さるかに合戦殺人事件 |
【さるかに合戦】 |
そもそもの発端は、25年も前の出来事だ。 そのころ高校生だった倉部カニ子がつきあってたのは、尾武スビ造ってやつだった。 なあに、たいした男じゃあない。三角頭でね。ちょっと見た目がいいだけの男さ。 だが若かったカニ子は、そいつに相当いれあげていた。ぞっこんだったってわけだ。 「彼のこと、食べちゃいたいくらい好きなの…」 なんて感じでさ。男のほうもまんざらでもなかったみたいだな。端から見てもけっこう仲良くやってたそうだ。 だがな、そんな二人の仲も、長くは続かなかった。 ああ、そうだ。ぶち壊されたんだよ。門木サル子にな。 はじめから、サル子はカニ子を毛嫌いしていた。憎んでいた。さしたる理由なんか、ない。ただ、カニ子の幸せが、我慢ならなかったんだ。 このときも、サル子は別にスビ造が気に入ったってわけじゃないんだ。ただ、カニ子の幸福そうな顔が、癪にさわったってだけさ。 「カニ子のくせに、生意気よ」 ってね。それだけの理由で、やつはスビ造を誘惑したんだ。 「うふうん、あなたのこと、食べて、ア・ゲ・ル…」 とでも言って、迫ったんだろうよ。ハッ。やつは昔から、そんな女だったのさ。 スビ造も所詮、つまらん男だ。いとも簡単に、カニ子を裏切りやがった。 まあたしかに、サル子はあのとおり、男好きのする体だったからな。ヘッ。ちょっと毛深いけどな。ま、でも、ものがたくて扁平なカニ子に比べれば、さぞかし魅力的だったろうから‥‥。 当然、カニ子は怒ったよ。いくらお人好しでも、そんな仕打ちをされて、黙っていられるわけがない。 だがな、サル子はへらへら笑うばかりだった。 「あらあ、そんなに怒ること、ないじゃなあい」 って。ハッ。 そのうえ、やつはひどいことを考えた。 「そんなに怒るんなら、しょうがないわねえ、あたしが、いい男、紹介してあげる」 そこで連れてきたのが、柿野タネ太だ。サル子の男友達の弟だったんだ。当時、タネ太はまだ中学生でね。単なる色黒のチビだった。 ケッ、サル子のやつ、口ではお為ごかしなことを言っておきながら、肚の底では、 「あんたみたいな幼児体型には、こんなのがお似合いよ」 なんて、嘲ら笑っていたのさ。 けどなあ、カニ子は、やっぱり真面目で素直な女だったんだよ。 「これも何かの縁かもしれないわ」 と、四つも年下の相手と、真剣につきあいはじめたんだ。健気に甲斐甲斐しく世話なんかしてさ。 「早く大きくなって、わたし好みの男になってね」 とか言ってな。 チビの中学生だって、そりゃ、時がたてば成長する。タネ太は意外に逞しい男になった。そうして堅実な交際を続けて、八年後、タネ太が大学を卒業するとすぐ、二人は結婚したのさ。 「うふふ、桃栗三年、柿八年よ」 って、間もなく腹に赤ん坊もできて、カニ子の幸せは頂点に達したんだ。 だが…、そこまでだった。幸せはそれで終わりだった。またしても、門木サル子が現れたのさ。 そのころサル子は水商売を転々としていたんだが、どこで聞いたかカニ子の結婚生活を知って、また例の虫が頭をもたげたんだ。カニ子の幸せをめちゃめちゃにしてやろうってな。ケッ。あいつにとっては、単なる気晴らしにしかすぎなかったんだ。カニ子の打ちのめされた顔が見たかっただけなんだよ。それだけのために、今度はタネ太を誘惑しやがった。 まあさすがに結婚してるわけだからな。簡単にはなびかなかった。だが所詮、女といってカニ子しか知らないタネ太さ。結局は、 「あはあん、カニ子なんかより、もっとすごおいこと、あたしが、してア・ゲ・ル…」 なんて囁きによろけちまった。手に手を取って、逐電さ。さあ、タネ太がそのあとどうなったかは知らないね。どうせあっけなく捨てられただろうよ。ケッ。 大きな腹をかかえたまま置き去りにされたカニ子は、いきなり絶望のどん底さ。やがて失意のうちに出産を迎え、なんとか赤ん坊を生み落としはしたが、自分はそのまま死んじまった。ハハハ、幸薄い一生だったってわけだ。 ひとり残った赤ん坊は、親類がひきとることになった。カニ夫と名づけられてな。それなりに不自由なく育っていったんだ。 …だが、ある日、知ってしまった。亡母の遺品のなかにあった日記を読んでしまったのさ。愛する人を奪ったサル子に対する恨み辛み、怨念を、凄まじい筆致で書き綴った日記を…。 そして、少年は悟ったんだ。自分は、その母にかわってサル子をうち滅ぼすために、この世に生を受けたのだ、と。その日を境にカニ夫は、復讐の蟹、いや、鬼と化したのさ。 知ってのとおり、そのころにはサル子はS興産社長の二号としてクラブのママにおさまっていたから、さがしだすのはわけもなかった。あとは近づくだけだ。 カニ夫は素性を偽り、偶然を装ってサル子の前に現れた。いかにもウブな高校生のふりをしてな。それから徐々に関係を深めていき…、ヘッ、若い肉体に飢えていたんだろう、たちまちカニ夫はお気に入りのツバメになりおおせたってわけだ。ハッ、愚かな女さ。 そうして、ついに復讐のときがきた。これから先は、あんたが推理したとおりだよ。栗と蜂によるトラップを使って、最後は牛の糞に滑って臼の下敷き、ぺしゃんこさ。 フハハハ、思い出すだけでも痛快だね。ハ、ハ、ハ。そうさ、そのとおり、俺がカニ夫だよ。ハハハ。俺がカニ子の忘れ形見だと知ったときの、あのサル子の顔といったら…、フハハ、あんたにも見せたかったよ。 それにしても、完全犯罪になるかと思ったのだが…、フフフ、さすがだな。よくぞ見破った、明智探偵! そう言ってカニ夫は、もう一度甲高い笑い声をあげると、いきなり断崖絶壁から身を投じたのであった。 これが世にいう「さるかに合戦殺人事件」の終幕である。 「おそろしい事件だった…」 と、のちに明智小五郎は述懐している。 |