本読みホームページ その2
[実践2]もっともらしいことを勝手に述べる






『変身』に見る
アイデンティティの分裂




『変身』カフカ
ある朝、いきなり毒虫になっていたザムザ。変身した彼の生活過程をきわめて即物的に描いたこの作品は、20世紀実存主義の先駆けとされている。
(高橋義孝訳、新潮文庫、¥324))
くだらないことというのは、たとえそれがどれほど創造性に満ちていても、ほとんどの場合は、ふふんと鼻先で一蹴されてしまいます。一方、もっともらしいことというのは、それがどれほど陳腐なものであっても、また間違ったものであっても、なんとなく納得されてしまうものです。ここでは、話の内容とは関係があってもなくても、とにかくてきとうにもっともらしいことを並べ立てることによって、相手に「まじめに考えているな」と力技で思わせてしまうような読書感想文を書いてみましょう。



「ある朝、グレゴール・ザムザがなにか気掛かりな夢から眼をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な毒虫に変わっているのを発見した。」
冒頭、いきなり読者は驚愕せざるを得ない。何しろ、目覚めたら毒虫、なのだ。
これが仮に毒虫ではなくて、人気のセクシーアイドルやかわいらしいハムスターに変わっていたところで、どうであろう。夢かと思い頬をつねり、愕然とし慌てふためき、恐れおののき神に祈り、悲鳴を上げ、果ては失禁、白目を剥いて気絶するか、見なかったことにしてもう一度寝直すか、そんなところが関の山だ。
それが、こともあろうに、他の何ものでもない、毒虫なのだ。巨大な毒虫なのである。主人公グレゴール・ザムザの驚きと恐怖たるや、いかばかりであろうか!と心を痛めつつふと目を次の言葉に転じると、「発見した」とある。
「発見した」? 待てよ…。

こんなとき、人はふつう「発見した」などと言うだろうか?
たとえば、寝ている間に腕を身体の下に敷いてしまったりしていて、目覚めると腕がしびれていることがときどきある(注1)が、こんな場合、人は、
「自分の腕がしびれているのを発見した」
などと言わない。あくまで、
「腕がしびれていた」
のである。
またあるいは、寝違えて首が痛くなっている場合でも、
「寝違えているのを発見した」
などと言わないだろう。やはり、
「寝違えていた」
と言うはずだ。
それに対して、ザムザは、さも当然であるかのように、自分が毒虫になっていることを「発見」する。まるでそれが、自分のことではないかのように、客体として、毒虫である自分を発見するのだ。
これは、何を意味するのだろうか。

毒虫に変身していた、などというショッキングな事実に惑わされていたが、もしかしたら、そんなことは二次的なものに過ぎないかもしれない。むしろ問題とすべきは、この「発見」なのかもしれない。
すなわち、自分が毒虫であることを発見する、というのは、換言すれば、発見する自分、主体である自分と、発見される客体である自分が、乖離しているということなのではないか。(注2)
グレゴール・ザムザは、冒頭からいきなり毒虫になっているわけだが、むしろそれ以上に、冒頭からいきなり、一個人でありながらこのように自己そのものがふたつに分裂しているのだ。そちらにこそ、われわれは注目しなくてはならない。

この後、物語が展開するに従って、彼グレゴール・ザムザが毒虫としての自分に同化していくとすれば、それはとりもなおさず、冒頭で分裂してしまっていた自己の再統合、そして新たなるアイデンティティの確立への道程、といえるのではないだろうか。
考えてみれば、人というものは、ときとして自分の中に、これまでまったく気づかなかった面、嫌な面を見出すことがある。そんな自分に対して、見なかったことにしたり、あんなのは自分じゃない、と否定してしまったりすることがあるだろう。
だが、結局のところ、そんな嫌な自分も、ほかならぬ自分であることにはかわりないのだ。それを自分と認めたうえで、自分というひとつのアイデンティティの一部として、その中に位置づけることが必要なのである。
カフカ『変身』は、われわれにそんなメッセージを投げ掛けているのではなかろうか。(注3)


(注1)このように、自分の身近なところに関連づけて考えるのも、ひとつの手です。
(注2)すでにこのあたりから、書き手は自分でも何を書いているんだか、理解不能になっています。一般的によい読書感想文は自分で何を書いているかわかっているものなのですが、この場合のように「もっともらしいことを勝手に書く」ために難しいことを持ち出してきてしまった場合は、もうとにかく最後まで力ずくで突き進んでいくと、迷いのない、すっきりとした感想文になります。
(注3)最後を問いかけで締めくくると、なんとなく考え深げな感じがして、好印象です。読書感想文の基本的なテクニックのひとつですので、ぜひとも覚えておきましょう。
ちなみに、ここまでで20字×20行の400字詰め原稿用紙4枚分に相当します。
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