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若いころはスゴかったあなたに 『世界短編名作選 ソビエト篇』
新日本出版社、1978








「えーっ、お母さんって、昔はこんなに美人だったの!?」
などということが、家族の古いアルバムをめくったりしていると、ままあるものである。
「あら、そうよ、若いころは、すごかったんだから。それこそ何人の男を、手玉に取ったことか」
などと自慢げなお母さんだが、その彼女の今の姿といえば、ブクブクに肥え太って三重顎の三段腹、寝転がってテレビ見ながらパンツの中に手つっこんでおしりボリボリ掻いたりして、人間よくぞここまで堕落できるものか、というものだったりするわけである。
しかし、そんな彼女と若いころあぶないところまでいったけどそのまま友達としてつきあいを続け、現在は年に一度の同窓会で会う程度、という高田ハルオさんなどは、彼女の三重顎の丸顔の中に、かつての細面のやさしげな面影をふと認めたりして、今でもちょっぴりドキッ!となったりしてしまうわけだから、男女の仲というものは奥が深い。

しかしこれが人間ではなく国家となると、なかなかそんな具合にはいかないわけで、たとえばガラガラドシャーン!と音を立てて崩れ去った旧ソ連の瓦礫の山の中に、かつてそうだったかもしれない若き日の美しさなどというものを見出すことは難しい。
それどころか、冷戦後に生きるわれわれは、
「ソ連だなんて、ねえ…」
「ホントに…」
「とんだ回り道を…」
「せっかくの若い盛りを…」
「もったいないことをしたわねえ…」
などと、影で袖引き合うばかりなのであるが、しかしホントにソ連は回り道だったのか、若い身空を労働と陰謀で無駄にしてしまったのかというと、別にそんなことはないのであって、ソ連はソ連なりに、キラキラと輝いて道を行く誰もが振り返るような、いちばんきれいな時代があったのである。

蔵原惟人監修『世界短編名作選 ソビエト編』を読むと、それがよくわかる。
ソ連の小説というと、なんとなく、
「重・暗・悲の三拍子」
を思い浮かべがちだが、ことこのアンソロジーに収録された22作品に関しては、そんなイメージは当てはまらない。
O・ヘンリ風のものがあったり(パウストフスキー「雪」)、あるいはサキ風だったり(アクショーノフ「四三年の給食」)、泣けちゃう話もあるけど、ゾーシチェンコ「プーシキン」(注1)とかセイフーリナ「はげちょろ家のステパニーダ」のような笑いに満ちた話もある。
1978年の発行で、本屋さんにはもうないうえに図書館でも書庫に入っているような本であるのだが、死蔵されるのがもったいない、アンソロジーとしては極上の出来映えである。

ここに収められているのは、ロシア革命のソ連成立前後から、1960年代くらいまでの、まあソ連がそれなりに夢と希望に燃えていたかもしれない時代に書かれた作品ばかり。
1956年に書かれたルイトヘウ「ハバロフスクへ飛ぶ」なんかは、ホントにもう素敵な気分になってしまう、ああこんな小説がソ連にあったんだ、といった感じの小説で、「女の子活躍もの」小説としてはジェイムズ・ティプトリー・ジュニア「たったひとつの冴えたやりかた」(注2)なんてメじゃないですぜ!という胸のすくような物語だったりするのだが、しかしまあ今となっては、その希望に満ちた明るさが、かえってもの悲しくなってしまったりするわけで、そのあたりのところを、
「そのころから、病魔が彼女を蝕んでいたのね…」
と考えるか、
「若いころ、そんなふうだったから、あんなことになった」
と考えるかは、人によって見解のわかれるところである。


(注1)ゾーシチェンコってそんなに名前が知られているわけではないけど、ちょっと皮肉が効いたユーモラスな短編を書いているみたい。「筑摩世界文学大系」に入っている「ヴィクトーリヤ・カジミーロヴナ」なんていう作品もなかなかのおもしろさです。
(注2)『たったひとつの冴えたやりかた』(ハヤカワ文庫、浅倉久志訳)収録。たったひとり(ただし頭の中にはエイリアンが住み着いちゃってる)の宇宙船旅行でいきなり生命のピンチに直面してしまった元気少女の、ティプトリーにしてはある意味とてもまっすぐな感動と勇気の物語。川原由美子の表紙イラストにだまされて買った人はいっぱいいると思うのだけど、ストーリーはけっこうハードにSF!です。





「イワン・デニーソヴィチなんて小学生のとき読んだわ」という住之江はるか16歳。コギャルだって、やるときはやるのだ。


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