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好き嫌いの多い小学生諸君に 『虫の味』
篠永哲・林晃史
八坂書店、1996、\1,800






自慢ではないが、偏食である。
好き嫌いが多い。
ニンジン、ピーマン、しいたけ、ゴボウ、ブロッコリー、セロリ、ホワイトアスパラガス、玉葱…。
野菜の名前をランダムに列挙していったら、たぶん半分くらいは嫌いなものにあたるはずだ。
以前、友人に、
「しいたけが食べられないなんて、人生の楽しみの半分を知らないようなものだ」
と言われたことがある。
芥川龍之介は小島政二郎に向かって、
「独身者には人生の3分の1しか理解できない、妻帯してやっと半分、子を持って初めて一人前だ」
と語ったというが(注1)、しいたけが嫌いでまだ結婚もしていない私は、人生の何ものをも知らないということになる。トホホ。

ときどき、
「あたし、子どもころ、セロリがダメだったんだけどぉ、なんかいつの間にか食べれるようになってぇ」
などと言う人がいるが、どうしてそういうことが起こりうるのか。頭おかしいんじゃないか。
そういう人って、子の親になった場合、
「どうしてセロリ食べられないの、ちゃんと残さずに食べなさい。お母さんだって、ちっちゃいころは嫌いだったんだけど、がんばって食べれるようになったんだから」
などと平気で言う、子どもの痛みをわかってあげられない親になるんじゃなかろうか。

そうなのだ。
どうして、
「子どもの頬をひっぱたく」
が児童虐待になるのに、
「嫌がり泣き叫ぶ子どもに無理やりニンジンを食べさせる」
が虐待といわれないのか。
「バットでお尻を叩く」
が非道な体罰といわれるのに、
「グリーンピースを全部食べられるまで昼休みをとらせない」
がそういわれないのか。
ニンジンやグリーンピースを無理やり食べさせられて、子どもの心はひどくひどく傷ついているに違いないのだ。お母さんを恨み、先生を恨み、給食のおばさんを恨み、大人を恨み、社会を恨み、果てはいじめ、非行、売春、麻薬、殺人へとつながっていくのだ。
「子どもの権利を守ろう」
と一方で声高に主張しておきながら、こんなことでいいのか。

などというと、
「ニンジンと暴力は違う! あたしは、子どものためを思って、ニンジンを食べさせているのよ!」
と真っ赤になって反論するお母さんがいるやも知れぬが、そんな論理は通用しない。子どもをぶん殴る親だって、
「子どものためを思ってこうしてるんだ」
と言うであろう。加害者の気持ちなどいくら述べ立てようと意味がない。大切なのは子どもの内面、被害者がどう思うかなのである。

たとえば、どうです。いきなり、
「このゴキブリを食べろ!」
と小皿に盛ったゴキブリの酢の物をさしだされたら、どうですか。食べられますか。食べられないでしょう。無理やり口の前に持ってこられて、
「食べろ、食べろ」
と無理強いされたら、どうですか。
「嫌だ嫌だ」
と泣き叫ぶんじゃありませんか。
そう、子どもが無理やりニンジンを食べさせられるときも、それと同じなのですよ。皿の上に盛られたおぞましいものを前に、
「僕にこれを食べろ、というのですか…、この得体のしれぬ、見るからに吐き気がする、気味が悪い、いやらしい、正気の人間が口にするものとは思えぬものを食べろ、絶対食べろ、死んでも食べろ、と、そうおっしゃるのですね…」
と、子どもたちは思っているのですよ。

というと、
「ニンジンとゴキブリが同じなわけないでしょっ! 第一、ゴキブリが食べられるわけないじゃない!」
と青筋立てるお母さんがやっぱりいるかもしれないが、ふふーん、そういうと思ってました。そんなことになると思って、用意していたのです、この本を。
篠永哲・林晃史『虫の味』。
この本を読めば、ちゃんとわかるのだ。
ゴキブリだって食べられるってことが。
いや、ゴキブリどころか、ミノムシもカマキリもハエの蛆もオケラもシロアリもカブトムシもムカデも、みんなちゃーんと、それなりにウエッとなることなく、食べられる、ということが。

この本に載っているゴキブリの調理法は、刺身・塩焼き・唐揚げ・ゴキブリ酒。
唐揚げは、
《芝えびのから揚げと似ており、ゴキブリと思わずに食べれば問題なし。なお、味塩で食べるのが最もよい。》
塩焼きは、
《口に入れると意外にサクサクとして、イナゴの味に似ていた。》
頭や翅、脚、消化器を取り除いて塩水で洗い、ポン酢で食べるという刺身は、
《ゴキブリ特有の臭気が口に残るが、ホヤの刺身と思えば気にならない》
なのだそうだ。
「ゴキブリ特有の臭気って、いったい…」
と思わないでもないが、まあふつうに食べられるようである。
どうだどうだ、お母さん、まいったか。ぐうの音も出まい。

ちなみにこの『虫の味』、2人の研究者が自ら実験台となってどんどん虫を食べていくのであるが、ときどきひどいことをする。
ハエの蛆を天ぷらにしたところ、折りよく友達が訪れたので、
《「珍味ハチの子の天ぷら」と言ってすすめたところ、うまいうまいと言って全部平らげてくれた。これで材料が何であるか知らなければ食用になることがわかった。》
って、研究者の態度かい…。
この友達はほかにもいろいろなものを知らずに食べさせられているようだし、いきつけの居酒屋の女将も被害にあっている。もちろん奥さんも例外ではなく、孫太郎虫のチョコレート漬けは、
《一見、菓子のように見えて食べやすく、味もチョコレートが浸みて美味。何の説明もせずに、家内に食べさせたが、孫太郎虫とは気づかなかった。》
研究者の妻というのもたいへんである。

そんなわけで、えーと、なんだか話が本題からずれてきてしまったような気がするが、ともあれ、以上の文章を読んだ小学生(および幼稚園児)の諸君は、お母さんから無理やりニンジンを食べさせられそうになったら、断固たる口調で、
「僕という児童を虐待するのですか! その行為によって僕の心は取り返しようもなくひどく傷つき、非行に走って友達をいじめ自殺に追いやり、麻薬に手を染め人を殺すかも知れないのですよ! そんなに僕にニンジンを食べさせたかったら、まず貴女がゴキブリを食べてみせなさい!」
と主張するとよいであろう(注3)
もちろん、激昂したお母さんに、
「じゃあもうニンジンはいいから、あんたはゴキブリでも食べてなさい!」
と反撃されたときのために、ゴキブリを食べられるようにしておくことも必要だぞ。



(注1)小島政二郎『眼中の人』(岩波文庫、1995、\570)
(注2)虫を食べるといえば、三橋淳編著『虫を食べる人びと』(平凡社、1997)もなかなかおすすめ。日本だけでなくアジアやアフリカなどの虫を食べる風俗を民族学的に紹介している。アフリカの何とかいう芋虫は、現地の人に言わせると「もし死ぬまで1種類しかおかずが食べられないとしたら、肉よりも野菜よりもこれがいい」というほど美味しいらしい。
(注3)こういう場合に、
「そんなに言うんなら、お母さんはゴキブリを食べる。そのかわりあなたはニンジンを食べるのよ」
とボロボロ泣きながら台所でゴキブリの油炒めをつくりはじめるお母さんがいたら、それってけっこう感動的なドラマじゃないかと思う。やっぱり良い子の諸君は、こんなことを言ってお母さんの愛を試してはダメだよ。

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