合うことになったのである。

 などというと、世間のレディーの皆さまなどは、
「ちょっとね、あんた、さっきから黙って聞いていれば、いい気になって。んーもう、がまんできないわ! 私の源氏さまが、そんな、鞭とかローソクとか、そんな趣味があるわけ、ないじゃなーい! だいたい、何よ、そんな覆面プレイが好きだったら、どうして結局は正体をばらしちゃうのよ、エッ、どうなのよ!」
と激しく詰問するかもしれないが、しかし申し訳ないが、答えは簡単、単純なのだ。正体を明かしたのは、もちろん、「どこの誰とも知らぬ男にこんなことされて…」プレイをさらに上回る大コーフンの変態プレイを思いついてしまったから、に決まっているではないか。
 具体的にはそれがいかなるものであるか、それはちょっとこんなところに書くわけにはいかないのであるが、とにかく、大声ですすり泣いても絶叫をあげても隣近所に聞こえないような場所に移ることにして、五条のあたりにある某の院とかいう空き家を借り切ってしまうのだ。そうして二人きり、17歳と19歳の疲れを知らぬ若い肉体は、『陰獣』の静子さんと「私」のように、
《古ぼけた化け物屋敷のように広い家の中を、猟犬のように舌を出して、ハッハッと肩で息をしながら、もつれ合って駆け回った》
に違いない。

 さて、こうなってくると、このあとに続く夕顔の突然死にも、新たな光が照らされることになる。
 いままでの流れからして、彼女の死の原因は、これはもう、大コーフンのハードな変態プレイの挙げ句、
「わー、やりすぎた」
ということになってしまった、に決まっているではないか。おおかた、首を絞めるのにちょっと力が入りすぎたとか、鞭打ちの手元が狂ったとか、そういうことなのだろう。
「六条御息所の生き霊が取り殺した」
なんていう愚にもつかぬ言い分が、千年もの間鵜呑みにされてきたことのほうを不思議に思うべきであろう。

 とにかく、そうやって快楽の絶頂のさなか昇天してしまった夕顔だが、しかし残された源氏は甚だ困ってしまう。
「わー、死んじゃった、どうしよう」
ということになったが、しかし死人のカラダには、鞭の跡、縄の跡、ローソクの跡、いたるところを覆う青痣赤痣みみずばれ…。表沙汰にしてしまうのは、ちょっとまずい。そこで、
「そうだ、六条御息所のせいにしちゃえ」
と、このごろいいかげん煙たくなってきた、自分のことを坊や扱いするばかりの年上の愛人をバッサリ切り捨てることにした、というのが本当のところに違いない。
 六条御息所こそ、いい面の皮だ。年上のお姉さんを気取っていただけなのに、このくだらない告発のために、とんでもないやきもちやき女に仕立て上げられてしまった。若さゆえの残酷さ、ということなのかもしれないが、所詮、なんの変哲もないふつうの趣味嗜好しか持っていなかった東宮しか男を知らず、源氏のこうしたサディスティックな嗜好を見抜けなかった彼女自身の経験の浅さが仇になったのであろう。『化人幻戯』の由美子さんのように年下の男を籠絡するのは、なかなか難しいのだ。

 ところで、身から出た錆とはいえ、こうして自らの欲望を満たしてくれる女を失ってしまった源氏である。やり場のない欲情を押さえつけようとするあまり、瘧のような発作を何度も引き起こしてしまうほどだったというから、その失意のほどは尋常ではない。
「ああ、どこかに僕の望みを満たしてくれるマゾ女はいないものか…。鞭と縄とローソクにあえいでくれる女に、どうしたらめぐりあえるのだろう…」
と鬱々とした日々を過ごす中、ふと見出したひとりの美少女。
 ここで、源氏はハッと閃いてしまった。
「そうだ、めぐりあうのが困難なら、自分で創り出してしまえばいいのだ。子どものうちから調教しちゃえばいいのだ。源氏印のマゾ娘。むひょひょ」
 この美少女がのちの紫の上であることは、言うまでもなかろう。世間でよく取り沙汰されているように、源氏は彼女の中に藤壺の幻影ばかりを見出していたのではない。夕顔に替わる存在としての、理想のマゾを思い描いていたのである。

 ただ、そうして手ずから自分好みに育て上げた紫の上が、にもかかわらず必ずしも天性のマゾではなかったことに、源氏の不幸がある。思いつき自体はナイスなものであったが、結果は良好とはいえなかったのだ。そのことが、最終的な破局と失意を招くことになるのだが、それはまた別の話。ここで語ることではないだろう。
 ともあれ、一面では真実の愛を求める光源氏の華々しい恋愛絵巻のように思える『源氏物語』も、裏から見れば、歪んだ愛を求めてやまない“縛る源氏”の遍歴と挫折の物語という妖しい姿を持っているのだ。まさに、江戸川乱歩もびっくり。千年の古典は、やはり侮れない。



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