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猫と犬と若奥様
2001/06/16










「あなたはイヌ派ですかネコ派ですか」
「犬と猫どっちが好きですか」
という質問がよくあるけれど、私はいつも迷ってしまう。どちらも好きなんだよなあ。
生まれ変わるとしたら犬と猫どっちがいいか、という問いであれば躊躇なく猫なのだが。お姉さんの膝の上などでのんびり惰眠をむさぼって日々を過ごすなんて、いいではないか。
もっとも、ダイナマイトバディにピチピチのレザーをまとったお姉さまなどが、ビシリと、
「私の犬におなり!」
と命ずるのであれば、恥ずかしながら犬になるのもやぶさかではないのだが、しかしまあ一般論として、犬と猫どちらが好きなの、一匹だけ飼うとしたらどっち、さあどっちどっち、犬か、猫か、さあさあさあ!と迫られてしまったら、
「あうあうあう‥‥」
と優柔不断の悶絶地獄に陥り、挙げ句の果てに両者の間をとってイネを育てることになりかねないのである。

犬もいいし、同じくらい猫もいい。
犬のよさは、あの黒目がちなくりくり眼、口を開けて舌を出しているところ。なんとも無垢で世間知らずで、ちょっとおどおどした顔つきがいい。あどけない期待を湛えたあの顔で、
「撫でてくれる? 遊んでくれる?」
と見つめられた日には、
「やーん、んーもう、あたりまえじゃなーい!」
メロメロに溶けほぐれて、ぐりぐり可愛がってしまう。
「もうボクはキミをぜったい離さないからね!」
そんな感じなのである。

猫のいいところは、逆にすべてを計算し尽くしたような技巧的な甘え方。ふだんは、
「あなたとは、そういう関係じゃないんだから」
と距離を置いているくせに、ときどき思いついたようにふいと近寄ってきては、ふにゅ〜んと足にまといつき、しなやかな体を擦りつける。撫でてあげると、いかにも気持ちよさげな恍惚の表情。そこでさらに気合いを入れて、
「そーかそーか、そんなにイイか、それならこれは‥‥」
とメロンメロンに可愛がりまくろうとすると、くるりと身を翻してどこかへ行ってしまう、あのクールさ。こちらは決して主導権を握れぬまま、いいようにあしらわれるばかりだ。それがわかっていながらも、近寄ってくるたびについつい理性を忘れて可愛がってしまう。
「体だけの付き合いって分かってるけど‥‥、でも‥‥、別れられないの」
といった感じなのだ。

こうした観点からすると、犬が好きか猫が好きかというのは、単にそれだけにとどまらず、自分にホレきっているカワイイお嫁さん/ダンナさんを選ぶか、他に男/女がいるかもしれない妖艶な愛人を選ぶか、という人としての永遠のテーマともいうべき問題につながってくるともいえる。
あ、でも、だからといって「あたし、猫が好きなの!」って人に、
「ふーん、あなたは家庭のよきパパよき夫よりも、若いツバメを選ぶんですか、ふーん、そうですかそうですか、あなたがそんな人だったとは知りませんでした」
とか、そういうわけではないですからね。あんまし深く考えないでくださいね。

まあとにかく、話がこうなってくると、犬と猫どちらを選ぶかという難題にも、解決の糸口が見えてくる。そうなのだ。簡単だ。ずばり、カワイイお嫁さんをもらって猫を飼うか、妖艶な愛人をつくって犬を飼うかすればいいのだ。がはは。ナイスアイデア。
と結論した玉田ポチ彦は、猫を飼ってカワイイお嫁さんをもらうことに決めたのだった。猫は上司の三毛内課長からもらってきた白地にグレー斑の日本猫、ブチ。お嫁さんは経理課の色白でおとなしいOL、シロ子。
何ともうまい具合にいってしまったなあ、とポチ彦は思うわけである。ブチは期待通り、天性の老練な甘え方で接してくれる。あ、あ、もっと可愛がらせてくれよ‥‥という満たされぬ思いは、あくまで淑やかで従順なシロ子にやさしく癒される。
いや実際、シロ子ときたら、もう、ホントに‥‥。なにしろ、結婚してそろそろ一年になるというのに、あいかわらず帰宅時には、
「おかえりなさあい、あ・な・た! ごはんにする? お風呂にする? それとも‥‥、うふふ‥‥」
なんて‥‥でへへへ。むふー、オレ、こんな幸せでいいのかなあ。

いいわけないのである。実は今、ポチ彦は疑惑の影に苛まれている。数日前、飲み屋で同僚のペス山がぼそり、呟いたのだ。
「この前、渋谷に営業に行ったとき、オレ、見ちゃったんだ」
「何をだよ」
「‥‥シロ子さんが、男と腕組んで、歩いてたんだ」
その時は、まさか、と一笑に付した。ふん、人違いだよ。俺のシロ子に限って、そんな‥‥。
しかし、こうした疑惑は、始まりはほんのひとしずくにすぎなくても、やがては小川となり大河となって、海にそそぐのだ。言われてみれば思い当たる節がないでもない、ような気がする。うーぐぐぐぐ。
とはいいつつも、真実を確かめるのも恐ろしい。もしホントだったら‥‥。忠実な犬の代わりに貞淑な奥さんなんてのは、土台無理な話だったのか。この憂いをブチに訴えようとしても、
「あなたの奥さんとは、あたし、関係ないんだから」
と、ぷいとつれなく去るばかり。ううう‥‥。

思い悩んだポチ彦は、犬を飼うことにした。考えてみれば、「犬と猫どっちにするの、さあさあさあ、どっちどっち!?」と迫られているわけではないのだから、両方飼ってもいいのである。
早速取引先の乾さんから子犬を譲り受けてきて、タロと名付けた。やっぱり犬はいい。はあはあしながら、純真なくりくり眼で「撫でてくれる? 遊んでくれる?」と小首を傾げる。どひー、メロメロ。
ブチはもちろん今やシロ子にも、心の安らぎは求められない。「あ・な・た‥‥」の媚笑に体は歓ぶけれど、心には澱が降り積もるばかりだ。しかしタロとは、タロとだけは、真実の心の交流ができるはずだ。タロ、キミだけは俺のものさ‥‥。男同士だけど、いいだろ‥‥。

というポチ彦の思いをよそに、疑うことを知らないタロは、シロ子にも懐くわけである。昼のあいだ遊んでくれるのだから当然である。タロを胸にぎゅっと抱き締めたシロ子が、
「ねえ、あ・な・た! タロったら、かわいいのぉ〜!」
タロも、ぐりんぐりんにシッポを振りながらシロ子の頬をぺろぺろなめたりして、
「やーん、タロったら、もう、くすぐったあい!」
だが、そんな妻と犬のしぐさは、疑惑と孤独にとらわれたポチ彦の眼には、もはや平常には映らなかった。
うーぐぐぐぐ、タロよ、おまえもか‥‥。オレが男だから、ダメだっていうのか‥‥。はっ、いや、まさかシロ子、おまえタロと‥‥。ああ、オレは、オレは、どうしたら‥‥。
けれども、そこまで追い詰められながらも、「あ・な・た‥‥」の囁きにはついつい頬がゆるんでしまうし、「撫でてくれる? 遊んでくれる?」の無邪気な眼には思わずメロメロになってしまうポチ彦なのだった。
教訓。惚れたら負けよ。




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