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タコ漁師のあなたに | 『霊感少女論』 近藤雅樹 河出書房新社 ¥1,800 |
タコ漁師のあなたには、ズバリ、この本をおすすめしたい。 近藤雅樹『霊感少女論』である。 タコ漁師と霊感少女という奇抜な組み合わせに絶句してしまうかたがあるやも知れぬが、しかし誰がなんと言おうと、この本はタコ漁師のためのものなのである。 武田泰淳『司馬遷 史記の世界』(注)の中に、こんな1節がある。 《「刺客」とは何か? 突如として現れ、忽焉として没する者である。彼等が歴史に接するのは、武器を手にして権力者に近づく、その一瞬時である。…(中略)…。その瞬間によって歴史に参加した。祖先を誇り、子孫を栄えさせもしない。財を積み、功を重ねもしない。閃いて消えるのである。》 『霊感少女論』において、タコ漁師は、まさにその「刺客」である。 コックリさんなどを手がかり足がかりに、霊感少女という存在について、歴史的社会的に分析を試みたこの本であるが、その中のただ1ページ、ただ1節に現れ出たタコ漁師のおかげで、たぶんこれを読み終えた人の9割は、本を閉じたあとに、ひと言、 「タコ漁師かぁ…」 と嘆息するに違いないのである。 白刃一閃、まさに一瞬の活躍によって、本全体の印象を根本から覆してしまったのである。これを刺客と言わずして何と言おうか。 ここにその問題の箇所、問題のセリフを引用するので、タコ漁師のかたもタコ漁師でないかたも、魂が打ち震えるような思いを味わってもらいたい。 明治期、学制の導入によって子どもたちは誰もが学校に通わなくてはならなくなるのだが、それに反発する親も多かった、という話にエピソードとして紹介されているタコ漁師のセリフである。そのひと言は、百年の星霜を経てなお、その鋭い切れ味を失うことがない。 《「学校の勉強なんか、せんでええ! 倅は、蛸をとるんや! 蛸より、ちょっと頭がよけりゃええ!」》 どうだどうだ! どんな崇高な学問理念も、この人間の真実を謳ったひと言の前には沈黙せざるを得ないだろう。「蛸より、ちょっと頭がよけりゃええ!」。その「ちょっと」のあたりが、言い知れぬオーラを発していないか。 この真実の言葉を目にしてしまったら、霊感少女もコックリさんも、もうどうでもよくなってしまうのもやむを得ぬ。いや、このセリフに出会うためだけにでも、『霊感少女論』を一読すべし!といってもいい。 思いがけぬところで人生の真実、人の世の奥深さに接することができる。本を読むことの愉悦のひとつは、まさにこうしたところに存するのである。 |
(注)以前は講談社文庫から出ていたけど、絶版。今は講談社文芸文庫から出ています。 |