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心にもないことを口にしないために | 『犬が星見た』 武田百合子 中公文庫、1982 |
食事の最中に、いきなり、 「○△×■*@%$●〒#?」 などと話しかけられたら、困るではないか。 アメリカやらヨーロッパやらのレストランでの話である。 よくよく聞いてみると、 「Are you enjoying?」 とか何とか、それに類することを言っているようなのだが、しかしまだ半分しか食べてなくて、「フフ、このお肉はおいしそうだから最後にとっておこう」などとプランを練っているときなのであるからなあ。そんなことを訊かれても、答えようがないではないか。 たとえ楽しんでいたとしても、 「○△×■*@%$●〒#?」 などと唐突に言われたせいで、 「ン、ガ、プ、プ」 と昔のサザエさんのように食物をのどに詰まらせたらどうしてくれるのだ。 どうせ何かを訊くのであれば、食事のあとにエスプレッソでも飲みながらぐったりしているときにしてもらいたい。 そういうときであれば、 「食事がお済みのようなので今後の参考のためにもひとつお訊きしたいのだが、今の食事は客観的に判断していかがであったか。10段階評価で何点だったか評価してもらいたい。なお、公正を期すために、最も高い点と最も低い点を除外して、それ以外のものの平均に難易度の係数をかけたものを総合点として採用したい」 といった問いかけにも快く応じようし、喜んで一肌脱ぐ気にもなろうというものであるが、いきなり、 「○△×■*@%$●〒#?」 ではなあ。 などとくだらぬ理屈を並べないで、ここはひとつ穏便に、単なる慣習と割り切って、 「Great!」 「That's fine!」 とでも流しておけばいいのだ、と現地の人は言うのであるが、しかしこうした慣習の積み重ねが、ウェイター/ウェイトレスの甘えと増長につながり、果ては料理の質の低下とファーストフードの台頭の一因になったのではなかろうか。 そうだ。慣習といえば、 「チップは15%」 あれもどうにかしてほしい。 10%やら20%ならいいが、15%とは何だ。エッ。 115.80ドルの15%は‥‥、えーと、まず、10分の1が11.58ドルで、その半分が約6ドルとして、ということは15%は17.58ドルで、まあ17.6ドルとして、合計は、えーと、115.8+17.6は、えーと、えーと、小数第一位がひとつ繰り上がって、えーと、えーと、ねえちょっと、紙とペンある?などと酔った頭で考えねばならぬのだ。どうにかしてくれ。 ということで話がそれているのでそろそろ本題に立ち返ると、まあそんなわけであるから、今までレストランで、 「Great!」 などと心にもないことを口にしてきた欧米人のあなたには、ぜひこれを読んで反省してもらいたい。 武田百合子『犬が星見た』。 日本文学史上、まことに稀有な観察眼を持った武田百合子が「犬が星見た」ような純粋さでもって、夫・武田泰淳とその友人・竹内好と一緒に参加したロシア旅行をつづった名品である。 冒頭部分、出航したばかりの船の上で、夫・泰淳がウェイターのようなことを言う。 《「百合子。面白いか? 嬉しいか?」》 これに対してわれらが武田百合子は、「Great!」などと応じたりはしない。 《「面白くも嬉しくもまだない。だんだん嬉しくなると思う」》 当たり前といえばあまりに当たり前ではある。だがなんと実直な、地に足がついた言葉であろうか。 われわれがやろうと思ってもなかなかできないような、そんな当たり前で地に足がついたことを、彼女はまったく意を介さぬまま、軽々とやってのける。 そうそう、これこれ。 人間たるもの、こうでなくてはいけない。 とはいえ、武田百合子ならぬ常人たるわれわれとしては、彼女の言動に見習うのはレストランの中だけにとどめたい。 身の程もわきまえずに、 「これからは心にもない言葉を吐かないようにして、武田百合子のように、太陽とともに風とともに生きよう」 などと心に誓ってしまうと、 「あらあら、けっこうなものをいただいてしまって」 「やーん、ユミちゃん、かわいい〜!」 「もしかして、ちょっと痩せた?」 「愛してるよ」 といった言葉が口にできなくなって、人間関係に齟齬をきたしかねない。 |