お城をつくろう |
2001/04/18 |
新聞を見て初めて知ったのだが、 「今、城が静かなブーム」 なのだそうである。 それも、 「オレ昨日、弘前城行ってきたぜ」 とか、 「きゃーん、犬山城って、超カワイイ!」 とか、そういうのではなくて、 「城の復元ブーム」 なのだそうだ。 地域活性化を視野に入れ、本丸やら櫓や城門などをドガシャーンとつくってしまおう、というのである。 しかも、高度成長期に流行ったコンクリート造の城とは一線を画した、 「史実をふまえた本物志向の城をつくろう!」 ということになっているそうなのだ。 そういうものをブームと言ってしまっていいのか、さらに「静かな」などと形容してしまっていいものか、と思わぬでもないが、熊本城の西出丸やら金沢城の菱櫓やら大洲城の天守閣やら、とにかく目下、日本各地のさまざまな自治体が、城の再建に取り組んでいるらしい。 しかしなあ、どうであろう。ついこの前、シーガイアの破綻で地方のテーマパークの限界が露呈したばかりではないか。テーマパークじゃなくて城ならいいのか、所詮は地元のゼネコンに便宜を図ってやってるだけではないのか、などという下世話な詮索はさておき、ここではこの「城造営」ということに対して、前向きな評価を与えたいと思う。 なにしろ、城なのだ。城。城塞、城郭である。 掛け声勇ましく地方分権が叫ばれている時代に、これほどふさわしいものが他にあろうか。人々に郷土心、愛郷心を喚起させるものとして、城にまさるものはない。 もし名古屋に、金の鯱を戴く城なかりせば、名古屋人は単なる、 「みゃーみゃーいうヘンな人たち」 になってしまっていただろう。 あの名古屋城こそが、名古屋人をして、誇りある、立派な、確固たる意志を持ってみゃーみゃー言う、名古屋人たらしめている、と言っても過言ではないのだ。 城造営、けっこうではないか。大いに歓迎しようではないか。 が、しかし。 こうした城造営の流れの中に、ひとつ、重大かつ決定的な瑕瑾があることを、多くの人が見過ごしている。 工法、材質ともに建築当時のものを忠実に再現した史実通りの城を建てようというのに、他ならぬその城自体が、あろうことか、 「観光の目玉に」 されようとしているのだ。 今さら城が観光資源としての命脈を保っているとは思えないが、それ以前の問題として、当時の城が観光のために建造されたとでもいうのか。観光目的のどこが史実通りなのだ。エッ、どうなのだ。 城とはあくまで戦時においては防御拠点、平時においては領内統治の場、行政の府であったのだ。 史実通りの復元を謳うのであれば、そこまで徹底してこそ本物というものだ。すなわち、城完成と同時に、 「役所を城に移転!」 こうでなくてはならない。 「そこまでしなくても…」 と眉をひそめるかたがいるかもしれないが、いや、話は単なる洒落や酔狂で片づけられるものではない。昔から、 「まずは形から」 ということを言うではないか。城を役所にする、この一見して些細な事柄が引き金になって、今の地方行政のありかた、東京一極集中の日本の現状に、大きな転機が訪れることになるかもしれぬのだ。 たとえばまず、日常的な面では、公務員の皆さんは毎日城へと、 「登城」 することになり、市民の皆さんも、役所ではなく、 「ちょっと城に行ってくる」 ということになる。 「役所」を「城」と言い換える。ただそれだけのことが、人々の心に戦国の風雲を呼び込み、武将たちの熱い息吹を吹き込むことになるのではないか。自ずと日々の暮らしの中にピリリとした快い緊張感が生まれ出ることになるはずだ。 さらに、訪れた市民が窓口で、たとえば納税課がどこにあるか訊ねると、 「そこの乾門から出て西の丸に行ってください」 などと言われるのである。 「新館の3階に行ってください」 なんていうつまらない言い草とは大違いだ。 西の丸! おお、いざ、納税課に赴くために、 「兜の緒をしめん…」 と、身が引き締まる思いがする。 そうして長屋門の前を通り過ぎながら、わが城の豪壮さ、広大さに感じ入ったりなんかして、 「わが町も、なかなかやるのう」 と、郷土を誇りに思う気持ちが、油然としてわき起こってくることになる。 このようにして、表面的、形式的なところから始まり、城の存在は人々の心、精神へと、徐々に徐々に深く鋭く影響を及ぼしていくことだろう。 たとえばそこで働く公務員の人たちの場合、広い畳座敷、ひんやりと張りつめた空気の中で、正座して日々の業務をこなしていくうちに、 「もし過ちあらば、責任をとって割腹を…」 という覚悟が自ずから醸成されていくことになる。 おかげで業務の質は高まり、市民の信頼も獲得、都市の活性化に大きく貢献することは間違いない。 市民の心の持ちようも変わってくる。 これまでは役所の建物なんて、 「あいかわらず汚いなあ」 などと思うくらいで、たいして気にも留めていなかったはずで、役所を建て替え、などという話が出ようものなら、 「そんなことにお金を使うんだっら、もっと税金安くしろ!」 と怒る人がほとんどだっただろう。 それが城となると違ってくる。利用者の立場として何度も城を訪れているうちに、ふと、 「この辰巳櫓の防備は、ちょっと手薄ではないかしら」 というようなことが気になってきたりするわけである。 そうなると、市民広報への投書などにも、 「もっと城の守りを固めてはどうでしょうか」 といった意見が目立つようになり、役所のほうとしても無視するわけにはいかず、 「ここはひとつ、予算を割いて…」 と、石垣を補強したりなんかして、防備の増強に努めることになる。 そうなってくると、たとえば隣の市の城と見比べながら、 「わが城のほうが…」 という誇りも、当然生まれてくることだろう。城を中心とした地域アイデンティティが、ここではじめてカタチとなって現れるのである。 全国市町村別の「豊かさ指数」などとは別に、 「城郭強度」 「城レベル」 などが評価基準として注目されるようになるのも、間もなくだろう。 「うーむ、うちの城はまだレベル14のランクDか。もっと増強せねば!」 といったことが、自然と人々の話題にのぼることになっていくのだ。 そうやってある程度防御度を高めると、今度は城という容れ物ばかりでは物足りなくなってきて、 「せっかく城があるんだから、せめて鉄砲隊くらいは配備しないと」 ということになり、役所の中に、 「鉄砲課」 「長槍課」 などが新設されることになる。 公務員だけでは足りないので、 「足軽募集」 などとバイトの告知がなされることになる。 城の増改築費はいつの間にか、 「防衛費」 として予算に計上されるようになる。 そうして国には内緒で裏帳簿をつくったりなんかして、それで極秘にエリート部隊を組織して、 「忍者隊」 を設立したりすることにもなる。 そうなってくると自然の流れとして、人々の中に、 「ことあらば、籠城戦も辞さず」 という気概が生まれることは必定であり、そこまで来たら、 「隙あらば、野戦に打ってでよう」 ということにならないわけがない。 そうして事態は地方分権どころか、 「群雄割拠」 の様相を呈することになり、それぞれの都市が、 「天下布武」 の野心に燃えることになり、いずれは、 「東京に攻め上って、天皇陛下を奉じて、新たに幕府を開くのだ!」 ということになる。 ここにいたってそれまで一極集中の夢にまどろんでいた東京都民ははじめて事態の深刻さに気がつき、 「われわれも皇居に天守閣を再建して迎え撃つべきではないのか」 「いや、都庁のビルに立て籠もったほうがいいのでは」 と周章狼狽することになるかもしれないが、大丈夫、そんな心配は無用である。 新宿都庁のあのビルは、むやみに威圧的なだけではない。 実は、危急存亡の際には、 「ゴゴゴ…」 と立ち上がり、巨大戦闘ロボットに変形することになっているのだ。 鉄砲や長槍を手に攻めてきた地方の軍勢など、必殺放射能ビームで一網打尽だ。 「でもでも、敵方も、城が変形した巨大ロボットで立ち向かってきたら、どうするのよ」 という心配性のかたがいるかもしれぬが、安心召されよ。 城は絶対にロボットには変形しない。 なんだか話が大幅に逸れてしまったが、この文章の趣旨からして、そういえばどの城も、史実通りに建設されているはずではないか。 |