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ハードボイルド・ディズニーランド
2002/11/24










「ディズニーランドに行ったことがない」
と言うと、まわりの女どもは、
「えー、ウソ、信じらんなーい」
と口々に騒ぎ立てるのが常なのだが、おいおい、ディズニーランドの何がおもしろいっていうんだ?
俺が聞いた限りでは、
「3時間並んだ」
だの、
「1日過ごして4つしかアトラクションに乗れなかった」
だの、
「お弁当持ち込めないし」
だの、
「人いっぱいいるし」
だの、やれやれ、勘弁してくれよ、夢と魔法の国だか何だか知らないが、俺はまっぴらごめんだね。そう思っていた。
それがこうしてマヌケ面さらしておめおめディズニーランドに足を運ぶ羽目になっちまったのは、このところ俺がすっかり入れあげているエリのやつが、
「ディズニーランド、行きたい行きたい」
と、ことあるごとにせがむからだった。これまでは、いかに惚れた相手の言うことだろうと言下に一蹴したものだったが、しかしエリときたら、
「4つしか乗れないなんて、ド素人のやることね。あたしにまかせれば、のべ15ヶ所は軽くクリアできるわ」
と言うのだ。だが並ぶものは並ぶのだろうと抗うと、
「並んでる間は、あたしがずっとキスしていてあげる」
などと甘く囁くものだから、俺も案外他愛のないものだ。うっかりその気にさせられちまった。
そうして、ハロウィンも近い10月のある晴れた日曜日の朝、エリとともに俺は生まれて初めて舞浜の駅に降り立ったのだった。

開園は8時半なのだが、「それに合わせていくようでは、バカを見る」というので、1時間前に到着。なるほど、正面ゲート前はすでに黒山の人だかりだ。いや、たかっている、どころではない。
「早く開けろー!」
「ミッキー出せー!」
「ミッキー、ミッキー!」
そこにいるのはもはや、暴徒だ。ガシャンガシャンと鉄柵を揺さぶり、怒号をあげ、拳を突き上げ、足を踏みならし‥‥。一方のゲート内では警備員たちが、投げつけられた生卵や野菜くずにまみれながら、無表情に六尺棒をかまえている。
「開けろってんのがわかんねえのかよっ」
「ぶっ殺すぞ、てめえ!」
「ミッキー! そこにいるのはわかってんだよお!」
「出てこい、ミッキー!」
「ぐえお」
「はぎゃ」
時間とともに人だかりはますますふくれあがり、さらにさらに怒声は高まって、一触即発、あわや暴動勃発か、というところで、
「チャッチャラーチャッチャラー」
軽快な音楽ととともに、ガガガガ‥‥、とゲートが開き始めた。と同時に、
「ドドドドド」
「ぐぎゃお」
「がはっ」
「ぎぃ」
歓声とも悲鳴ともつかぬ雄叫びをこだまさせ、土煙をあげつつ群衆が乱入したのだった。うへえ。これがディズニーランドってやつかい。たまげたもんだぜ。と一瞬呆気にとられたが、いや、俺もおちおちしちゃいられないぜ。混乱に乗じて、目の前の中年男を引き倒しつつゲートを越えると、そのまま一気に加速した。エリによると、この開園と同時のダッシュが、
「生死を分ける」
というのだ。アトラクションに並ぶにせよ、レストランを予約するにせよ、ここで先手を獲れるかどうかに、今日1日の命運がかかっている。不覚にも後れをとろうものなら、3時間並ぼうが4つしか乗れなかろうが、負け犬に甘んじるしかないのだ。
日ごろから子どもたちに軽視されがちのお父さんや、彼女とつきあい始めたばかりの男の子など、もう必死である。無惨にもここで醜態をさらせば、
「やっぱりパパってダメね」
「たか君って、案外、頼りにならないのね」
蔑みの視線で見下され、愛想を尽かされかねないのだ。まあもちろんそれは俺にもいえることであって、男のプライドをかけて歯を食いしばってひた走るしかない。だが園内は広大だ。周囲では次々と落伍者が続出。転倒する者も5人や10人ではない。俺も走っているうちにそんなひとりを踏みつけたような気がしたが、後を振り向く余裕など、あるものか。
「ぐへえ」
というカエルが轢き潰されたような声を背にしつつ、ワールドバザールを抜け噴水を回り込み橋を越え、ようやく目的地、ザ・ダイヤモンドホースシューにたどり着いた。食事中にグーフィーがショーをするという、このレストランの夜の予約を取る。それが俺に課された重大な使命だったのだ。たかが女ひとりを喜ばせるためだけに、こんなに必死になっちまうなんて、やれやれ、俺もまだまだウブなもんだぜ。
すでに行列ができているのを目にしたときには一瞬青くなったが、そちらはどうやらランチの予約だったようだ。ディナーのいちばん遅い時間はまだガラ空きで、ステージ間近の最前列のテーブルを首尾よく確保できた。ヘッ、どうだ。俺にかかればチョロいもんだぜ。
鼻をふくらませながらエリと合流。エリはエリで、やはり女の操をかけて激走し、クリスタルパレス・レストランの朝食のために行列に並んでいたのだ。ごはんを食べているとディズニーのキャラクタが寄ってくる、というレストランである。
まあディズニーキャラといっても、ミッキーのような華のあるキャラではなく、プーやらイーヨーやら、老け顔のオヤジくさいものばかり。おいおい、そんなやつらに近寄ってこられたところで、朝飯が辛気くさくなるばかりだぜ。と思っていたのだが、後でエリのやつ、にやにやしながら俺に向かって、
「けっこう嬉しそうな顔しちゃって。かわいいところ、あるのね」
などと言うのだ。おいおい、ハニー、まいったな。それは誤解というものだ。お前に調子を合わせてるだけなんだぜ。

まあそれはさておき、食事が済んだらいよいよ本格的に始動だ。カリブの海賊に始まって、ウエスタンリバー鉄道やらシンデレラ城ミステリーツアーやらスター・ツアーズやら、何やら尻のあたりがムズムズしてきそうなネーミングのアトラクションを次々にめぐっていく。
噂と違って、1時間も並ぶようなものはひとつとしてない。なんだい、いきなり拍子抜けだぜ。3時間並んだなんて、とんだスットコドッコイだぜ。スペース・マウンテンにいたっては、「5分待ち」だったりしたので、調子づいて7回も乗ってしまった。いや、まったく、ガキじゃあるまいし、俺も案外単純なものだ。
とはいえ、長かろうが短かろうが、並ぶには並ぶのであって、ディズニーランドでやることの第一が「並ぶこと」であるのに変わりはない。しかし、おいおい、ハニー、話が違うじゃないか。待ってる間キスしっ放しなんて、できやしないじゃないか。
「カップル監視員」
が巡回してるなんて、冗談じゃない。聞いてないぜ。人目をはばからず一定時間以上イチャイチャしているカップルは、カップル監視員に摘発され、パスポート没収の上、強制退去というのだ。
おいおい、それはないぜ。あんまりだ。いったい何の権利があって、あんたらは甘い恋人たちの邪魔をするんだ? とねじ込んでやろうとしたのだが、どうやら千葉県の条例として、法的に定められているらしい。うへえ。まったく、だから千葉なんて田舎にディズニーランドをつくるべきではなかったのだ。

まあとにかく、行列に並んでいる間にキスできない(正確には、1秒以内のキスを10分間の間隔をあけて行うことは許されるのだが、おいおい、そんなものキスと呼べないぜ)となると、かわりに何をして過ごせばいいのだ。俺ときたらエリの顔を見ようものなら、どこだろうと思わずキスの雨を降らせてしまうんだぜ。
それなりに暇つぶしのできるアトラクション、たとえばホーンテッドマンションなどであれば、かわいいコスチュームを着たきれいなお姉さんを眺めていればそれで気が済むのだが、白雪姫と七人のこびとではどうしたらいいんだ。いやはや、そのみっともない制服は何とかしてくれ。目のやりようがないじゃないか。君たちは本当に正気なのか? ディズニーランドのスタッフとして夢と魔法を売るのはいいが、尊厳というか誇りというか、人として大切なものを売り渡しちゃいないかい? などと、俺としては珍しくお節介な気分になっちまうわけだが、まあとにかく、並んでいる間は欲求不満がつのるばかりだ。おかげでアトラクションに乗り込んで暗がりに入り込むやいなや、
「あ」
などと言わせる隙もないままエリの唇にむしゃぶりついてしまって、いやはや、われながらケダモノのようだがしかたがない。ホーンテッドマンションも白雪姫も、せっかく並んで待ったのに、中身はまるで見ちゃいないぜ。
しかし今まで何ごともなかったからいいようなものの、いずれはアトラクションに搭乗中のカップルが互いの舌を噛み切ってしまうというような事故が起こるに違いない。そうなる前に千葉県はカップルに対する規制を緩和するのがスジってもんだぜ。おっと、俺としたことが、またお節介を焼いちまった。

それにしても、アツアツのカップルにとっては一寸刻み五分刻みの仕置き場のようなこのディズニーランドの、いったいどこが「夢と魔法の国」なのか。え、どうなんだ。少なくとも、キスもできないカップルは、夢も魔法もない、この世のシビアな現実を突きつけられているだけではないかと思うのだが。
いや、カップルばかりじゃないぜ。ビーバーブラザーズのカヌー探検では、俺とエリのすぐ後ろに親子3人が乗り合わせた。その若いパパとママの間で押さえつけられている息子の「たっ君」にとっては、いかばかりか。
「ほらほら、たっ君、はーい、もっと大きな声を出そうねー」
「ほら、たっ君、漕ぐの遅れてるわよ。ほら、イチニ、イチニッ」
「ちょっと、たっ君、漕がないときは、オールを立てておかなきゃ、ダメでしょ」
「あーあ、たっ君のせいで、カヌーが進むの、遅くなっちゃった」
その間、終始無言のたっ君。彼にとってディズニーランドは、日常生活と何ら変わりのない、試練の場でしかなかったろう。

まあでも、そんなシビアな世界の中に本当に夢と魔法が存在しないかというと、おそらくそうでもないようだ。たまに出くわすミッキーやミニーと一緒に写真を撮ったり、華やかなパレードに見とれたり、ぴろぴろ回って光るオモチャを買ったり、ミッキーの頭部の形をしたシャーベットにかぶりついたり、アトラクションに乗って揺さぶられたり振り回されたり転がされたりしているうちに、おおかたの人がぼーっとなって夢と魔法の世界へと引き込まれちまうらしい。
何度も来ているベテランリピーターも、例外ではない。蒸気船マークトウェイン号に乗っていると、突然船が沈没し始め、どうやらこれはピノキオを模したイベントで、沈没後に溺れながら波間をさまよう客たちはクジラに呑み込まれてしまうという趣向のようなのだが、おいおい、いくらアトラクションだからって、水の中に放り込まれるのはごめんだぜ。すかさず俺はエリを抱え上げると、ちょうど脇を通りかかったトムソーヤ島いかだにひらりと飛び移ったのだが、何てこった、他の客たちはへらへら笑いながらずぶずぶと水中に没していくではないか。気でも違ったのかい。
ふと気になってエリの顔を見やると、
「うへへ、夢、夢‥‥、魔法、魔法‥‥」
と熱に浮かされたように虚ろな瞳でつぶやいているではないか。ヘイホー、いったいどうなっちまってるんだ。ペシペシと二度三度頬をひっぱたくと、ようやく正気に返って、
「あれー? あたし、船に乗ったんじゃなかったっけ」
などと言う始末。おいおい、何が「あれー?」だ。ハニー、お前もとんだお気楽者だぜ。ヒュウ、これがディズニーの夢と魔法ってやつかい。なかなかやるじゃないか。

まあかくいう俺にしたって、いつまでも余裕をかましてはいられなかったようだ。夜のパレードを見終わって、最後のザ・ダイヤモンドホースシュー。ショーというのはグーフィーの他愛のないスラップスティックかと思っていたのだが、いやまったく、これが、とんでもなかった。うろうろしているグーフィーを差し置いて、始まったのはピチピチのお姉さんたちのフレンチカンカン。つまりは大股広げてスカートの中を見せまくる色っぽいショーだったわけで、そのあたりですでに家族連れのお父さんなどは料理を食べることも忘れて身を乗り出して口を開けてぼーっとなっており、おいおい、カップルに厳しいくせして、こんなことしちゃっていいのかよ、まあ、いいのだけど、むふう、でへへ、いちばん前の席をとっておいてよかったぜ、などと思っていたのだが、そのうちにわかに照明が暗くなり音楽も色っぽいものに一転したかと思うと、目の前のお姉さんさんたちが着ているものを1枚、2枚‥‥。
気づいたときにはエリに頬をペシペシひっぱたかれ、
「何が『あれー? 俺ショー見てたんじゃなかったっけ』よ。まったく、もう!」
と叱られていたのだった。
いやはや、夢と魔法の威力はたいしたもんだ。ディズニーランドってのも、なかなかいいもんだぜ。ぜひともまた来ようじゃないか、エリ。そのときも俺が必死に走って、ザ・ダイヤモンドホースシューの最前列をとってやるから、安心しな。





(注)この小文は、村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』とは、まったく関係ありません。また、実在する東京ディズニーランドは、ここにある記述とは大幅に異なります。ご了承ください。
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