新座市民・鉄腕アトム |
2003/04/07 |
「誕生日が4月7日の有名人」 というと、 ・フランシスコ・ザビエル ・法然上人 ・パンチョ伊藤 ・2年C組の小島くん(棒高跳びでインターハイ優勝) などといろいろな人がいるのだが、ほかならぬ今日、本日、2003年の4月7日が誕生日ということになれば、これはもう彼しかいない。鉄腕アトムである。 国民的な人気キャラクターであるアトムの生誕を記念して、現在、全国各地でさまざまなイベントが開催されている。特に、アトムが製造された科学省があるとされる高田馬場では、すでに3月以来JR高田馬場駅の発着ベルが鉄腕アトムのテーマになっているほか、昨日6日には商店街で手塚キャラの仮装パレードが催されるなど、街をあげての大フィーバーである。 生まれたその日に誕生日を祝ってもらえるなんて、これはもう、人類史上、東方の三博士に祝ってもらったイエス・キリスト以来のことではないか。そう思うと、われわれはあらためて鉄腕アトムの偉大さを讚えずにはいられない。十万馬力は、ダテではないのだ。 そうして、生誕した以上は住民登録が必要である、ということで、手塚プロダクションが所在している埼玉県新座市では、鉄腕アトムを住民として登録し、市から特別住民票を発行するという。さらに本日午後3時より当分の間、希望者には無料で、この特別住民票の写しを贈呈するそうだ。 新宿で誕生したというのに埼玉県で住民登録しちゃうのはいかがなものか、と思わないでもないが、いや、そんなことは枝葉末節。一見したところ、なごやかで微笑ましい一記念行事のように思えるこの出来事は、実は、将来に禍根を残すに違いないきわめて重大な問題をいくつもはらんでいるのである。 祝賀ムードに水を差す形になるだけに心苦しくはあるが、ここでは少し冷静になって、これらの問題についてひとつひとつ指摘し、若干の論考を加えてみることにしたい。 まず、第一の問題である。 誰もが知っているように、鉄腕アトムはロボットである。身体のすべてが、頭のてっぺんから足の先まですべて機械でつくられた、ロボットである。アンドロイドですらない。 そのロボットに、かくも安易に住民票を発行してしまっていいのか。アトムの住民登録にあたって、関係部局は十全たる討議を尽くしたのであるか。エッ、どうなのであるか。 こんなことをいうのも、ここに、住民登録をしたくてもできない人々がいるからである。外国人である。 日本に住む外国人は、住民登録のかわりに外国人登録をするよう定められている。したがって、外国人登録済み証明書の発行はされるが、住民票はもらえないのだ。外国人の間からは「ミーたちにも住民票を!プリーズ」と、かねてより声高に主張されているという。 真摯に住民票発行を求めているそんな彼らを差し置いて、人間ですらないロボットなんぞに、住民票を発行してしまっていいのだろうか。自治体レベルで、そんな重大な判断をしてしまって、よかったのだろうか。 これを機に外国人たちは、 「ってことは、ミーたちはロボット以下ってこと!?外国人だって人間なのよ!ミーにも住民票を!」 と、さらに声を大にして世界へと訴えることになろうし、国際的にも、 「日本政府は外国人をロボット以下の存在とみなしている!」 「女工哀史だ」 「アンクル・トムだ」 と天安門事件以来の人権問題へと発展しないとも限らない。 そんな由々しき事態に立ち至ったとき、発端となった新座市は、すべての責任を取れるのか。いや、責任を取るだけの覚悟と度胸があるのか。 たかが一地方自治体の身でありながら、とんでもない勇み足ではないのか。たいへん気になるところである。 第二の問題。 住民票を発行したということは、つまり鉄腕アトムは新座市民となったということである。 このニュースを聞いた、全国各地の地方自治体、ことに過疎に悩む僻地の自治体の首長は、「その手があったか!」と、はたと手を打っているに違いない。 何しろ、鉄腕アトム自身と直接には何の関連もない新座市において、アトムは住民票を取得したのだ。これに追随して、 「わが市にも、あの有名キャラを」 「おらが村では、あのキャラに村民になってもらうべ」 ということに、ならないほうがおかしい。 しかも、早い者勝ちである。今後、この鉄腕アトムの例にならって、 「マグマ大使、三宅村の村民に」 「コンドルのジョー、鳥取市民に」 といったことが続々と出来することになろう。 やがては、そうした「キャラクター市民」が人口の数パーセントを占めるような自治体も現れるはずである。さらにまた、住民票があり住民として存在している以上は、居住すべき住所がなくてはならない。実際には当該所在地に誰も住んでいないとしても、 「うちの近所には、バカボンのパパが住んでいるんです。レレレのレー」 「マンションの隣の部屋には、如月ハニーがいるんです。むふふふふ」 ということになってしまうのだ。もちろん、それによって、 「レレレのおじさんになりたかった中年男性が、ホウキ片手に全国から転入」 「キューティーハニー好きのオタク青年が続々と各地から集結、口々に『ハニーと一緒のマンションに住みたい!』と大興奮」 ということで、自治体としては過疎化の歯止めに一定の成果をあげることに成功するだろうが、それはそれで本当に正しいことであるのか。どうなのか。 第三の問題として指摘すべきは、鉄腕アトムの住民票について、すべての希望者に写しを無料で配付する、ということである。 周知のように、法律上、戸籍謄抄本・住民票は原則として公開されている。とはいえ、第三者が他人の住民票を取得するには、そのためにちゃんと使用目的・理由などを明らかにしなくてはならない。「ほしいから」では、ダメなのである。 それなのに、アトムの住民票の写しは、ほしい人みんなに配られてしまうのだ。これはどうしたわけか。人権ならぬロボット権の観点から、これは看過してはならぬ問題ではないのか。 まあ、もしかしたら、ロボットなんて外国人にちょっと毛が生えた程度の二流市民だから別にいいんだよ、という判断によるのかもしれない。しかし今や、ドラえもんなどの家庭用ロボットの開発がついに緒に就いた時代。将来的には、鉄腕アトムは無理としても、ロボコン程度のロボットが完成するかもしれないのだ。 そうなった暁には当然、基本的人権ならぬ基本的ロボット権があらためて論議されるようになろう。そのときになって、今回のこの新座におけるアトムの住民登録が、悪しき前例とならないか。遠い将来、ロボットたちの住民票が勝手に配布されるという状況に対してロボット側から抗議の声が上がったとしても、 「記録によれば2003年4月7日に、すでにこういうことになっている」 と、現下に否定されるのではないか。 これが、そこらへんの二流ロボットだったらまだよかったのだろうが、よりにもよってあの鉄腕アトムなのである。誰もが愛するみんなのアトム、「空を超えてラララー」の鉄腕アトムなのである。そのアトムの足下にすら及ばない遠い将来のロボットがどんなにがんばったとしても、 「鉄腕アトムでさえ持ってない権利を、くず鉄のような貴様らがほしいというのか」 「十万馬力もないってのに、生意気なこというな」 「悔しかったらおしりからマシンガン出してみろ」 「ハートマークもまだひとつのくせに」 ということになりはしまいか。 そうなったときに、ロボットたちの間から、 「くそう、あのとき新座市があんなことしなければ」 という怨嗟の声が上がってくることは必定なのであって、 「新座市、憎し」 ということになるのは、火を見るよりも明らかだ。 ここで科学技術がもっと進歩を遂げておれば、 「ロボットの権利を守るために、過去にエージェントを送り込んで、鉄腕アトムの新座市民登録を妨害、歴史を改変」 といったターミネーターのようなこともできようが、ロボコン程度のテクノロジーではおそらく不可能。もっと安易に、一部の過激派ロボットたちによる、報復のための「新座市役所爆破テロ」計画といったあたりに落ち着くことになる。 そこで、またしても大問題が立ち上がるのだ。 というのも2003年4月現在、新座市を含む近隣4市の間で、合併が協議されているところなのである。 新座・志木・朝霞・和光の各市における4月の住民投票で可否が問われるというが、大宮・浦和・与野の3市合併によるさいたま市の誕生、山梨県西部の白根町など6自治体が合併した南アルプス市の成立といった現今の趨勢から鑑みるに、合併中止ということは、まずないであろう。 そうなると、ロボットたちが新座市役所爆破テロを仕掛けようとしても、そのころにはとっくの昔に当の新座市役所、どころか新座市そのものすら存在しない、ということになっているのだ。 それによって「そんなら、しょうがないか」と計画が立ち消えになればいいが、そこはやはり、いまひとつ融通のきかないロボットのことだ。4市の合併により生まれた市、ここでは仮に「大さいたま市」としておくと、 「新座市役所の爆破は無理だが、元・新座市を含む大さいたま市役所を爆破することに決定!」 ということに、必ずなるはずである。 そうなると現在の志木・朝霞・和光市民の子孫の人は、とんだとばっちりをくうことになる。ロボットのテロが投じた陽子爆弾により、大さいたま市役所は、役所の人たちおよび役所にたまたま訪れていた市民もろとも一瞬にして量子レベルまで消滅してしまうのだ。 憤った大さいたま市民が、くそう、ロボットめ!目には目を!爆弾には爆弾だ!と復讐を企てたところで、しかしこれをこじらせてしまったら、人類対ロボットの全面戦争、フィリップ・K・ディックの不毛な世界(注)のようなことになりかねない。 たかが埼玉の一地方自治体のしり拭いのために、全人類を危機にさらすわけにはいかないわけで、 「まあまあ、おさえておさえて」 「こういうこともあるって」 「ロボットには、ちゃんと言い聞かせておくからさ」 とうやむやにされてしまうに違いない。志木・朝霞・和光住民の子孫たちは、涙を飲んで矛を収めざるを得ないのだ。 いや、それだけならまだいい。この事件は、 「そういえば、今思い出したんだけど、あの大さいたま市っての、ホント、ダサダサなネーミングだよね」 と、大さいたま市民がいちばん触れてほしくないところを世間の人々に思い起こさせることになるであろう。 「市役所だけじゃなくて、市ごと全部、消滅させちゃえばよかったのに」 「そのあたりがロボットの気がきかないところなのよね。ダハハ」 と、さらなる恥辱にさらされることになるのである。 エッ、どうであるか。志木・朝霞・和光の人々は、手をこまねいている場合でないのではないか。 少なくとも、厄介者の新座市を合併計画からはずすなどの対策を早急に講じるべきだと思うのだが、いかがであるか。 と、以上、これらの諸問題をクリアしたうえで、やがて来る2112年9月3日には、その日に誕生したドラえもんが、晴れて生誕地(岩手県下閉伊郡虎江町などではなく)で、正式な住民票を取得できるようになっていることを、願うばかりである。 |
(注)ハヤカワSF文庫『パーキー・パットの日々』ほか参照。 |