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首相暗殺
2001/04/04










春である。
4月である。
桜の花咲く4月である。
1年生がピカピカ笑う4月、新サラリーマンがカチカチ歩く4月である。
家電リサイクル法がスタートし、改正少年法が施行され、三井住友銀行が発足するという4月である。

だが。
そんな身も心もうきうきわくわく、はずんではずんでドッキン!の春4月のはずだというのに、いったいこれはどうしたわけだ。この停滞感、閉塞感、沈滞ムードは何であるのか。
たしかに桜は例年より早く満開となりワクワク気分を誘っている。風も暖かくなってきている。しかし世間を広く見渡してみると、なんとも心沈まざるをえない。あたりに充満しているのは、さわやかな春の香りなどとは縁遠い、はああああという重苦しい嘆息ばかりではないか。

こうしたガッカリな状況の原因は誰のせいかというと、これはもう、もちろん森首相のせいに決まっている(注1)
そうだ。
引っ越しをしたりインフルエンザにかかったりあわわあわわと言ったりしているうちに、最後の更新から1ヶ月半もたってしまったのだが、そのころ、まだ寒さ厳しき2月の半ばから、世間の雰囲気は一向に上向いてないではないか。

当時、えひめ丸沈没のときに首相がゴルフをしていて官邸に戻るのが遅れたことを受けて、
“よりによってゴルフとは、彼もついていないものだ。ゴルフでさえなければ、何でもよかったのだ。たとえばこれが「伊豆の温泉旅館の一室で愛人と睦みあっている最中であった」としても、そのほうがどれほどマシだったろう。この場合、少なくとも首相官邸には素早く駆けつけることができたはずだからだ。慌てふためく秘書が襖越しに「首相、いかがいたしましょうか」と尋ねると、「ムッ、終わるまで、もうちょっと待ってくれ、ハッ、ホッ」と答えた30秒後くらいには浴衣の前をかきあわせながら部屋から出てきたりなんかして、「さすが首相、お早いですな」などということになったはずなのだ”
といった趣旨の文章をここに書こうかと思いつつも、あまり品がよくないのでやめたりしたのであるが、そのころと世間の状況は少しも変わりがない。

ああ、しかし春なのだ。4月なのだ。
せっかく暖かくなってきたんだから、なんとかしてこの寒々しい空気を払いのけたい。行き詰まった時代情況を打破したい。
われわれは何をなすべきなのであろうか。

といえば、もちろん当の張本人たる森喜朗に首相を辞めてもらえばそれで済むのだ。それで経済が好転してもしなくても、国民としては少しは溜飲が下がって明るい気持ちになる。とはいえ、そこはそれ、永田町の論理というかオトナの世界というか、なかなか一筋縄では行かないところが難しい。
自民党にとっては、森首相がいなくなったところで、後継首相を誰にするかが大問題だ。夏場までに目に見える成果をあげなければ参院選が戦えない。森首相は森首相で、ただ辞めるだけじゃ嫌だ、無理やり引きずり下ろされるみたいでみっともない、退陣後も影響力を残したい、などとこの期に及んで往生際が悪い。
まったく、あちらを立てればこちらが立たず、立つのは角ばかり。いったい日本のとるべき道はどこにあるのか。

というと、実はきわめてシンプルかつ決定的な方法がここにひとつあるのであって、それは何かと申しますに、などともったいぶったところでタイトルにあるのだからバレバレなのであるが、そう、そうである。
「首相暗殺」
である(注2)。これしかない。
などというと、
「わー、なんてこと言うんだ、この平和な平成の時代に、暗殺だなんて、なんたる時代錯誤、なんと乱暴な! 民主国家の名が泣くぞ!」
と憤る人があるやもしれぬが、それは浅はかというものだ。
考えれば考えるほど、これほどすべてが丸くおさまる名案はないのである。まあそこに座って聞きなさい。

まず、国民にとって。これはもう、疑いない。大歓迎である。
なにしろ、暗殺した瞬間、一瞬にしてあの森首相が消滅してしまうのだ。これほど簡単かつサッパリとした首相退任の方法が他にあろうか。やめてからもまだあいつの顔を見なくてはならないのか、などと心配することもなく、後腐れがない。国民にはお得な解決策だ。

次に、自民党にとって。彼らにしてみても、首相暗殺というのは願ってもない魅力的なアイデアであろう。
いい加減鼻つまみ者になっている森嘉朗を厄介払いできるだけではない。何より素晴らしいことに、これで夏の参院選は勝ったも同然だ。
「志半ばにして凶弾に倒れた森嘉朗君の弔い合戦だ!」
などとてきとうに選挙運動をすれば、愚民どもの票がバコバコ集まることは、小渕さんのときに証明済みである。党にとってもお得な案であることは、これで明らかだ。

そして、森首相本人にとって。
「これはいくらなんでも、ダメでしょ。死んで嬉しいわけがない」
と思うかもしれないが、どうしてどうして、まったくそんなことはない。
考えてもご覧なさい、これほど国民の不興を買ったダメ首相でも、ひとたび暗殺されてしまえば、
「暗殺された首相」
として、なんとあの伊藤博文と肩を並べることができるのだ。これはちょっと他には換えられない名誉ではないか。歴史に名が残るどころか、将来のお札の顔候補に躍り出ることにもなるであろう。目立ちたがり屋の森首相にとって、これを凌ぐような華麗かつ印象的な退任案などありえない。

以上、ほらほら、どうですどうです、国民も自民党も森首相本人も、みんな満足ニコニコ顔、そろって得をするという、大岡越前守もかくやというばかりの名案であることが、これでおわかりになっただろう。首相本人が暗殺計画を練ってもいいくらいだ。

というわけで、近いうちに、
「森首相暗殺!」
の報が流れても、
「さては森め、自作自演だな」
などと、勘ぐらないでおくことにしよう。それがせめてもの、彼への手向けだ。



(注1)なんとも短絡的な暴論のようであるが、このコーナーの趣旨としておもしろければそれでよいので、これはこれでいいのだ。
(注2)以前から謎なのであるが、なにゆえ真っ昼間の衆人環視のもとで殺されても、首相や大統領は「暗殺」なのだろう。深夜の密室で殺されても「足立区の38歳主婦暗殺」ということにならないのはなぜだ。暗殺される、というのも、やっぱりエライ人の特権なのだろうか。

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