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ガイジンがニガテなあなたに 「鳥取」
志賀直哉
『万暦赤絵 他二十二篇』所収
\550








今さら言うまでもないことだが、
「グローバル化の時代」
である。
何はなくとも、とりあえずは、
「インターナショナル」
にしておきましょ、という時代なのである。

そんな現代だというのに、あいかわらず、
「ガイジンはちょっとニガテで…」
という人は多い。
地下鉄に乗っていて、すぐそばの扉からガイジンのサラリーマンなんかが乗ってくると、
「わ、ぎゃわ、ガイジン! どどど、どうしよ、隣に座ったら、どうしよ、わ、わ、こっち見た、ぎゃ、わ、来るな来るな、あっちいけ、あ、あ、あーあ、座っちゃった、どどど、どうしよ」
と焦ってしまい、
「どどど、どうしよ、こういうガイジンに限って、人の気も知らないで、勝手にしゃべりかけてきたりするんだよね、ハーイとか言っちゃってさ、何がハーイだ、イクラちゃんか。い、いや、ととととにかく、どうしよ、ももももし、しゃべりかけてきたら、ど、どうしよ、何て言おう」
と勝手に想像して冷や汗たらたら、
「いっそのこと、寝たふりしちゃおっか、あ、い、いや、いかんいかん、そんなことをしたら、こういうガイジンって、そういうの、すぐ気がつくんだよね、で、“鎖国!?”とか、“尊皇攘夷!?”とか、“真珠湾!?”とか思われて、ああ、そんなことになったらたいへんだ。いかんいかん、ももももし、話しかけられたら、ハロー、とか何とか、にこやかに答えねば」
と、頼まれもしないのに勝手に親善大使を買って出て、
「えーと、ハウアーユーって言われたら、何だっけ、ファインセンキューだっけ、そうそう、そうだ、で、アンジュー?とか言うのね、あ、でも、そんな流暢な対応して、この人英語できるな!とか思われちゃったら、どどど、どうしよ」
と勝手にシミュレーションして、
「えーとえーと、とりあえず、当たり障りのない話題をすればいいのかな、いい天気ですね、とか、イッツファイン、トゥデー、だっけ、あ、ダメだ、ここは地下鉄だ、天気の話はダメだ、ああー、しまった、どどど、どうしよ」
と勝手に錯乱してしまう人、そういう人は多いんじゃないか。

そういう人には、ぜひともこれを読んでもらいたい。
志賀直哉「鳥取」。
作者のあとがきによると、
《何を書こうとしたか忘れたが、そのため、山陰の温泉に出かけ、書けずに帰って来て、書けなかったその時のことを書いてしまった。》
という作品である。

鳥取といえば、砂丘とラッキョウ以外には何もないところである。
歴史的に見ても、先の鳥取大地震(たぶん県外の人はもう誰も覚えてないだろう)の前にあったことといえば、えーと、何があるっけ、あ、そうそう、神話時代に出雲がどうとかいう、あ、それは島根県だっけ、鳥取じゃなかった、ダメじゃん。
と、ことほどさように何もない場所である。
そんな場所であっても、もしかしたらめぐりあわせによっては、この地を舞台に志賀が大傑作を書き上げていたかもしれず、それによって鳥取の名は世界に轟いていたのかも知れぬと思うと…、と鳥取県人は泣いて悔しがっていると聞くが、ま、10ページ足らずとはいえども、この秀抜な紀行文が残されただけでも行幸であろう。

とはいえ、この作品の眼目は後半部分、鳥取から帰る汽車の中にあるのであって、鳥取の土地自体は別にどうということもなく、文豪にとってもつまらない場所だったということがわかる程度なのだが、ま、この文章は鳥取の悪口を言うのが目的ではないので先を続けると、その汽車には偶然、《学生時代二、三度演説を聞いた事のある》N老博士(実は新渡戸稲造(注)である)が乗り合わせており、さらにそのN老博士と知り合いらしい老外人もたまたま乗っているわけである。
その老外人が、いい。
《老外人はパンを食い終わると、床に置いた茶の壜を取り上げ三、四杯続けざまに飲み、それから、またそれを足もとに置いて、今度は余ったパンを丁寧に新聞紙に包み、さらにモスリンの風呂敷を巻き、その両端を一つ結び、もう一つ駒結びに結ぼうとし、しばらく考えていたが、恐る恐る結んでみると、それが逆で結び目は十文字になってしまった。》

どうであろう。
「あ、あるある、そういうことって、ある!」
と思ったのではないか。
「あれって、下手に考えちゃうと、かえって失敗するんだよね」
と共感したのではないか。
そうして、なんとなく、ガイジンも同じ血の通った人間なのだなあ、ということを実感し、
「今度地下鉄でガイジンが乗ってきても、温かな目で、迎えてあげられそうな気がする」
と、ガイジンに対してにわかに親近感が沸き起こってきたのではあるまいか。

中には、調子に乗って、
「こんなガイジンなら、隣に座ってもいいな」
とまで思ってしまった人がいるかもしれないが、しかしこういう愛すべきガイジンこそが、隣に座った途端にこちらを向いて、シミュレーションするヒマも与えないまま、
「ハーイ」
とか何とかしゃべりかけてくるから侮れない。



(注)五千円札の人。この新渡戸稲造が何をやった人なのか、どういう偉人なのかについて、いまだにほとんどの日本人が知らない。まさに、
「どこの誰だか知らないけれど、誰もがみんな知っている」
という状態であり、一部では、
「現代の月光仮面」
と呼ばれているという。





ショタコンOL逢坂まどか(25歳)は、近頃「小僧の神様ごっこ」にハマってます。気に入った子はあたしが食べちゃうの…。


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