秘本・菊の花咲じいさん |
【花咲じいさん】 |
「裏ん畑でポチがないとるわいの」 と、そのころ村ん衆は顔あわせるたんびに言ったもんじゃ。 「おうおう、ようないとるわ。ヒッヒッ」 そう言うて下品な笑いば浮かべるんが、挨拶がわりになっとったんじゃと。 ポチいうんは、しばらく前からじじんとこにおるポチ吉んことじゃ。じじは、 「死んだばあさんば親戚ん子じゃ」 言うとったが、もっちろん、そんたらこと、だんれも信じとらんかった。まあ昔は人情がおおらかだったでの、わざわざ詮索しよう思うもんも、おらんかったんじゃ。 まあ、ほんのところ、じじにしたって、ポチ吉が何もんなんか、ようわかっとらんかった。なんせ、ある日、野良仕事しとって、ふいと顔あげると、十二三ならん男の子が、じじんことじっと見つめとったんじゃ。着とるもんは、なんたらみすぼらしいようすじゃったが、雪んごつ白くてすべっこい肌での、桜ん花びらんごつつぶこい唇ちょびとほうけて、闇夜んごつ黒い瞳で、じいっとじじば見とったんじゃと。 そりゃあもう、むしゃぶりつきとうなるげなめんこい男の子じゃった。そんでの、じじは思わず、むしゃぶりついてまったんだと。あじゃべえわなあ。 いんや、一応じじんため言うとくと、今までじじは、男の子めめこしたことなんぞ、一度もなかったんじゃよ。そんどころか、ばあさん死んでからいうもの、すっかり枯れてまっての、若い女子ん白い脛にも、ちょぼともせんかった。それが、そん男の子見たとたん、 「十年ぶりに、むくむくと」 なってまったんだと。それほどめんこい男の子じゃった、いうことじゃわいの。ヒッヒッ。 そげなことがあって、なんとのう男の子はじじんとこに居着いてもうた。名前たずねると、 「名なぞ、ない」 言うで、ポチ吉と名づけての、それはそれはかわいがった。昼かわいがって、夜かわいがって、また昼かわいがったんじゃと。 裏ん畑で仕事しとっても、ポチ吉が日に一度は、真っ黒な瞳うるませてじじ見上げての、 「掘って…ねえ、ここ、掘って…」 言うもんでの、じじもまあ張り切ってまってなあ、ポチ吉ば随喜のなき声は、村中にこだましたそうじゃわい。 ところでの、じじんとこば隣には、隣のじじが住んどったんだげの、隣のじじは、じじんことが、羨まして羨まして、しかたがなかった。 「一度でええ、わしもポチめを押し倒して組み敷いて…」 ひそかに、思い遂げる機会ば狙っとったんじゃと。 そうしとるうちに、ある日じじは、ちいとばかし用があっての、ポチ吉ひとりおいて、山向こうば村まで出かけたんじゃ。隣のじじはもう、大喜びじゃわい。褌ほどくももどかしく、鼻ん下なごうして、じじんとこにのりこんで、ポチ吉に迫ったんじゃと。 「ポチ、わしのもんになれ」 もちろんポチ吉は拒んだわなあ。 「いやじゃ、いやじゃ。おまえみたいな貧相なじじは、いやじゃ。はよう去ね去ね」 言ったもんじゃ。それ聞いて隣のじじはカーッとなってまっての、かわいさ余って憎さ何とやらじゃ。いきなりポチ吉に飛びかかって、ぎりぎり首しめて殺してしもうた。 さあ、用済まして帰ってきたじじは、驚いたわいの。 「ポチ、ポチ、わしのポチ、なんで死んどるんじゃ」 言うて、泣き叫んだそうじゃ。だども一度死んだもんは生き返らん。思い切れんままポチ吉の死に顔じーっと眺めとるうちに、短かった悦楽の日々が思い出されての、そんでもって目ん前のポチ吉は、生きとったときより真っ白で、すべっこくて、めんこくて…。じじは何や知らん、おかしな気分になってまったんじゃなあ。気いついたときには、ポチ吉の骸と、いたしてしもうとったんじゃと。ぺったんぺったん、つきまくってまったんだわ。なんとまあ、ほんじゃけりゃなことだわなあ。 だども、己れがやっとるんは人外んことじゃいう気分ばせいかのう、それがまた、いかくいかく心持ちええことだったんじゃと。 それな、隣のじじは壁ん穴から、じーっと見とった。 「しまった。わしもああすりゃよかったんじゃ」 地団駄踏んで、くやしがっとった。そうして夜更けて、じじが疲れ果てて寝てまうと、こっそり忍びこんでの、ポチ吉の骸ば盗みだしてしもうたんじゃと。んでな、早速、 「ポチ、今度こそ、おまえはわしのもんじゃあ」 言うて、挑みかかったんじゃがなあ。悪いことはできんもんじゃ、死後硬直いうもんが始まっとっての、いたすにもいたせんかったんじゃ。さあ、隣のじじは怒り狂ってもうた。 「おまえは死んでからもわしのこと嫌うんかあ」 と、ポチ吉の骸に火つけて、燃やしてもうた。その灰ば笊に入れて、じじんとこにこっそり戻して、寝てまったと。 朝になって、目え覚ましたじじは、また驚いたわいの。 「ポチ、ポチ、わしのポチ、なんで灰になっとるんじゃ」 言うて、泣き叫んだそうじゃ。だども一度灰になったもんは元には戻らん。思い切れんまま笊一杯ん灰をじーっと眺めとるうちに、短かった悦楽の日々が思い出されての、じじは何や知らん、おかしな気分になってまったんじゃなあ。気いついたときには、笊ん灰をひっつかんでは、バサリ、バサリ、散り撒いとったんじゃと。もう一面ば灰神楽じゃ。 そうして、そん真っ白ば灰んなかでじじが見とったんは、夢ばかりな菊ん園じゃった。ポチ吉んごつ真っ白で妖しげな菊ん花が、しっとり露に濡れて、あっちにふうわり、こっちにふうわり、あたり一面咲きこぼれて、いかくいかく心持ちええことになってまったんじゃ。そんでな、いつしかじじば口からは、 「うふふ、うふふふふふ‥‥」 悦びの笑い声がもれとったんじゃと。 それな、声聞きつけた隣のじじが、壁ん穴からじーっと見とった。 「しまった。わしもああすりゃよかったんじゃ」 地団駄踏んで、くやしがったんなんの。じじが何もようわからんことになっとるんを幸いに、こっそり灰ば笊ごと盗みだしてしもうたんじゃと。んでな、早速、 「今度こそ、わしも心持ちえかくなるんじゃあ」 言うて、バーッと散り撒いたんじゃがなあ。一面、白い灰が舞うばかり、撒けども撒けども、一向に心持ちええことにならんかったと。そりゃそうじゃげなあ。 そんでも隣のじじは灰まみれになって、撒いて撒いて撒きまくっとったんじゃが、通りかかった村ん衆が見ての、 「あれ、隣のじじが、気い違うとる、気い違うとる」 村中に触れ回ってなあ、とうとう隣のじじは庄屋さまば蔵ん地下牢におしこまれてまったと。 これでおしまい、ずんどこばってんこ、ほんじゃぎり。 |