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読書感想文を書くための3つの鉄則


1行読むだけで
読書感想文を書くために


(1)ダメダメな読書感想文

セリヌンティウスが刑場いっぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴ったとき、メロスはどう思ったのだろうか。僕は、メロスはそんなに痛くないと思ったと思う。なぜかというと、メロスはそれまで一生懸命走ってきて、すごい濁流になっている川を満身の力を腕にこめて渡って、王の命令で待ち伏せしていた山賊を殴り倒して走ったんだけど、でも疲れてどうでもいいと思って、ぐったり横になって寝ちゃったりしたんだけど、でもやっぱり思い直して、どんどん走って、頭を空っぽにして走って、ついに間にあって、よかった、と思っているからだ。これが本当の友情だと思う。暴君ディオニスが感動して心をいれかえたのも当然だと思う。こんな友情を感じることができるメロスやセリヌンティウスのような友人を僕も持ちたいと思う。

…などというのが、いわゆる、ダメな読書感想文である。
ダメである。
いや、もうホントにダメダメである。
夏休みの最後になって、あるいは宿題提出日の前日の夜になって、どうしても読書感想文を書く必要に迫られて、しかし今さら長い本を1冊読むことなど肉体的にも、またそれ以上に精神的にも不可能で、切羽詰まって血走った目で天を仰いだあげく、
「くわーっ!そうだ!もうこうなったらアレだ、去年の国語の教科書に載っていたアレでごまかそう!」
と、ムリヤリ原稿用紙のマス目を埋めたのがバレバレではないか。


(2)ダメダメな読書感想文とは、何がダメダメか

それでは、この誰が見てもダメダメな読書感想文は、具体的には何がどうダメダメなのだろうか。

(A)あらすじを書いている
ダメダメな読書感想文に共通するのは、あらすじを書いてしまっている、ということである。この場合は、メロスが走って濁流を渡って山賊を殴り倒して云々、などと延々と書き連ねてしまっているのが、それにあたる。
あらすじなんてものは別に読書感想文に書かなくても本読めばわかるのであり、国語の教師に読ませる感想文にそんなことを書いたところで、釈迦に説法というか何というか、とにかくチャンチャラおかしいだけである。
それに、あらすじを書くためにはそれなりにちゃんと読まなくちゃいけないわけで、めんどうではないか。

(B)登場人物の気持ちになって考えている
国語の教育では、なぜか小学生のうちから、
「このとき、ゆうこはどう思ったのでしょうか。次のア〜エのうちからいちばん近いものをえらびなさい」
などというつまらない問題をやっているせいで、とかく登場人物の気持ちを考えるクセがついているのかもしれないが、読書感想文でそんなことをやっても、陳腐なだけである。
セリヌンティウスに頬を殴られたメロスが、
「くそー、痛い、よくもやったな、もう友達でも何でもない」
とか、
「えーと、今日の夕ご飯は何にしようかな」
とか、そんなこと思ってるわけないではないか。
答えはある程度わかりきっているものなのであるから、それについて評論家でも何でもない一介の読者がわざわざ考えても、当たり障りのないことしか出てこないのであり、ようするに、無駄でしかないのだ。

(C)正しいテーマを探している
「これが本当の友情だと思う」なんて、よくもまあそんな当たり前で恥ずかしいことを臆面もなくさらさらと言えたものだ。そんなことを書くから、読書感想文が一挙に薄っぺらで浅はかなものになってしまうのである。
読書感想文とは、その本を通じて、自分自身が何を感じ、何を考えたか、を伝えるものなのだ。「友情」などという大文字のたいそうなテーマを持ち出してきたら、自分が何も考えてないのがミエミエになってしまうではないか。
ここなら、たとえば、メロスとセリヌンティウスの間のホモな関係を疑ってこそ、真に自分の考えを表明する読書感想文になるのである。
忘れてはならないのは、読書感想文だって、ふつうの作文と同じで、それはつまりひとつの「創作」である、ということなのだ。


(3)読書感想文、3つの鉄則

となると、ダメダメではない、正しい読書感想文を書くための道は、おのずと明らかになってこよう。すなわち、まずは上の(A)〜(C)を決して書かなければいいのだ。
「読書感想文、3つの鉄則」として、ぜひとも覚えておいてもらいたい。
(鉄則1)あらすじを書かない
(鉄則2)登場人物の気持ちを考えない
(鉄則3)正しいテーマを探さない

ではいったい、これらのかわりに読書感想文には何を書けばいいのか、ということになるのだが、簡単である。これらの鉄則を裏返してみればいいだけだ。
つまり、あらすじを書かないかわりに、
「話と関係ないことを書く」
のであり、登場人物の気持ちを考えないかわりに、
「自分の気持ちと考えだけを書く」
のであり、正しいテーマを探さないかわりに、
「自分で勝手にテーマをつくる」
のである。実に単純ではないか。


(4)ダメダメな読書感想文を鉄則に従って直す

ここで、実際に、これらの鉄則に従って、冒頭のダメダメな感想文を書き改めてみよう。

セリヌンティウスがメロスの頬を殴るのだが、この場面には、ちょっとあやしいものを感じざるを得ない。なにしろ、メロスときたら、満身創痍の傷だらけ、いたるところからダラダラ血を流しているに相違ないのである。そのうえ、素っ裸なのだ。そんな男が上気しながら「頬を殴れ」などと迫ってきたとしたら、たとえ長年の親友であるとしても、ちょっと、タジタジ、となってしまうのが普通ではないか。
それをセリヌンティウスは、一瞬のためらいもなく音高く頬を殴ったあげく、優しくほほえんで自分も殴られ、そのうえひしと抱き合ってしまうのである。正直言って、この場面には、二人の間のアブノーマルな愛情を疑わずにはいられない。男同士で、こんなことしちゃって、いいのかしら、と思ってしまうのだ。
そう考えると、このすぐあとに、暴君ディオニスが、
「わしをも仲間に入れてくれまいか」
というのも、世間一般で言われてるように二人の友情に感動したとかそういうことではなくて、もともと暴君でサディストで変態な王が、自分の生来のそちらの方面の欲望をいたく刺激されてしまった、というだけのように思えてくる。妖しくも狂おしい血と鞭の饗宴、などというよこしまなことを頭に思い描いていたのではないか。年甲斐もなく顔を赤らめているのも、そうした妄想がぽわぽわぽわんと浮かんでしまったからかもしれない。
友情というものがいくら大切なものであるとはいっても、僕としては、こちらの方面には、あんまり関わりを持ちたくないなあ、というのが、正直な感想である。

いかがであろうか。これなら誰も「後ろの解説を見て書いたナ!」などと思うことはなかろう。多少、主旨に問題がないわけではないような気がするが、しかし繰り返すように、読書感想文とは、ただひとつの回答を書く試験とは違う。自らの考えを表現することにこそ答えがあるのだ。だから、これでいいのである。
ともあれ、3つの鉄則さえ遵守していれば、こうした読書感想文が簡単に書けてしまうわけである。



(5)1行読めば書ける読書感想文

あらすじを書かない、登場人物の気持ちを考えない、正しいテーマを探さない。
となると、それなら、本を読まなくても読書感想文は書けるんじゃないの、と思うかたもいるかもしれないが、そう、そうなのである。3つの鉄則をおしすすめていけば、究極的には、本は感想文を書くための単なるきっかけでありさえすればいいことになる。したがって、本そのものを読まずとも、読書感想文は書けるはずなのだ。
とはいうものの、そこはそれ、「読書」と一応銘打ってある以上、ちょっとは読んでみないと申し訳が立たない。せめて、最初の1行くらい読んでみよう。
これだけだったら、たとえ夏休みの最終日であろうと宿題の提出日前夜であろうと、あるいはどんなに難解で分厚い本であろうと、関係ない。簡単である。
チラッと1行だけ読んで、あとはもう、3つの鉄則に従って、思いつくままに自分の考えを書いていくだけでいい。気がつけば、原稿用紙の2枚や3枚、立派に埋まっていることであろう。
たった1行読むだけで、読書感想文は書けるのだ。もう読書感想文なんて、こわくない!のである。

このコーナーでは、そこで「そんなこと言うけど、ホントに1行読むだけで書けるの?」と不審そうな顔をしている人のために、最初の1行だけを題材にした読書感想文の実例を示していくつもりである。とくに中学生・高校生のかたは、おおいに参考にしてもらいたい。

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