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夏の大三角関係
【織姫と彦星】






 七夕の日に願い事をするのは間違ってるんじゃないか、と子どものころから思っていた。
 七夕は織姫と彦星のデートの日なのである。
 それも、一年にたった一度の。

 この日が来るのを、織姫も彦星も、
「今度逢うときは、ああして、こうして、こーんなこともして、でもって、あーんなことも…きゃっ、やだ、あたしったら、何考えてんのよ、はずかしい!」
と、さまざまシミュレーションしながら、指折り数えて待っているのである。
 そんな恋人たちに対して、デート当日になっていきなり、
「すみやかにこの願い事を受理してください」
と夥しい短冊を押しつけてしまっていいものなのか。下手をすれば、せっかくのデートがぶち壊しになりかねない。

「ねえん、はやくぅん…」
「あっ、あっ、ちょっと待って」
「なあに? やっぱ、シャワー浴びてからのほうがいい?」
「い、いや、そーゆーことじゃなくて、…これ、仕事、まだこんなに残ってるの」
「キーッ! バカっ! 最低! あんたなんか、仕事と結婚すればいいのよっ! バシッ!」
ということになってしまうのではないか。

 さらに、処理すべき願い事の内容ときたら、どれもこれも益体もないものばかり。
「大きくなったらお嫁さんになりたいです」
「大人になったら野球選手になりたい」
といったものであれば、
「うふふ…、いいわ、おねえさんにまかせてくれれば、いいのよ…」
なんて気にもなろうが、
「営業の棚場タカシさんとおつきあいできますように」
などというものに関しては、
「なによっ、なんであたしがあんたに男を世話しなくちゃなんないのよ」
と、思わずムッとしてしまうのが人情というものだ。これから年に一度のお楽しみ!の二人にお願い事をするなんてのは、甚だしく不粋かつ非道なおこないなのではないかなあ。

 と思っていたのだが、よく考えてみれば織姫も彦星も七月七日以外は空いているのだから、残りの364日の間にお願い事の処理をしているのかもしれない。こう言うと、
「しかし織姫には機織り、彦星には牛牽き(?)の仕事があるのではないか」
と思うかたもいるだろうが、いやいや、そんなのは産業革命以前の昔の話である。今は両者ともホワイトカラー。全天に20個しかない一等星の一員として、ともに星社会の管理運営を担い、デスクワークに追われる毎日なのだ。

 とすると、織姫と彦星は、たとえば転勤で東京と大阪に離れ離れになってしまった現代の恋人たちの姿と、ぴったりと重なってくる。平日は仕事に打ち込んで、でも、週末には、
「彼が新幹線で、東京に来てくれるの…」
って感じで。
「わたしたち、遠距離恋愛、がんばってます」
 ううむ、なんとも健気ではないか。

 しかし、去るものは日々に疎しなのであり、万有引力と愛情の強さは2点間の距離の二乗に反比例するものと相場が決まっている。少し距離が離れるだけ、逢う回数が減るだけでも、往々にして二人の仲は冷めていくものなのである。ましてや織姫と彦星の間は、距離にして16光年、逢うのも一年に一度、たった一日。今まで別れずにいるのが不思議なくらいだ。未来永劫に堅牢強固な純愛のように見える織姫彦星のカップルも、意外な脆さを内包しているのである。

 伝え聞くところによると、近ごろ織姫がひそかに悩んでいるらしい。
 原因は、「夏の大三角形」である。なんだか知らないうちに、地上の者どもが、琴座のベガ(織姫)と鷲座のアルタイル(彦星)のカップルに、わざわざ白鳥座のデネブなんてものを加えて、「夏の大三角形」と呼んでいるのである。
 もっとも、はじめのうちは別に気にも留めていなかった織姫ではある。
「デネブ? 誰それ? ガイジン?」
 地球からの距離からして、織姫の26光年、彦星の17光年に比べて、デネブは1500光年と圧倒的に遠いのだ。そんな遠くにあるものを意識しろ、というほうが無理である。しかし火のないところに煙は立たないのであり、「夏の大三角形」などとひとまとめにされるからには何らかの関わりがないとはいえまい。
「でも、あたしはデネブなんて人、知らないしぃ…、ってことは、もしかして彦星が…」
 わー、なんだか急速に気になってきてしまった。
 言われてみれば、彦星は鷲座の人なのであり、鷲座と白鳥座なんて、なんだか相性がよさそうではないか。
「琴のあたしって、もしかして、除け者なのかしら…」

 いいや、たかが名前くらいで弱気になってはならない。
「そうよ、彼ったら、あたしに、指輪もくれたんだから…」
 琴座β星とγ星の中間にあるリング状星雲M57のことである。
「永遠の愛を誓うよ…って、言ってくれたんだもん」
 1500光年も離れたところにいる人なんかに、何ができるというのか。そう、1500光年…。

 あああ、でも、でも、1500光年も離れてるのをいいことに、あたしに内緒で…。えっ、まさか、…でも…。
 そういえば、あたしって、そのデネブって人のこと、名前しか知らないんだ…。
 女なのか男なのかさえ、はっきりわかってない…。そうだ、「白鳥」なんて優雅な名字だから、てっきり女だと思ってたけど、もしかして、男の人なのかも…。
 えっ、えっ、そんな、うそ…、彼にかぎって、そんなこと…。

 あっ、でも、だとしたら、あの噂…、ホントなのかしら…。彼、ギリシャのほうで、ガニメーデスっていう美少年をかどわかしたことがあるっていう…。
 それに、「デネブ」って、アラビア語で「にわとりの尾」を意味するんだって。あっ、いやーん、「デネブ」って「臀部」に似てるぅ。…やっぱり、彼ったら、おしりのほうが好きなのかしら…。
 えーっ、やだ、ってことは、もしかして、あたしって、ただの、カムフラージュ!? あーん、そんなのって、そんなのって…。

 夏の終わりの宵、頭上を見上げると、ひときわ明るく輝く三つの星が目に入る。織姫、彦星、そしてデネブ。
 …愛と疑惑が交錯する、夏の大三角関係である。



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