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コウノトリ泥酔
2001/05/03










遅ればせながら、
「雅子さま、ご懐妊」
である。
めでたいではないか。

まあだからといってそれをネタにいつものようなバカなことを書こうというわけではないのだけれど。
そんなことをしたら、不敬罪で捕縛されてしまいそうだ。

第一、雅子さまに反感を抱いてるわけでもないし。
これがたとえば頭文字が同じMの森嘉朗であったりして、
「森嘉朗前首相、ご懐妊」
などというニュースだったとしたら、
「エッ、在任中に、何が!?」
などと騒ぐ以前に、
「森のやつめ、どうせまた裏でズルしたんじゃないの」
と、そういうことにもなるだろうが、雅子さまではそういう気にもならない。

森嘉朗と違って雅子さまのほうは、好きか嫌いかというと好きな方なのだし。
って、あ、いや、別に、好きって、そういう意味の好きじゃありませんよ、あ、違うってば、そんな、皇太子さまに悪いし、いや、ホント、だから、言葉の綾というか、だから、その、…照れるなあ。
とか何とか、その程度の冗談にしかならないのだ。

それにしても、ご結婚から8年だとか。長かったものだ。
その本来の目的からして、
「結婚してから3年くらいは、子どもつくらないでおこうね」
などということにしていたはずはなかろうから、8年間、お二人とも営々たる努力を続けてきたことになる。
国民も半ばあきらめていたというのに、よくがんばった、という感じである。

それにしても、これほど長くかかったのには、何か理由があるのではないか。
一説には、周囲で騒ぎすぎたマスコミのせいだ、ともいわれている。
その証拠に、あの温厚な皇太子さまですら、
「あまり周りで波風が立ちますと、コウノトリのご機嫌を損ねるのではないかというふうに思います」
と眉間にしわを寄せた、ということが指摘されている。

だが、流産のときは別として、8年の間つねにマスコミがプレッシャーを与え続けてきたわけではないのであって、一概に彼らのせいにばかりできないような気がする。
それにそもそも、
「周囲で騒ぎすぎると、ストレスがかかって、よくない」
などというのは、ある意味、たいへん失礼な態度なのではなかろうか。
「トキのカップルじゃないんだから」
と言いたくなる。

私はむしろ、皇太子さま・雅子さまお二人の姿勢そのものに原因があったような気がするし、他ならぬ上の皇太子さまの言葉が、それを証しているような気がしてならない。
すなわち、
「コウノトリ」
これがいけないのではないか。
「コウノトリのご機嫌に任せて」
という姿勢そのものが、間違っていたのではなかろうか。

なにしろ、コウノトリといえば、日本ではほとんど見かけることができない希少な存在なのである。
なんだか世界中のカップルに赤ちゃんを運んでくれているイメージがあるから、どこにでもいそうな気がするのだが、日本で繁殖する種はとっくに絶滅してしまっているのだ。
現在は、大陸生まれの種が、渡りの際にたまに飛来する程度でしかないという。
絶対数からしてこれほどまれなコウノトリを当てにしていては、妊娠の確率がきわめて低くなるのは当然だ。

コウノトリにとっても、迷惑な話だろう。
日本で繁殖しているのならば、自分の雛を育てるついでに、
「人間にも赤ちゃんをくれてやっか」
なんて気にもなろうというものだが、今は渡りの途中で立ち寄っているだけなのだ。
たとえていえば、勤務先の病院から帰宅途中のお医者さんが居酒屋で飲んでいたら、隣に座っていた人に、
「先生、ここで診察してください」
と頼まれたようなものだ。
よほど酔いが回って、そこが居酒屋なのか診察室なのかわからなくなっているのでなければ、ごめんこうむりたい話であろう。

まあともあれ、そうやってたまたまへべれけに酔っぱらっていたのか、酔狂にも子授けをしてくれたコウノトリがいたことを、国民としては素直に寿がねばならぬ。
本当であれば、そのコウノトリを探し出して、国民栄誉賞か何かを授与するのが筋というものかもしれぬが、そのあたりのことをあまり深く追究すると、生まれてくる赤ちゃんが実は、
「酔っぱらったはずみで、できてしまった」
という真相が明らかになってしまいかねないので、てきとうにあいまいなままにしておくのがいいのだろう。

ところで、それはそれとして、今後われわれの注目は、その赤ちゃんへと移行するわけだが、どうであろう、これがもし五つ子だったりしたら、どうなるだろう。というのが、目下、気になるところである。
なにしろ五つ子といえば、それだけで、
「五つ子ちゃん誕生!」
とニュースになるのであって、五つ子ちゃんはアイドル扱いだ。
だがしかし、これが皇室のできごととなると、単純に「五つ子ちゃん」などと喜んでいいものか。
やっぱり「ちゃん」づけでは不敬ではないか、
「五つ子さま」
と呼ばなくてはいけないのではないか、ということが、気になってしかたがない。



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