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正しい英語表現を
身につけたいあなたに
『神秘な指圧師』
V・S・ナイポール
永川玲二・大工原彌太郎訳
草思社、2002
¥1,900






仕事でたまに海外に行く。
グローバルかつインターナショナルな現代において、ことさら珍しいことではない。
が、しかし、である。
そのグローバルかつインターナショナルな時代にときどき海外に赴いているというのに、いっこうに英語力が向上しないのはどうしたわけか。
アメリカやらイギリスやらフランスやらに行くたびに、何を言われるにしても、
「ほへ?」
とマヌケ面をさらし、何を伝えるにしても、
「あわわあわわ」
と五体を総動員して身振り手振りで意図を伝達せしめようと必死になってしまうのである。
とりあえずそれで曲がりなりにも意思の疎通がたぶん4割くらいの確率で遂行されているからいいようなものの、これで仮に両手両足がなかりせば、たいへんなことになっているところであった。私の口や舌よりも、手と足のほうが、文法もろくに知らぬくせに、よほど英語ができるのではないか。
それにしても、コミュニケーションの道具としてこれほど便利な手足を持っていながら、太古の昔にヒトの祖先は何の必要があって音声による言語を生み出したのであろうか。真に音声言語を必要としていたのは、手足を持たぬヘビやミミズやアシナシイモリではなかったのではないか。

などということはさておき、考えてみれば、このグローバルかつインターナショナルな時代、毎年おびただしい数の日本人が海外へ出向いているのである。年間の海外旅行者数は、1700万人以上にもなるという。といってもピンとこないが、これはイエメンの人口と同じくらいなのである。って、ますますピンとこないか。イエメンって、どこよ。えーと、それなら、オーストラリアと同じくらい。この人数すべてがもしオーストラリアに行ったとしたら、かの国の人口は2倍になってしまうのだ。すごい。
事物には正と反があるという論理の必然からして、あるいは作用には反作用がつきものであるという物理の法則からしても、これほど大勢の日本人が大挙して海外へと押しかけている以上は、そろそろ海外の人も日本語に堪能になるのが道理というものだ。少なくともオーストラリアは、第二公用語を日本語にしてもいいはずだ。なのに、その気配が微塵もないのは、まったくどうしたわけか。

などとくだくだしく述べていると、英語ができぬ人間のひがみだと思われかねないのでこれ以上の詳述はせぬが、とにかくそんな私ならずとも、英語をしゃべれるようになりたい、正しい英語力を身につけたいと常日頃から願っている人は多いことだろう。
そんなあなたに朗報である。
これを読んでみたまえ。
じゃーん、V・S・ナイポール『神秘な指圧師』である。
作者は、ポストコロニアル作家の先駆のひとり。かつて英領植民地であったトリニダード・トバゴの出身である。
えーと、念のために言っておくと、トリニダード・トバゴというのは国名である。中米に浮かぶ数々の島国のうちいちばん南、ベネズエラ(いつの間にか国名が「ベネズエラ・ボリバル共和国」になっていたこと、ご存知ですか?)のすぐ沖に浮かぶトリニダード島とトバゴ島からなる。イエメンどころではないマイナー国家だ。建国以来、この国で起こった主な事跡といえばV・S・ナイポールを輩出したことだけではなかろうか。
なんてことはさておき、ナイポールのデビュー作『神秘な指圧師』(1957年)は、ひと癖あるようなないような主人公ガネーシュ・ラムシュマイア氏を中心に、トリニダード島の片田舎で繰り広げられる人間喜劇が淡々と描かれているわけなのだが、正しい英語表現を身につけたいと思っているあなたは、次の箇所に注目するといい。以下、長くなるが引用である。

《ある日彼(注・ガネーシュ)はいった。「リーラ(注・ガネーシュの妻)、そろそろわしらも英語国民であるということを自覚してええころじゃけえ、恥ずかしがらずにちゃんとした英語をしゃべらんといけんのう」
 リーラは台所のかまどの前にしゃがみこんで、乾燥したマンゴーの小枝を燃やしつけようとしていた。煙で目は充血し、涙をためている。「そうじゃねえ、あんた」
「いますぐ実行しようや」
「ええよ、あんた」
「よし、ところで、と。うん、そうだ。リーラ、火を燃やしつけたかねえ? いや、ちょっと待ってくれえよ。〈燃やす〉んかいの、〈燃す〉んかいの、どっちじゃろう?」
「ねえ、ちょっと休ませんさいや、あんた。煙が目にしみとるんよ」
「だめじゃないか。のう、いいか、煙が目にしてみているのよ」
 リーラは煙にむせて咳こんだ。「ねえ、あんた、私は用事が山ほどあって、なまけとるわけにはいかんのよ。ビハリイ(注・ガネーシュの友人)と話をしてきんさい」
 ビハリイは熱烈に賛成した。「そりゃ名案じゃのう! フエンテ・グローブ(注・ガネーシュたちが住んでいる村)の困ったところは、ちゃんとした英語をしゃべる相手がおらんことじゃ、いつからはじめようかの?」
「いますぐ」
 ビハリイは口をもぐもぐさせながら不安げに微笑した。「そりゃだめじゃ。考える時間をもらわにゃあ」
 ガネーシュは譲らなかった。
「じゃ、ええわい」とビハリイはあきらめた。「はじめんさい」
「きょうはやや暑いですね」
「こうおっしゃるつもりでしょう――きょうはずいぶん暑いですね」
「ええか、ビハリイ、そのとおりじゃが、揚げ足とりはやってもつまらん。たがいに助けあわにゃあのう。よし、もう一度やりなおしじゃ。ええかの? 空はずいぶん青く、一片の雲も見あたりません。おい、なんでまた笑うんじゃ?」
「だってガネーシュ、あなたはものすごくおかしいので」
「そんなことをいえば、あなただってものすごくおかしいよ」
「いや、わたしがいうのは、あんたがそんな顔をして、そんなことをしゃべっとるのがおかしいんですよ」
 ガネーシュが家に帰ってみると、かまどでコメが煮たっていた。「ラムシュマイアさん」とリーラがいった。「どこに行ってらしたの?」
「ビハリイとちょっと話しておった。それがねえ、ちゃんとした言葉で話そうとするビハリイのおかしさったらなかったんじゃ」
 こんどはリーラが笑いだした。「わたしたちって、ちゃんとした英語で話すっちゅうたいへんなことをはじめたのではありませんの?」
「ええか、おまえはわしの飯をちゃんとつくっとりゃええんじゃ。わしがそういうたときだけ正しい英語で話したまえ」》(注)

どうであろうか。
そう、そうなのだ。
立派な英語圏に住んでいる住民でさえも、かくのごとく自らの英語力に劣等感を抱き、正しい英語表現を身につけようと日々努力しているのだ。
正しい英語表現を身につけたいと日夜願っているあなたは、トリニダード・トバゴなどという今はじめてその存在を知ったような国の人たちに、なにやらえもいわれぬ親近感、いや、言葉の壁を乗り越えた心と心の通い合いともいうべきものを感じたのではあるまいか。
それはまさに、正しい英語表現をキッチリ身につけている人にはとうてい味わうことのできぬ深い共感であるはずだ。正しい英語表現を身につけたいと思っているあなたには、正しい英語表現を身につけてしまう前に、ぜひこの小説を読んでもらいたいのである。
以上。
おしまい。

ということで、ここまで読んで初めて、
「え、え、もしかして、“正しい英語表現を身につけたいあなたに”って、“正しい英語表現を身につけるためにどうしたらよいかを伝授する本の紹介”じゃなかったの?」
と愕然とされているかたがいるかもしれないが、残念ながらそんなわけであるのだからしかたがない。
ま、この文章のおかげで、トリニダード・トバゴの位置がわかっただけでもよしとしていただければ幸いである。



(注)作中、トリニダード方言が広島弁で訳されていることに関して、翻訳者のあとがきによると、「とどのつまり尾道・広島弁にたどり着いたとき、規模も文化も根本的に異なるものの、島の多さや海への距離感、その向こうにあるらしい喧噪な土地までの遥かな感覚など、地理的近似と言語の関係に驚かずにはいられなかった」というが、いかがなものか。




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