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成分表示が気になるあなたに (あるいは清純でウブウブな女子のあなたに) |
『青春と変態』 会田誠 ABC出版、1996、¥1,500 |
牛乳やヨーグルトやコーンフレークやキャットフードにつきものなのが、 「成分表示」 である。 エネルギーが何kcalでタンパク質が何gでビタミンEがどうしたカルシウムがこうしたとかいう、あれである。 私なんぞはてきとうなのであんまり気にしたことがないのであるが、しかし世の中にはあれが気になって気になってしかたがない人も多い。 ヨーグルトを買うにも、ひとつひとつ丹念に見比べて、 「あっ、こっちのほうが鉄分が0.3mg多い! こっちにしよう」 という選び方をするわけである。 しかし、考えてみると、おかしなものだ。 身体をつくり維持する食物にこうして成分がキッチリ表示されている一方で、精神と知識の糧となる本にはなにゆえそういった表示が一切ないのであるか。本にこそ、成分表示が必要ではないのか。 なにしろ、本を読もうとする人がその内容に関して事前に得ることができる情報は、きわめて限られたものなのだ。タイトル、作者、装丁、出版社名、そして少々のあらすじ、その程度でしかないのである。図書館や古本屋などで、帯も何もついていない知らない作家の知らない作品を手にしたとしたら、それが果たしてどのような内容を含んでいるのかは、読んでみるまでさっぱりわからない。 そんなとき、ヨーグルトやキャットフードと同様に、成分表示がなされていたとしたら、どれほど便利であろう。感動できるのか笑えるのか、エロエロなのかロリロリなのか、思わず郷里が恋しくなるのかあるいは道行く人を殴りつけたくなるのか。そういった成分がどのくらい含有されているかがわかれば、少なくとも、自分の好みにあっているかどうかくらいは手早く判断できるはずだ。 たとえば、幸田露伴『連環記』(注1)に、 「洒脱なユーモア‥‥17.4%」 の表示があれば、『五重塔』(注2)で挫折した人もちょっと興味をそそられ、無理なく手に取ることができよう。 あるいは『論語』に、 「悪女‥‥0.2%」 とちゃんと表記されていれば、悪女ファンが見落としてしまうこともなくなるだろう(注3)。 さらにまた、坂東眞砂子『道祖土家の猿嫁』(注4)に、 「恐怖‥‥0% 土俗的笑い‥‥31.2%」 という表示があれば、『狗神』(注5)みたいなのを期待して読み始めて当てがはずれることもないはずだ。 どうであろう。やはり本にこそ、成分表示が必要なのではないか! エッ、どうなんだ! と息巻いているそんなあなたには、この本をおすすめします。 会田誠『青春と変態』。 素晴らしいことに、この本の帯のところには、懇切丁寧に、 「本書の成分表」 が載っているのである。以下のようなものだ。 赤面‥‥24.3% 吐き気‥‥20.8% 純愛‥‥15.4% 犯罪性‥‥12.5% お笑い‥‥11.0% スカトロ‥‥8.3% スキー‥‥5.5% 涙‥‥2.1% 思想‥‥0.1% 反省‥‥0% おお、わかりやすい。そうかそうか! これを見れば、たとえば糞尿関係のファンの人は、 「おお、スカトロ8.3%含有か! 読んでみよう!」 と鼻息荒く大いに期待して読み始めることができるだろうし、ちょっと今日は二日酔い気味で‥‥、という人は、 「ああ、吐き気が20.8%も入ってるのか。うえーっぷ。今日は読まないほうがいいな」 と事前に避けることができるのだ。すばらしい! 出版不況が取り沙汰されるようになって久しいが、供給者側の自助努力があまりに貧困であることは見過ごされがちである。今後、各出版社はこれを見習って、裏表紙の端のあたりにキッチリと成分を表示し、読者への便宜を図ることが必要なのではなかろうか。 ところで、作者の会田誠は、いわゆる気鋭の若手アーティスト。モダンアートの現場でかなり注目されている人なのだけど、その彼が本というメディアにおいてそのあふれるパワーと表現したのがこの作品だ(注6)。 などというとたいそうなもののようだが、実際にはそんなに気負って読む必要はないのであって、それどころか、これほど恥ずかしい本もなかなかないくらいで、装画からしてああもうダメな感じで、そのうえ帯の惹句が、 「ウンコの固いキミに初恋」 なのである。恥ずかしい。 内容は、さらにさらに恥ずかしい。 本文2ページ目には、この『青春と変態』というタイトルについて、 《これは最近読んだ太宰治の『正義と微笑』の影響が入っている。》 などと書いてあって(注7)、 「何が影響なんだ。同じなのは“と”だけじゃん」 ということになるのだが、そういう意味の恥ずかしさではなくて、まあ成分表示からも明らかであろうが、もうとにかくトイレ覗きにすべてをかけた17歳高校生の「僕」が吐露する赤裸々な告白に、‥‥ああ、やっぱり吐き気が‥‥。 気の弱い人と潔癖性の人にはおすすめできないが、しかしくだらなさとお下劣さとばからしさの中に隠された二重三重の仕掛けには、まさに刮目瞠目。プロットの巧妙さ、精密さには、そこらへんの三文小説家など足元にも及ばない。 だがそれ以上に、青少年の恥ずかしい生活を衒いなく書ききった、 「恥ずかしい青春小説」 として、清水義範『学問ノススメ』シリーズ(注8)、大槻ケンヂ『グミ・チョコレート・パイン《グミ編》』(注9)と並ぶ名作といえよう(注10)。 ウブウブな女子の人などは、ぜひこれを読んで、男子について研究してもらいたい。 |
(注1)幸田露伴『連環記 他一篇』(岩波文庫、¥360)。露伴がその深甚な教養と博覧強記を余すところなく開陳した作品。慶滋保胤やら赤染右衛門やら増賀上人やら、どこかで聞いたことのある平安の有名人たちが登場するエピソードが次から次へと鎖の環のようにつながって、聖と俗、男と女が交錯する闊遠な露伴ワールドが繰り広げられ、読んでると思わず陶酔しちゃいます。 (注2)幸田露伴『五重塔』(岩波文庫、¥360)。漢字フェチは必読。クライマックスの暴風雨の場面なんて、漢語を知らない今の作家などはとてもではないが及ぶものではない。 (注3)『論語』の何が悪女なのよ!と詰め寄る人がいるかもしれぬが、いるんですよ。ムフフ。衛の霊公夫人、雍也第六に出てくる南子がそれ。ファンの間では、「ナンシー」の愛称で呼ばれています。 (注4)坂東眞砂子『道祖土家の猿嫁』(角川書店、2000)。タイトルからして、いかにもまた四国の山村を舞台にしたドロドロ伝奇ホラー!のように思えて、実はなんとものんびりで土俗的ユーモアあふれる、それでいて坂東眞砂子らしい哀しさも混じった連作短編集。 (注5)坂東眞砂子『狗神』(角川文庫、¥500)。四国僻村の「狗神筋」の伝承を軸に、血縁と愛憎がもつれあう、これぞ正統派伝奇ホラー。小松和彦の『憑霊信仰論』(講談社学術文庫、1994、¥980)を読んでおくと、さらに楽しめます。 (注6)同じく本をメディアとした作品に、小説ではないけれどバカエログロマンガ『ミュータント花子』(ABC出版、1999、¥1,200)もあります。ちなみに会田誠は今秋に横浜で開催される国際美術展「横浜トリエンナーレ2001」に出品予定とのこと。 (注7)太宰治「正義と微笑」(『パンドラの匣』所収、新潮文庫)。俳優を目指す早熟な中学生の日記の体裁を借りた、明るくステキな小説。 (注8)『グミ・チョコレート・パイン《グミ編》』角川文庫、¥590 (注9)『学問ノススメ《奮闘編》』(光文社文庫、¥485)、『学問ノススメ《挫折編》』(光文社文庫、¥460)、『学問ノススメ《自立編》』(光文社文庫、¥485) (注10)ちなみに、古本屋業界裏話で有名な青木正美が戦後間もないころの自分の日記をまとめた『東京さまよい日記 東京下町1945-1951』(東京堂出版、1997、¥3,500)は、さらにその上を行くすさまじいオモシロサ、恥ずかしさで、これらの3作品を使ってそのオモシロサを表すと、 (『グミ・チョコレート・パイン《グミ編》』+『学問ノススメ』)2+P ただし、0<P≦『青春と変態』 ということになる。 |