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バス・トイレ別、日当たり良好、壁に節穴あり
2001/02/12










やむを得ぬ事情があって、この春、引っ越すことになった。
いやあ、引っ越しは、めんどくさい。
部屋探しから始まって、不動産屋に電話をし、その部屋はもうないと言われ、また探し、電話をし、またないと言われ、また探し、電話をし、またまたないと言われ、それを何度も繰り返し、ようやく「それはないけどほかにこういうのがある」とか何とか言われ、妥協し、下見に行き、気に入らず、また探し、電話をし、その部屋はもうないと言われ、また探し、電話をし、そろそろどうでもよくなり、てきとうに妥協し、部屋が決まってからは引っ越しに向けて捨てるものは捨て、持っていくものは箱に詰め、役所に行って住民票をもらって、会社の人に伝え、書類をまとめ、NTTに電話し、友達に電話し…、あああああーっ、めんどくさい!
ときどき、
「オレ、大学4年間で5回引っ越した」
とか、
「あたし、東京に来てから、えーと、10、11、12…、うーん、わかんないけど、それくらい引っ越ししたの」
などという引っ越し好きな人がいるが、彼らの精神構造はどうなっているのだろう。謎だ。

まあそれはさておき、部屋探しに先立って、雑誌やらホームページやらをいろいろ見て回ったのだが、その情報の不備なこと貧弱なこと、このうえない。
細かいことは不動産屋に直接訊け、ということなのかもしれないが、雑誌によってはその部屋が何階なのか、窓の向きがどちらかすら載っていない。
私の場合は、
「バス・トイレ別、日当たり良好、2階以上、近くに図書館あり」
というのが必要条件だったのだが、最後の「近くに図書館あり」というのが、何を見ても載っていない。
できれば、
「コンセントがいっぱいある」
というのも希望だったのだが、それも載っていない。
一体、どういうことであるのか。
「情報過多の時代に…」
「情報が氾濫する世の中で…」
などというのが世間の決まり文句のはずであろう。なのに、ぜんぜん足りないではないか。過多も氾濫もしてないではないか。

しかしまあ、図書館にせよコンセントにせよ、そのくらいだったら地図を見たり下見をしたりすればわかることなのであるが、たとえば、こういう希望だったらどうであろう。
「隣に女子大生かOLが住んでいて、その部屋との境の押入の壁に節穴があいている部屋を…」
(あ、もちろん、これは、たとえば、ですからね。たとえば。私の希望じゃありませんよ、あくまで、たとえば、ですよ。)
これはなかなか下見程度ではわからない。押入の扉を開けるのはよしとして、その中に入り込み、扉を閉め、壁のどこからか光が漏れ出ていないかを念入りにチェック、なんてことをしようものなら、たとえめでたく節穴を見つけたとしても、不動産屋の方から断られてしまうだろう。
一部の人たちにとっては、フローリングよりもベランダよりもガスキッチンよりもケーブルテレビよりも、この壁の節穴のほうが重大な関心事であるはずなのに、その肝心なことが、実際に引っ越しをするまでわからないのだ。

あるいはたとえば、子どものころから『うしろの百太郎』や『本当にあった怖い話』などに憧れていて、幽霊とか霊魂とか、そっちの方面が大好きな人の場合、
「地縛霊がついている部屋を…」
という希望があるに違いないのに、それだって住んでみないことには、そしてその部屋で一晩か二晩か、あるいはそれ以上の晩を過ごしてみないことには判明しないのだ。
大きな活字で、
「目の前が駅!!」
などと書くくらいなら、小さく、
「地縛霊付」
と載せてくれたほうが、よほど役に立つのではないか。

まあ論理的に考えれば、しかたがないのかもしれない。大家さんにせよ不動産屋にせよ、実際にはその部屋に住んだことがあるわけではないので、住んでみないことにはわからないそうした情報には、気づいていないのかもしれない。
しかし、だからといって、そうした情報なしに済ませてしまっている現状は、甚だ問題ではないのか。
趣味や嗜好の多様性、豊かさが喧伝される時代にあって、あまりに怠慢ではないのか。
今のままではいつまでたっても、覗き好きの人や幽霊好きの人は、自らの勘と経験だけを頼りに、アタリをつけ、引っ越し、失望し、引っ越し資金をため、また挑戦し、失敗し、また挑戦し…、と望み達せられるまで、飽くなき挑戦を続けなければならないではないか。

…ん?
あ、わかった。
なーんだ、それか。
引っ越し好きな人の正体は、それだ。
自称引っ越し好きな人は、実は、覗き好きか、幽霊好きだ。


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