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さようなら、五島プラネタリウム
2001/02/19










来る3月11日、渋谷五島プラネタリウムが閉館する。
44年の長きにわたって日本プラネタリウム界をリードし続けてきた同館ではあるが、東京近郊のプラネタリウム乱立、レジャーの多様化、自然科学への関心の低下といった社会状況に抗うことはできず、ついにその歴史に幕を引くに至ったのだ。
だから、というわけではないのだが、先日の日曜日、その五島プラネタリウムに行ってきた。友人Kから、いきなり電話がかかってきたのである。Kが言うには、
「プラネタリウムのドームの下端部、ドームを360度ぐるりと囲んで、街並みのシルエットをかたどったプレートが貼り付けられているのだが、あれが昭和40年代以降、更新されていないらしい。つまり、五島プラネタリウムで見られるのは、昭和40年代の東京の風景(渋谷から見える景色)なのだ!」
といったことが、雑誌「東京人」に載っていたそうだ。
だからといって、男2人連れ立ってプラネタリウムに行くのはどうかと思うのだが、まあしかたがない。そんなオモシロゲなことを言われてしまっては、抵抗のしようがないではないか。

そんなわけで、実は初体験の五島プラネタリウムだったわけだが、いや、何てことはない。街のシルエットが昭和40年代なのではなくて、五島プラネタリウムそれ自体がまるごと昭和40年代のままだったのだ。
エレベータを降りると、そこはいきなりレトロな雰囲気(実のところ、東京文化会館自体が全体的にわりとレトロなのだが)。解説員のオジサンの声も、このマニュアル全盛の時代にあって、いかにもやさしげに素人くさく、思わず身も心も古きよき懐かしき世界へとトリップしてしまうのだった。
こんな素敵なスポットがなくなってしまうというのは、なんだか東京の良心がまたひとかけら消え失せるような気がして、一抹の哀しさ以上のものを感じざるを得ない。

昭和32年開館で以来勤続44年というと、戦後高度成長期を支え、日本の繁栄を享受し、今は無用の長物となったお父さんたちの姿と、ぴったり重なる経歴である。
今まさに定年を迎えつつあるそんなお父さんたちは、会社辞めたら田舎でペンションを開こうとか、趣味の鉄道模型にすべてを捧げようとか、これまで世話になった妻に尽くそうとか、あるいは妻を捨てて他の女との愛に生きようとか、日がな一日のんびり縁側で過ごそうとか、ぼーっとしようとか粗大ゴミになろうとか、とにかく一応の定年後の人生設計というものをそれなりに考えているのかもしれないが、そのあたり、五島プラネタリウムはどうしているのだろう。プラネタリウムを辞めた後のことを、ちゃんと考えているのだろうか。それが気がかりだ。

何しろ、プラネタリウムをしている間は星空を映す夢とロマンのドームであり得たわけであるが、それがなくなったら、ただののっぺりとした半球ドームなのだ。
これがお父さんであれば、ペンション経営だろうと鉄道模型だろうと愛の逃避行だろうと縁側ごろごろだろうと何でもできるのだろうが、半球ドームではそういうわけにもいかない。ただの半球ドームには、いったい何ができるのか。

思い切って上を向いて、パラボラアンテナに転身する、というのが一案だ。44年の間映し続けてきた人工の星に代わって、これからは本物の天の星を映して生きる。なかなか素敵な老後ではないか。
しかし、星空とか天文とかいったこととはまったく関係のない人生を踏み出したい、とうのが本音かもしれない。そんな場合は、その凹部に満々と水をたたえ、まん丸なプールになってみるのもいい。これまで数えきれないほどの子どもたちに見上げられて過ごしてきたが、今度はそんな子どもたちが水面で泳ぐのを見上げながら過ごす、そんな生きかたもいい。
あるいは擂鉢状の特性を生かして若者のためのスケボー場になるとか、軍に身を投じてトーチカになるとか、イスラム教に入信してモスクの屋根になるとか、さらには大仏さま用どんぶり茶碗になるとか、大仏さま用カツラになるとか…。五島プラネタリウムの第二の人生は、なかなか可能性に満ちたものになりそうだ。

だが、もしかしたら、定年をきっかけに自分のアイデンティティそのものに疑問を持ってしまうかもしれない。
今までずっと凹形であり続け、それを当たり前だと思って過ごしてきたが、その凹形の自分に、もしかしたら凸形の片割れがいるかもしれない…。そんな哲学的な探求心に駆られないとは限らない。
そうなると、五島プラネタリウムは、ある日不意に、シルヴァスタインの『ぼくを探しに』(注1)のあの円グラフ80%の「ぼく」のように、欠けた自分の片割れを探しに旅立ってしまうかもしれない。
東急文化会館のエレベータを降りると、そこには何もなくて、ただ一枚、
「長い間お世話になりました。ぼくは、ぼくを探しに行きます。さようなら」
という書き置きが残されているだけかもしれない。

この先、もしあなたが、たとえばお茶の水のニコライ堂のドームに乗っかっている五島プラネタリウムを見かけたら、あるいはまた山手線に乗っているときに、恵比寿と目黒の間の線路脇にある日の丸自動車学校(注2)の垂直半球ドームに覆いかぶさっている五島プラネタリウムに出くわしたら、
「そうか、自分探しの旅をしているんだね」
と、温かい気持ちで見守ってあげるとよいであろう。


(注1)シェル・シルヴァスタイン『ぼくを探しに 』(倉橋由美子訳、講談社、1979 、本体¥1,500)
(注2)一部の人にしかわからないローカルなオチで申し訳ないが、日の丸自動車学校には、その名を体現するかのごとく、建物の壁面に真っ赤な巨大半球がドーンと突き出ているのだ。
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