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業務用の巨大鍋を買ってきてしまったお父さんに | 『骨の学校』 盛口満・安田守 木魂社、¥1,700 |
お父さんは、変なものを買ってくる。 ・使えそうにない中古のクラシックカメラ ・サビの浮いた古いブリキのおもちゃ ・何が書いてあるのか読めない掛け軸 ・メルクリン社の鉄道模型の機関車 ・奇妙な壺 以上のようなものを前触れもなく買ってくるのは、たいていお父さんなのであり、対する幼い子どもたちは「わー何ソレ何ソレ」と歓声を上げ、思春期の娘は何も言わずに鼻で笑い、お母さんは「アンタッ、またろくでもないもの買ってきて!」とマナコを三角にする、それが世の習いということになっている。 お父さんは、変なものを買うのが大好きだ。そして、変なものが買える場所も大好きだ。 ふだんならお母さんの買い物に30秒だってつきあえないお父さんも、デパートの入口やエスカレーターの脇で「骨董市」「がらくた市」などのポスターを見ると、途端に目の色が変わる。いつもなら「オレはここで待ってるぞ」と休憩所に居座ったまま梃子でも動かないのに、急にフットワークが軽くなる。「ちょっと見てくるから、おまえは服でもゆっくり選んでなさい」と、ひとりさっさと7階催し物フロアなどに向かっていく。 そうして、「見てくる」としかいってなかったくせに、クラシックカメラやら何が書いてあるのか読めない短冊やら奇妙な壺やら、余計なものを買い込んできて、お母さんに怒られることになるのだ。 そんなお父さんの大好きな場所のひとつが、東京の合羽橋(かっぱばし)道具街である。業者向けの製品を主に扱っている、いわゆる問屋街である。 何の問屋かというと、飲食店関係の問屋である。喫茶店やらレストランやらを開きたい人は、ここをぐるりとひと回りすれば、土地以外はすべて揃う。 東京には他にも、駄菓子を扱う日暮里菓子玩具問屋街や、花火や雑貨が並ぶ浅草・蔵前問屋街といった問屋街がいくつもあるけれど、いちばん人気のあるのは、やはりここであろう。何しろ、約800メートルの道の両側にひしめくお店には、 ・食品サンプル ・のれん ・組み立て式屋台 ・コック帽 ・中華料理屋によく貼ってある「福」の字を逆さに書いたやつ ・奇妙な壺 以上のようなものが所狭しと並んでいるのだ。 いつもは厨房に入らない、どころか中学の家庭科の時間以来包丁を握ったことすらないお父さんも、思わず興奮し、発汗し、目は血走り、声はうわずり、所かまわずお店に入り、ふとわれに返ると、フォークが宙に浮かんだスパゲティの合成樹脂製食品サンプルや「営業中」と書いてある札や「居酒屋」の提灯や奇妙な壺を手にしている自分に気づくのだ。 さらには、こんなものを注文してしまっているのである。 業務用の巨大な鍋。 直径60cmくらいある、たとえばテレビの「行列のできるラーメン屋特集」などを見ているとよく出てくる、「野菜と鶏ガラと豚骨と企業秘密のアレを1週間煮込んで出汁をとるんですよ」なんていいつつ店主が柄杓を突っ込んでいるような、アルミ製のあの巨大な寸胴鍋である。 これは困る。食品サンプルなら棚に飾っておけばいいし、「営業中」の札はトイレのドアに掛けておけばいいし、奇妙な壺は玄関先にでも置いておけばいい。しかし巨大な鍋となるとなあ。棚の上にもトイレにも置けないし、もちろん毎日の料理に使えるわけがない。 お父さんは、 「ほら、パーティをやるときなんかにさ、便利なんだよ」 などというけれど、ちょっとアンタ、うちでパーティなんか、これまで一度もしたことないじゃないのよ。 と、お母さんのマナコがまたしても三角に吊り上がってしまうのだが、大丈夫ですぜ、お父さん。そんなときにはこれを参考にするといい。 盛口満・安田守『骨の学校』。 著者二人は、埼玉・飯能の自由の森学園の理科教師(注1)。とくにゲッチョ先生の異名を持つ盛口満の方は、ほかにも興味のおもむくままに、冬虫夏草を探したりドングリを拾ったりネコジャラシでポップコーンをつくったりしているわけだが(注2)、この本のテーマは、シンプルに、ずばり、骨。拾ってきた動物の死体から、骨格標本をつくるのだ。 《骨格標本を手に入れるといっても、野山を歩いていてそうそう骨だけが落ちているということはない。いきおい、死体から骨を取り出すという作業が多くなる。》 ということで、モグラやウサギから、タヌキ、ハクビシン、コイやイルカまで、拾ってくる動物の死体は、実に多種多様。そこから、 《‥‥皮をはぎ、できるだけ肉を取り除いたものを、水から煮る‥‥。少々むっとしたにおいはするが、鮮度が悪くなければ耐えられないものではない。》 と、骨だけ取り出し、組み立てるのだ。 単に骨格標本をつくるばかりでなく、骨と骨拾いにまつわる素敵なエピソードも満載である。 ゲッチョ先生が壱岐に行ったら砂浜でいきなりクジラの背骨を見つけてしまい、地元の人たちからさんざん怪しまれた末に宅急便で自宅へと送りつけたものの、近くの干物屋のオヤジに、 《「あんた、なーんも苦労してない顔してるな。学生か? 働いてるって? 大体クリスマスに一人でこんな所に遊びに来られることからしてそうだよ。え? カミさんも子供もいる? よっぽどカミさんができた人なんだな‥‥」》 といわれた話やら、彼の教え子である生徒のミノルが五島列島までクジラの骨を拾いに行って、島の子どもたちに、「お兄ちゃん何してるの?」と声をかけられ、 《彼のえらいところは、素直に「お兄ちゃんはクジラの骨を拾いに来たんだよ」と身分を明かしたことにあった。》 と、子どもたちの案内でクジラの頭骨と背骨を見つける話やら、それをきいたゲッチョ先生が、 《クジラの骨を拾いたいなら、やっぱり生半可な気持ちではいけないのだ、とミノルの話を聞いて僕は思ったのだった。》 とやけに深く納得している話やら、まあとにかく、骨の世界の奥の深いことといったら甚だしい。 思わず魅了されてしまい「よーし、ぼくもひとつ、骨格標本つくってみるぞう」とその気になってしまった人向けには、お肉屋さんで売られている豚足を例に、必要な道具(注3)や肉の取り方、骨の組み方、ディスプレイ法まで詳しく図解してあるのも心強い。この1冊で、おお、骨の魅力がすべてわかるのか!と思ったら、 『骨の学校2』 まで出てしまっているのだから、さらに侮れない。 まあそれはともかく、くだんの業務用巨大鍋を買ってきてしまったお父さんも、本書を一読すれば、もう安心。先ほどから、 「そんな鍋、何に使うのよ」 とマナコを吊り上げているお母さんに対して、胸を張って申し述べることができるだろう。 「この鍋で、死体を煮るんだ」 と。 そうだ。赤子がひとりスッポリとおさまるようなこの巨大鍋なら、リスやイタチは言うに及ばず、タヌキやキツネだって煮ることができるはずだ。さあ、ゲッチョ先生や生徒たちを見習って、骨格標本をつくってみようではないか。 どこからか死体を調達してきて、鍋で煮込んで肉を取り除き、小さな骨の細片をひとつひとつ丁寧につなぎあわせ、ポーズをつけてディスプレイ台の上に標本を構築していくその楽しさ、興奮は、子どものころに熱中したプラモデルづくりの比ではない。 テレビを見ながらごろごろしていた、これまでの非生産的な休日とはおさらばだ。ものいわぬ骨が紡ぎ出す静謐な美が、生と死の境を超越する夢幻のエンターテインメントが、あああ、オレを、オレを待っているのだ! そんな骨格標本づくりに目覚めたお父さんが、会社帰りなどになんだかよくわからない獣の死体を拾ってくると、対する幼い子どもたちは「わー何ソレ何ソレ」と歓声を上げ、思春期の娘は何も言わずに鼻で笑い、お母さんは「アンタッ、またろくでもないもの拾ってきて!」と、やっぱりマナコを三角にすることになる。 |
(注1) ただし2000年に退職して沖縄に移住し、現在は「珊瑚舎スコーレ」の活動にたずさわっているとのこと。そのあたりについては、続刊の『骨の学校2』を参照されたし。 (注2) いずれも、自由の森学園の理科教師時代にしばしば生徒や同僚の安田君を巻き込んで楽しんだもので、このあたりの事情は、それぞれ『冬虫夏草を探しに行こう』(日経サイエンス)、『ドングリの謎』(どうぶつ社)、『ネコジャラシのポップコーン』(木魂社)に詳しい。 (注3) ピンセット、ハサミ、入れ歯洗浄剤などいろいろ挙げられているが、これらは、あくまで初心者向けである。熟達した腕前になると、たとえば本書に出てくる生徒のトモキのように、 《「うーんと、ワリバシとツマヨウジと接着剤」》 だけでつくることができる。 |