本読みホームページ その3
[実践3]単語の持つイメージにこだわる






なぜ「石炭」なのか




『舞姫』森鴎外
選ばれてドイツに留学し、踊り子のエリスと恋に落ちた豊太郎。だが、ふたりの仲が引き裂かれるときが来た…。異国的な背景と典雅な文章の間に哀切な詩情を湛える名品。
(岩波文庫『舞姫・うたかたの記 他三篇』、¥400)
最初の一行は、一行しかないのですから、そこに書かれている文字は、数十字しかありません。その数十字から原稿用紙2枚、3枚の話をつくりあげていくわけですから、限られた材料を目一杯活用しなくてはいけません。たとえば、ひとつの単語をとりあげて、そのイメージから連想できることを文章にする、といったことが必要です。




「石炭をば早や積み果てつ。」
『舞姫』の冒頭である。驚いた。いきなり、
「石炭」
なのだ。舞姫という、天上の高みに遊ぶような麗しいタイトルの後に、唐突に、
「石炭」
これは、ショックだ。
初めて会った女の子、美しく爽やかな感じの女の子が目の前にいたとして、彼女はどんな声をしているのだろう、鈴の鳴るような軽やかな声なのかなあ、などと期待したら、いきなり、
「ゲップ」
そんな感じの冒頭なのだ。
こともあろうに、こんな言葉から始めてしまうとは、鴎外は何を考えているのだろうか。

石炭といえば、黒だ。闇だ。漆黒、暗黒のイメージだ。
黒、闇といえば、暗くて怖くておぞましいもので、嫌な感じでちょっとそばに来て欲しくないような、友達にはしたくないような、そんなイメージが、すぐ思い浮かぶ。
しかし、本当にそれだけだろうか。石炭は、暗くておぞましくて嫌な感じなだけなのだろうか。

そうあらためて問い直してみると、実は、黒、闇、といっても石炭のそれは、そういったマイナスのイメージばかりがつきまとっているわけではないかもしれない。
たとえば、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に出てくる「石炭袋」は、天の川にどほんと空いている穴ではあるが、それは必ずしも恐ろしいものではない。なにしろ、カンパネルラは、そこにほんとうのさいわいを見出すのだ。底知れぬ闇の中には、何か明るいものが秘められているのである(注)
考えてみれば、石炭は燃料なのだ。燃えるのだ。一度火がつけば、カッカッと真っ赤になって高熱を発するのである。黒、闇、といっても、実はそうした熱くたぎるエネルギーを秘めた黒であり、闇なのである。いわば、胎動を秘めた漆黒、動を予感させる静。そんなイメージを持っているのが石炭なのだといえるだろう。

そう思って、ふたたび『舞姫』の冒頭に目を転じてみよう。
「石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと靜にて、熾熱燈(しねつとう)の光の晴れがましきも徒なり。」
地味ではありながらも内に力強さを秘め、確かな存在感に満ちた石炭。その後に続くのは、晴れがましくはあっても「徒」な熾熱燈の光だ。前に置かれた石炭に比べると、その熾熱燈の光の白さは、なんとそらぞらしく、そして虚しいことだろう。

もし小説の冒頭に、その小説のすべてがあるとしたら、そしてこの『舞姫』の一行に、青年官僚が欧州へと赴き、そこで女をつくって捨てて逃げて、女は発狂した、というストーリーのすべてが込められているとしたら、この冒頭にある石炭と熾熱燈の光は、それぞれが青年官僚たる「余」と女エリスとを象徴してはいないだろうか。

そしてその石炭の力強さ、熾熱燈の光の虚しさを考えると、この冒頭の一行は、「余」の大胆不敵ともいうべき自己肯定宣言と考えてもいいように思える。どれほど晴れがましかろうと、女なんて、何ほどでもない。確かなのは、石炭だ。余だ。余の力強さ、エネルギーなのだ!
冒頭、いきなり「石炭」で始まるのも、それゆえだろう。「舞姫」というタイトルで、一瞬、宙に遊んだ心が、ここでガツンと一発見舞われる。そうか、これは男の物語か! 読者は襟を正して、鴎外の語りを拝聴するしかない。『舞姫』などというタイトルをつけておきながら、この作品には、鴎外のそんなふてぶてしいまでの気概、自己中心的なまでのパワーが込められているのではなかろうか。



(注)このように、他の作品のことを織り込むと、なんとなくたくさん読書をしている人のような印象を与えることができて効果的です。
ちなみに、この文章は、20字×20行の400字詰め原稿用紙4枚分に相当します。
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