本読みホームページ その1
[実践1]デフォルトのイメージを大切にする





『雪国』を読んで




『雪国』川端康成
親譲りの財産で暮らす島村は、雪深い温泉町で芸者駒子と出会う。彼女の情熱的で一途な生き方に心惹かれながらも、一方で非情なまでの冷たさを保つ島村。人の世の哀しさと美しさの極致を描いた不朽の名作。
(新潮文庫、¥324)

本を読んだ後の感想も大切ですが、本を読む前に持っていた、その本に対する思い込みもまた大切です。ここでは1行しか本を読まないわけですから、その思い込みは、さらにさらに大切になります。もともとのイメージを、実際に読んでからの印象とうまく対比することで、感想文の内容に奥行きが出るからです。



「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。」
というのは、名文である、ということになっている。
少なくとも、誰もが知っている。
「実は『雪国』、読んだことないんです」
という人でも知っている。もちろん、私も知っていた。もっとも、
「トンネルを抜けると、そこは雪国であった。」
なんていう、ちょっといい加減な覚えかただったけれども。

とはいえ、ここからイメージされる情景は同じだ。暗くて長いトンネルを、ガタン、ガタンと汽車に揺られ、そして突然、闇の世界から外へと抜けだし、パーッと一面に広がる銀世界! 陽光を浴びてキラキラキラキラと輝く白銀の世界の中を、黒い汽車が煙を上げながら、シュポ、シュポ、シュポ、ゴーッと、力強くひた走っていく…。
そんな風景だ。
それはもしかしたら、日本人の心の原風景を、そのまま形にして表したものなのかもしれない。

と思っていたのだが、この『雪国』を実際に読み始めると(注1)、わっ、なんだ、違うではないか。
この冒頭の一文には、次の文章が続いている。
「夜の底が白くなった。」
…夜なのだ。
真っ暗な、夜なのだ。
ということは、雪は陽光を浴びてキラキラと輝いていないのであり、つまり、あたりは一面の銀世界ではないのだ。

何ということだ!
だまされた。心の原風景は、幻想だったのだ。
暗いトンネルを抜けて、目のくらむような明るい真っ白の世界に飛び込んで、
「あーっ、雪国だあ!」
と、新鮮な感動に打ち震える気持ちなど、どこにもない。
ただ、トンネルを抜けて、でも相変わらず暗くて、ただまあ一応地面のほうは白くて、どうやら雪が積もっているらしくて、だから、
「ああ、雪国か、そうか」
そんな、世をすねた中年男のような無感動な響きが、この一文の正体だったのだ。

さらに、追い打ちをかけるように、
「信号所に汽車が止まった。」
汽車は止まってしまうのだ。野も山も雪に覆われた銀世界を、ボオーッと煙を吐きながらシュポシュポと汽車が走っていく遠景もなし。
私がはじめに思い描いていたような、美しくも力強い雪国のイメージは、完膚無きまで破壊し尽くされてしまった。
まったく、サギではないか!
今までずっと心の中に静かに育んできた、あの美しいイメージを、どうしてくれるのだ!
ここにいたって、私は思わず、本を投げ出してしまった。(注2)



(注1)ここまで、最初の一行すら読んでいません。本を読まなくても、デフォルトのイメージだけで、これだけ書けるわけです。ほら、読書感想文なんて、簡単でしょ。

(注2)ここまでで、20字×20行の400字詰め原稿用紙3枚分です。これで終わりにしてもいいのですが、もう少し内容について知っている場合は、この最後の一文にかえて、次のような感じに続けてもいいでしょう。


まったく、こんな文章の、どこが名文なのか。
こんなことを書く作家の、何がノーベル賞なのか。
と、出だしから甚だしい疑問を感じつつ読み始めたわけであるが、それにしても、この小説に出てくる島村というのは、どうしようもない男だ。
駒子に気があるようなないような、気があると見せかけているような見せかけていないような、何とも煮え切らぬ男である。
素直な感情の発露などとは無縁。頭で恋愛するタイプ、という感じだ。

しかし、そう考えると、実は冒頭の一文、
「ああ、雪国か、そうか」
というのは、いかにもこの島村のような男が考えそうなことのように思えてくる。
世をすねて、無感動で、新鮮味がなくて、投げやりで、情よりも知が先行するタイプ。『雪国』の最初の一行には、そんな島村の性格が、見事に、端的に表現されていると言ってもいいのではないか。
いや、さらに言えば、この『雪国』そのもののエッセンスが、この一行に凝縮している、と言ってもいい。汽車が信号所で止まってしまうところなど、とくにそうである。はじめの一行が、物語のすべてを、暗示しているかのようである。

となると、そうした意味で、やはりこの冒頭の一文というのは名文なのかもしれない、ということになる。川端康成はやっぱりノーベル賞だ、ということになる。
まったく、複雑な気持ちだ。
これだから、文学作品というやつは、そして文豪というやつは、侮れない。


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