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あたし、着席しちゃった‥‥
2001/11/06










古典的な表現で恐縮なのであるが、Aは、
「キス」
Bは、
「あん、だめ、そんなところ」
Cは、
「あへ」
ということになっている。
かつて、早熟な中学生などは、
「ね、ね、聞いて、あたし、昨日、ついに、カズオと、B、しちゃった‥‥」
「えっ、うっそー、きゃっ、やだー、ミツエったら。‥‥で、どうだったどうだった?」
などと、密やかに語り合ったものである。

無論、今どきこんな表現を使用しているのは田舎の小学生くらいであろう。言葉としては死に体である。
朽ち果てるのを待つばかりのそんな表現に今さら難癖をつけるのは、死に臨んだ夫の昔の女関係を暴き立てるようで甚だ気が引けるのだが、しかたがない。どうあっても、これだけは看過するわけにはいかぬのだ。
なにしろ、
「A、B、C」
なのである。
「キス」「あん、だめ、そんなところ」「あへ」という、わずか3段階のプロセスを表すのに、なにゆえ、
「アルファベット26文字」
なのか。エッ、どうなんだ。

いや、アルファベットを動員したこと自体は、いいだろう。
だが、動員した以上は、ABCばかりでなく、最後のZまで、すべてを使用するべきではないか。それが礼儀というものであり、常識というもののはずだ。
ごくふつうに考えるならば、最終目標である「あへ」をZに設定して、そこに至るまでのステップを25に分けてAからYまでに配分する、というのが穏当ではないか。
A、B、Cなんていうのは、本来、
「視線があう」
「おはよう、と挨拶する」
「昇降口のところで、ちょっと肩が触れあう」
あたりであって、しかるべきなのだ。
アルファベットのほうとしても、当然、そう思ったに相違ない。
「動員されるぞ!」
と聞きつけた26文字は、あたふたと鎧具足を身につけ刀を質屋から出し鉄砲を磨いて、いざ鎌倉と出陣に備えたであろう。
26文字全員が、突撃の号令あがらば何時なりとも敵地に踊り込めるよう、身構えたことであろう。

なのに、である。いきなり、
「キス」
から始まって、
「あん、だめ、そんなところ」
「あへ」
これだけで終わってしまうとは、なんということだ。D以降の立場はどうしてくれるのだ。鎧具足に身を包んだまま、ぼんやり佇んでいろとでもいうのか。
まあ、ときにはDまで声がかかることもあるのだが、それだって、
「Dは妊娠」
などとイレギュラーな扱い。すわ、ついに出撃の出番かと、
「いきます!」
と勢い込んで返事をしたら、
「あ、おまえは残飯処理班ね」
などと言われたようなものだ。ひどいではないか。
アルファベット26文字を動員しておきながら、A、B、Cのわずか3文字、11.5%しか使用しないとは、無駄を通り越して失礼ですらある。これが過ちでなくて、何が過ちというのか。

似たような表現に、
「探偵のイロハだよ、ワトソン君」
というものがあるが、これはいいのだ。まったく問題ない。
こちらも上のABCと同じく、最初の3文字しか使用していない。二からスまでの44文字は未使用のままである。
「イロハ47文字を呼びつけておいて、イとロとハのたった3文字、6.4%しか使用しないとは、ひどいでないか」
という意見がおありかもしれぬが、しかし考えてもみたまえ。
「探偵のイロハ」の内容は、具体的には、たとえば、
「きみの左の靴の内側に、ほぼ平行な疵が六本見える。これは明らかに、靴底の縁にこびりついた泥をかき落とそうとして、そそっかしい者がつけた疵だ。そこで二つの推理が引き出せる。きみが悪天候のときに外出したことと、きみのうちの女中がロンドンきってのやくざ女だという二つのね」
というようなことである。(注)
これらが「探偵のイロハ」と呼ばれるのは、それが実際に「推理探偵作業のごく初歩的な部分」だからなのである。探偵作業をイロハ47文字に換算すれば、約6.4%にあたる部分だからなのだ。
であるからして、可能性としては、たとえばイロハに続く「ニホヘ」は、「推理探偵作業のまあ初歩の応用編程度」ということになろうし、最後の「モセス」あたりは、究極の名探偵作業ということになる。
イからスまで、すべてに意味があるのだ。先のABCとは明らかに異なる。

ようするに、
「キス」「あん、だめ、そんなところ」「あへ」
という、三段階しかないプロセスに、アルファベット26文字を動員しては、いけなかったのだ。
三つしかないんだから、素直に三つだけのものを使えばよかったのである。
「A、B、C」
のかわりに、たとえば、
「ホップ、ステップ、ジャンプ」
「サイン、コサイン、タンジェント」
「チャー、シュー、メン」
「起立、礼、着席」
「三四郎、それから、門」
などを動員すればよかったのだ。
「ね、ね、聞いて、あたし、昨日、ついに、カズオと、コサイン、しちゃった‥‥」
「よよようし、こここ今年の夏休みは、るるるルミコさんと、着席するぞ!」
ということであれば、まったく無駄がない。シンプルイズベスト、スモールイズビューティフル。簡にして要を得た、すばらしい表現、ということになる。

と、ここまで書いてふと思ったのだが、もしかしたら、間違っているのは私のほうなのかもしれない。
忘れられつつある言葉によくあるように、この表現の裏には、私なんぞには考え及ばない遠大な由来が隠されているのかもしれない。
これら「A、B、C」は、かつては「キス」「あん、だめ、そんなところ」「あへ」にとどまることなく、遠くZまで続いていたのかもしれない。
人生の26のステップをアルファベット26文字に対応させて表す、まったく無駄のない、簡にして要を得た美しい表現の、わずかに一断片が現代に伝わっている、ということなのかもしれないではないか。
そう、たとえば、こんな表現だ。

A キス
B あん、だめ、そんなところ
C あへ
D 妊娠
E できちゃった結婚
F 出産
G 子育てに追われる日々
H 相手が浮気に走る
I 浮気発覚
J 大喧嘩
K あわや離婚というところで、二人目ができているのが判明して、よりを戻す
L 二度目の出産
M ふたたび育児に忙殺され、生活に疲れを感じる
N そんなある日、学生時代につきあっていたあの人と出会う
O 今度は自分が浮気
P 浮気発覚
Q また大喧嘩
R しかしなんだかんだ言いつつ別れられずに、落ち着く
S 平穏な日々
T 今や成人した子どもが、結婚したいと言い出す
U が、その相手というのがとんでもない人間であり、許すわけにはいかぬ
V 子ども駆け落ち
W 呆然として、許してやればよかったと後悔するが、もう遅い
X 老いを感じる日々
Y そんなある日、行方知れずだった子どもから、「この春、わが子が小学校にあがりました」とハガキが届く
Z 「そうか、あいつも、もう人の親なのか‥‥」と、涙がひとつぶこぼれる



(注)もちろんシャーロック・ホームズである。コナン・ドイル「ボヘミアの醜聞」(『シャーロック・ホームズの冒険』所収、新潮文庫、¥514)
ちなみに、ホームズがホントに「探偵のイロハだよ、ワトソン君」などと言ったとは思えない。少なくとも彼はイロハ47文字など知らなかったであろう。

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