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雨不遇の時代
2001/06/10










「雨も昔はいい女だったのだ」
と言うと、ほとんどの人は、
「げーっ、まさかぁ、あんなやつがぁ!?」
と顔をしかめるのだが、いやいや、侮ってはならない。若い頃の雨といったら、ちょっとしたものだったのだ。

そりゃあ、あの性格は、今に始まったことではない。暗くて、陰気で、湿っていて‥‥。
しかし、村の古老にでもきいてみなさい。口を揃えてこう言うであろう。
「いやあ、それがまたよかったんじゃ」
しっとりと落ち着いていて、はかなげで、たおやかに胸も薄く、どこかしら寂しげで‥‥。そのくせ、抱き締めると、感じやすいというか濡れやすいというか、そのあたり、男としては放ってはおけなかった。
男ばかりではなく女も、さらには子どもから老人まで、だれしも雨には好感を抱いていた。ひとたび雨が降ろうものなら、みな手放しで、
「雨じゃ、雨じゃ」
と喜んだものだ。
雨は天(あめ)に通じ、雨とはまさに天の恵みそのものだった。
偉い人は、雨とさえ関係をつけておけばなんとかなった。古来、雨を制する者は天下を制する習いであった。

ところが、どうであろう。
最近、雨に対する風当たりは強い。
「じとじとしてるしぃ、じめじめしてるしぃ‥‥」
「何考えてんだか、わかんないってゆーかぁ」
「あーゆー性格の女って、ダメなんだよね、オレ」
「カビ生えてるんじゃないの」
などという声が聞こえるばかりだ。
若干の雨歓迎の立場といったら、
「わーい、雨だ雨だ、これでマラソン大会は中止だあ」
とか、
「あ、雨降ってきちゃった‥‥。しかたがないなあ。しばらく雨宿りしない? ホテルにでも入って‥‥」
とか、それくらいしかない。在りし日の栄光、モテモテぶりは、面影すら残っていないのだ。

こうした変化は、何ゆえに起こったのだろうか。
根底にあるのは、われわれの社会・生活様式の変貌、すなわち、農村社会から都市社会への移行である。天候に大きく依存する農業にかわって、商工業やサービス業が産業の中心となった。都市社会においては、雨は障害にはなれど、決して喜ぶべきものではない。
それを先取りしているのは、近世の大都市江戸である。商人の多くは店を持たない棒手振(ぼてふり)であり、雨が降っては商売にならなかった。流通にも支障をきたしたであろう。また飲料水についても、上水道が完備した江戸市内においては、直接の降水が必要とされたわけではない。
もちろん、まったく雨が降らなかったりすれば、それはそれでタイヘンなのだが、とはいえこうした都市社会にとって、雨の魅力はほとんど、
「皆無」
と言っても過言ではない。社会が好意を寄せるのは、今や雨ではなく、晴天なのだ。

たとえば、源氏物語のような世界を思い描いてもらうとよいだろう。
モテモテ美形の貴公子と、彼を彩る女たち。なかでも雨の宮はいちばんのお気に入り。風の上や、やんちゃな野分姫や、菊童の紫雲丸や、小間使いの小雪ちゃんなどはものの数ではない。ところがある日、突然、男の心変わり。寵愛は照日の前へと移った。雨は見捨てられたわけではないが、
「ここのところ、あっちのほうは、さっぱり」
といったありさまだ。
これでは、たまったものではない。今まで、
「きみの、翳りを含んだ瞳が好きなんだ‥‥」
と言われ続けてきたのだ。いきなり、
「やっぱり、陽気で、屈託がなくて、健康的で、ボインボインな、照日ちゃんみたいな娘がいいな」
などと言い出すなんて、ひどいではないか。
前もって小出しにほのめかしておいてくれれば、雨としても性格の改善その他の何らかの対策を練る余地があっただろうが、こうも唐突では、どうしようもない。
これが竹を割ったようにさっぱりドライな女であれば、
「ま、いっか。あたしは他にいい男をさがすわ」
という選択肢もありうるわけだが、しかしながらドライな雨なんてものは原理的に存在しえないのであり、根に持つタイプの彼女には、もとの男に執着するしか道はないのだ。

となると、近年の世界的規模の砂漠化・水不足などは、昔ふった女の陰湿な嫌がらせに見えないこともない。
「ほらね、私がいないと困るでしょ。ねえ、後悔してる? 後悔してる? ふふふ‥‥」
だからといって、現代の都市社会に生きるわれわれは、彼女の、
「もう一度、私のもとにかえってきてもいいのよ‥‥」
の囁きに素直にしたがって縒りを戻し、
「これぞホントの、雨ふって地固まる」
というわけにはいかないところが難しい。



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