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片想いのカレを振り向かせたい乙女に | 海の味 山下欣二 八坂書房、1998 ¥1,900 |
朝のバスでいつも一緒になるカレ。 まだ名前も、それどころか学年も知らない。 県南高の生徒ってことしか、わからないカレ。 文庫を読むふりをしながら、そんなカレの横顔に、チラッ、チラッと視線を投げかけつつ、静かな吐息をもらすしかない、乙女のあなた。 あるいは、サッカー部の森崎くん。 女子の間でも、けっこう人気があって。 コクったコも多いっていうけど、でもつきあってるコはいないとかっていう。 もしかして、もしかして、 「実はオレ、杉下さんのことが‥‥」 なーんて、バカバカ、ユキコのバカ、そんなこと、あるわけないって。 でも、でも、もしかして‥‥。 などと夢想しつつも、実際には校庭でボールを追って走るカレの姿を2階の窓辺からこっそり眺めるだけの、乙女のあなた。 告白どころか、相手に手紙も渡せない、声すらかけられないという、内気で繊細なそんな悩める乙女のあなたでも、しかしカレの心をゲットするチャンスはいくらでもある。 いにしえより、密やかな乙女の恋を成就させるためのさまざまな手段が、研究され考案され開発されてきているではないか。 簡単なものでは、「恋のおまじない」がある。 「夜中の3時ちょうどに鏡を覗いて好きな人の名前を3度唱える」 とか、 「紙のヒトガタにカレの名前を書いて川に流す」 とかいうのが、その例だ。(ちょっと違うような気もするが、そのあたり、私は悩める乙女ではないため、知識不足であることを認めざるをえない。勘弁してもらいたい。) しかしなあ、これでは、弱い。頼りない。 こんな方法で果たして恋がかなうのか。切ない想いが相手に伝わるのか。 別に迷信をバカにするわけではないのだけれど、いかにも心許ないような気がする。 もっと物理的化学的生理学的に、相手に直接働きかける方法のほうが、いいのではないか。 というと、 「誘拐監禁する」 「悪魔に魂を売る」 「邪神に身体を捧げる」 くらいしか思いつかなくて、さっき「さまざまな手段」などと言っておきながら、実はあんまりバリエーションがないことに気づいて焦ったりするのだが、いやいや、待たれよ。安心したまえ。 ここにひとつだけ、物理的化学的生理学的に実効性があり、なおかつ比較的容易に実践可能な手段があるのだ。 ズバリ、 「ほれ薬」 である。 「でもでも、ほれ薬って、手に入れるの、難しいんじゃないの」 と、気の弱い乙女のあなたは心配するかもしれない。 「ほれ薬の材料って、マンドラゴラとかじゃないの?」 まあたしかにマンドラゴラは、なかなか入手できるものではなさそうである。処刑された人間の血だまりの中から生えるとか、引き抜くと悲鳴のような声をあげてそれを聞いた人は死んじゃうとか、それではちょっとたいへんだ。 「ほら、やっぱり、ダメじゃないの。そんなの、手に入れられっこない。それなら、もう、あたし、邪神にカラダを捧げる‥‥」 いやいや、待ちなさい。そんなに早まらなくてもよろしい。 たしかに、マンドラゴラを原料にするのはほぼ不可能だろう。 だが、この日本には、伝統的、正統的なほれ薬の原料として、もっと簡単に手に入るものがあるではないか。 植物ではなくて動物で、そこらへんの田舎の小川や沼の中にいる、背中が黒くてお腹が赤くて‥‥。 そう、それ。 イモリである。 なんだかよくわからぬが、このイモリ、滋養強壮精力増強やおねしょ防止などとともに、ほれ薬としても素晴らしい薬効がある、ということになっているのだ。 まあ都市部では川で捕まえることは無理だろうが、ちょっとしたペットショップなどに行けば売っているはずだ。早速走って買ってくるといい。 とはいえ、 「買ってきたのはいいけど、でもでも、これ、どう調理したらいいの‥‥?」 と、繊細な乙女のあなたは、またしても不安になってしまうかもしれない。 だが、フフフ、大丈夫なのです。 そういうときは、ジャーン! この本を参考にしてください。 山下欣二『海の味』である(注)。 さて、一般的にはイモリといえば、 「黒焼き」 ということになっている。しかしただでさえ半分黒いイモリを真っ黒にしてしまっては、それって単に、 「焦げただけ」 ではないか。そんなものを愛しいカレに見せようものなら、 「料理のできない女」 と思われかねない。 とりあえず、無難なところで、唐揚げにしてみてはいかがか。 下ごしらえは、 《腹を裂いて内臓を出し、串をうって塩コショウ》 これだけ。簡単だ。ただし、 《この作業が大変だ》 というので、若干覚悟が必要らしい。 《10センチそこそこのものだが腹を裂こうとすれば身をよじる、内臓を出したものでも平気で歩いて逃げる、暴れて串をうつのもひと苦労。》 なのだそうだ。 気の弱い乙女のあなたは、ここでタジタジと怖じ気づいてしまうかもしれないが、しかし、これも憧れのカレの心を射止めるため。邪神にカラダを捧げるつもりで、これくらいはガマンしなくてはならない。 そうして、無事、串を打ち終えたら、実際に調理して味をみてみよう。 《串刺しのイモリを5分間高温の油で揚げたものを1尾口の中へ》 入れてみると、 《堅い、とにかく堅い、1尾をかみ砕いて飲み込むのに2分くらいかかる。2分といえば100回くらい咀嚼しなければならない。》 ちょっと堅いらしい。 お味のほうはいかがか。 《味は鶏でもなければ魚の味でもない。イモリの味とでも言うべき独特な味がする。》 ユニークな味のようだ。 ただし、若干注意すべき点は、 《その独特さは好ましい独特さではなく、嫌な独特さであった。》 ということである。まあ薬なのだから、しかたがないであろう。 とはいうものの著者の姿勢は前向きで、 《もし私が絶海の孤島に漂着したと仮定してみよう。そこには食料となるものはまったくなく、ただイモリだけが腐るほどいるとしたら、私は躊躇なくイモリを食べ続けるだろう。そしてやがて、イモリを美味なものと感じるようになるにちがいない。》 という。そこまでしてイモリに義理立てする必要がどこにあるのかわからないが、もしかしたらそう思わせる何かが、イモリには秘められているのかもしれない。 まあそれはそれとして、こんな独特な味を持つイモリを食べさせることができて、なおかつたとえひとくちでも飲み込んでもらえたとしたら、その時点でカレの心は手に入れたも同然だ。 乙女のあなたには、ぜひ挑戦してもらいたい。 |
(注)『虫の味』『うちのカメ』と同じ八坂書房の本。いつもながら、地味で素朴ながらマニアックな、しかしあえてあまり狙っていない姿勢が本読みの心をくすぐる、素晴らしい出版社である。 ちなみにこの『海の味』は、『虫の味』ほど過激ではない。各地の民俗や近世以前の文献をもとに、一応食習慣があるものしか食べてないからである(イソギンチャクだって有明海の方では魚屋さんに売ってるそうである)。しかしゴカイだけはダメだと思うぞ。 とはいえ、そのぶん『虫の味』よりも身近な感じで、たとえばヒトデってウニと同じ棘皮動物だから、星形の真ん中のあたりをグワッと切り開くと、ウニのような生殖巣があって、これを食することができる(まずかったらしいが)、などと聞くと「お、そうかそうか、今度やってみよう」という気になるわけである。 |