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父のこころ
【かぐや姫】






 いったい、どこがいけなかったのか、と思う。
 そりゃあ、まったく間違いがなかったわけではない。
 むしろ、ダメな父親だったかもしれない。さんざんに甘やかしてしまったのだ。蝶よ花よと、猫かわいがりにかわいがってきてしまった。十八年の間に、一度として叱ったことがない。
 理想の父親には程遠いと、言わざるをえないだろう。

 だが、しかたがないのだ。
 あの、黒目がちの澄んだ瞳に見つめられると、ついつい怒る気が失せてしまうのだ。ま、いっか、と大目に見てしまうのだ。
 ああ、それでも心を鬼にして叱っておけばよかった。少しくらい嫌われてもいい、厳しくしつけておけばよかった。
 今となっては、後悔ばかりが残る。

 そもそも、十八年前のあの夏、竹薮のなかであの子を見つけたときから、もうすでに何かが間違っていたのかもしれぬ。
 竹の節から生まれ出た、玉のように美しくかわいらしい女の子。
 子どもに恵まれぬまま老境にさしかかったわしら夫婦は、文字どおり狂喜したものだ。
 三日三晩、寝ないで名前を考えた。古今の書物を読破し、姓名判断を研究し、占い師に相談し、この愛らしい女の子にもっともふさわしい名前を探求した。
 かぐや。
 それがわしらがあの子に与えた名前だ。

 ああ、この名前が、もしかしたらその後の運命を予感させていたのかもしれない。
 もっと素直に単純に、竹から生まれた竹子姫、などと名付ければよかったのかもしれない。
 だが、当時のわしらには、それができなかった。そんなぞんざいなまねは、この美しい赤子に対する冒涜のような気がした。
 桃から生まれた男の子を桃太郎と名付けた夫婦がいると聞いて、なんと愚かなことをする、と嘲笑った。
 瓜から生まれた女の子に瓜子姫という名を与えたと聞いて、その愛情を疑った。
 その瓜子姫が嫁にも行かぬうちに天の邪鬼に殺されたと聞いて、いい加減な名前をつけた罰だ、と憐れむと同時に、自分たちの賢明な判断をひそかに快哉したものだ。
 ああ、しかし、わしは今、瓜子姫の二親を心から羨んでいる。彼らの心の中には、今なお何も知らぬ無垢なままの瓜子姫が生きているだろうから…。

 かぐやは、その美しい名前どおり、いや、名前以上に、美しく育っていった。まばゆいばかりの美貌は、年とともにその輝きをいや増していった。
 性格は天衣無縫。あるがままに、自然のままに振る舞っていた。
 まさに天女もかくや、と思われるほどだった。
 わしのことも、パパ、パパ、と慕ってくれてなあ。
 それをいいことに、十五歳のときまで、一緒にお風呂に入ってたもんなあ。
 あーあ、ばあさんさえとがめだてしなければ…。
 いやいや、そんなことじゃないんだ。
 とにかく、あんなに素直に、汚れなく育っていたはずなのに…。
 いつ、何があったのか…。

 あのとき、そうだ、ばあさんがいかんのだ。
 わしは、いつまでもかぐやに、そばにいてほしかった。いつまでもパパ、パパとまといついていてほしかった。
 それをばあさんめが、
「そろそろ、いい婿を見つけてやらんと…」
などと言い出しやがったのだ。

 ホントはわしはかぐやを嫁になんかやりたくなかったのだ。かぐやが誰かほかの男のものになるなんて、考えるだけで身が打ち震えた。
 かぐやの、あの潤んだ黒い瞳を、桜色の唇を、脱ぐと意外に豊かな乳房を(今だから言おう。わしは娘の入浴をときどきのぞいておった)、わしでない誰かが独占するなんて…。うーぐぐぐ。

 だが、一応良識ある大人として、そんなこと言うわけにはいかなかった。
「おお、かぐやももうそんな年頃か」
と、もののわかった父親のような言葉を口にすることしかできなかった。
 ちくしょう、ばあさんがあんなことを言い出さなければ、すべてはまるくおさまっていたのだ。わしは何も知らぬままでいられたのだ。かぐやが、わしのかぐやでいてくれていたはずなのだ。
 うう…。

 はじめから、何かがおかしいとは思っていた。
「相手のかたに、会うだけ会ってみるわ」
と、お見合いをしてはすぐに断る、その繰り返しばかりで…。
 都の名立たる若君たちのプロポーズに対しても、
「そうね、宝のなる木をプレゼントしてくれたら、考えてもいいわ」
などという無理難題をおしつけて…。

 そんなかぐやを見て、わしはひそかにほくそ笑んでおった。むふふ、かぐやのやつ、やっぱり、わしのそばから離れるのが嫌なんじゃろうて…、と思っておった。
 ああ、今から思えば、なんたる思い上り、なんたる愚かさ、浅はかさ。わしは、かぐやのことが、これっぽっちもわかっとらんかった。
 でも、それでもよかったのかも知れぬ。かぐやさえ、一緒にいてくれさえすれば…。

 だが、そんなわしの小さな望みも、ある日、あっけなく断ち切られた。
 いつものように求婚者を退屈そうに退けたあと、かぐやは昂然と立ち上がると、言ったのだ。
「じゃあ、あたし、そろそろ月に帰る」
 …? なんじゃ?
 はじめ、かぐやの言っとることが、理解できんかった。帰るって、おまえのうちはここじゃろうが。それに月って、なんじゃ、どこの月じゃ?

 …ああ、なんと、かぐやは月の住人だったんじゃ。月の住人は、成人するまで地球で育つというんじゃ。…そんなこと、最初に言っておいてくれよお。カッコウの托卵じゃあるまいし。
 それに何だ、なんで竹から生まれたんだ。竹薮に帰るっていうのならまだ納得できる。月の住人なら月から生まれなさいよ。うう…。
 わしは、必死に引き止めた。なりふりかまわず、それこそ、土下座して頼んだ。かぐや、おまえなしではわしは生きてはいけぬ。せめて、きっちり二十歳になって成人するまで、あと二年でいいからいておくれ、と。

 だが、おまえは、すました顔で、言い放った。
「やあよ、地球の男には、飽きたんだもん」
 なにっ? あああ飽きたって、おおおおまえ…。
「小さいし、下手だし、早いし」
 おおおおおまえ、ままままさか、が、ぐ、ぐわっ…。
「月の男って、すごいっていうじゃない」
 あがが、がぐわ、げ、げ、ご…。

 わしは、狂った。とり乱した。
 かぐや、おまえはパパひとりのものだったはずだ。パパ、パパって、パパ一緒に遊んでって、パパ一緒にお風呂入ろうって…、パパだけのかぐやだったではないか。
 わしはそう思ってたのに…。
 ずっとそう思ってたのに…。
 ぐわーっ、がーっ、がひーっ。

 ふとわれに返ったときには、すでにかぐやは月に帰ってしまっていた。
 たいそうな行列が迎えにきて、並み居る男たちを蹴散らして、かぐやを連れていったそうだ。
 かぐやが残していったのは、
「あたしがいなくても生きていけるように、これ、置いといてあげるわ」
という、不老長寿の薬だけ。ばからしい。わしに必要なのは、おまえだけだ。
 それに、もうわしは、こんなにヨレヨレのショボショボ。今から不老不死になったところで、ばあさん相手に、何をするでもない、しょうもないではないか。

 ああ、かぐや…。
 わしの愛しい娘…。
 一目でいい、もう一度、その笑顔を見せておくれ。
 そうして、パパ、って呼んでおくれ…。
 かぐや…。
 月の男に飽きたら、いつでも、わしのところに戻ってきていいのだよ…。



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