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犬好きのあなたに 「昼下がりの女王」
(『第81Q戦争』収録)
コードウェイナー・スミス
伊藤典夫訳
ハヤカワ文庫、1997
\699






最近、犬好きの人が多いような気がする。
昔に比べて、
「私、犬、だーい好き!」
「俺、実は犬好きなんだ」
と、あたりはばからず公言する人が、多いような気がする。

ちょこまかちょこまか散歩しているミニチュアダックスなどを見ては、メロメロ顔で振り返って、
「きゃーん、かわいーっ!」
と悲鳴を上げそうな女性が増えているような気がする。
ペットショップの前でガラスにへばりついて、とろんとろんに目尻が下がったとろけそうな顔をしてミニチュアシュナウザーを見つめている紳士も、やっぱり増えているような気がする。
「CLEA」なんかの女性誌でも、「やっぱり犬が好き!」などと大特集していたりして、世間の人々が犬を崇め奉ること、甚だしいような気がする。
そのもてはやしぶりには、
「元禄の綱吉の時代以来ではないか」
と歴史学者が目を見張っているというし、また、
「犬なのに、こんなに猫かわいがりしてしまっていいのか」
と言語学者が憂慮しているとも伝え聞く。

などと言っている私自身も、恥ずかしながら犬好きでありまして、あの潤んだ黒目がちの瞳でもって、
「ナニ? ナニ?」
と期待のこもった眼差しで見上げられ、ぶるんぶるんとシッポを振るわれてしまった日には、ああもう、どうなってしまうことか、われながらちょっと保証できません。

さて、まあ、そんなご時世を反映して、犬好きの喜ぶような小説やエッセイも、今では事欠かない。
代表的なところでは、そうですね、野田知佑と椎名誠の、カヌー犬ガクが登場する一連の作品、あれなんかいいですね。ああいうのを読むと、とるものもとりあえず、愛犬を乗せるためだけに、カヌーをやりたくなってしまう。

キャサリン・ネヴィル『8(エイト)』(注)も、立派な犬小説である。
これに出てくる駄犬キャリオカのかわいいことといったら!
初めに登場したときには、こんなにオロカで鬱陶しい犬コロはいないぞ!と思うのだが、読み進めるうちにだんだんとそのかわいさがわかってきて、後半の大活躍の場面では、
「キャリオカ、がんばれ!」
と、思わず本に向かって声援を送ってしまうことになる。

犬が主人公、という小説も多い。
宮部みゆき『パーフェクト・ブルー』と乃南アサ『凍れる牙』は、その双璧。読む人は自ら犬と一体になり、わがことのように犬の気持ちを味わえる。
ただし、この手の小説の欠点として、第三者の目から、
「きゃーん、犬、かわいーっ」
っていうのが味わえないのが寂しいともいえる。

しかし、世の犬好きのために、この場でなんとしてもおすすめしておきたい小説がほかにある。
コードウェイナー・スミス「昼下がりの女王」。
〈人類補完機構〉シリーズのひとつとして、例のエヴァンゲリオンのファンの中にはタイトルに騙されて買っちゃって、ちょっと読んで閉じてそのまま本棚の奥にしまい込んでしまった人も多いという、『第81Q戦争』の1編である。
そうやってしまい込んじゃった人も、もし犬好きなのであれば、あらためて何とか探し出して、この作品だけは読んでおいてください。

何しろ、ここに出てくる遠い遠い未来の「動物人」がかわいいのだ。
もう、とにかくかわいい。メロメロ。
別に事細かに描写されてるわけではないんだけど、犬人間のビルは、
《威厳を保とうとしたが、尻尾が勝手にふれるのにはがっかりした。これは抑えの効かない衝動らしい。》
というのである。きゃーん、シッポ振ってるー。
《「おそらく褒美が出ると思うよ」
 不本意ながら、ビルは尻尾がひとりでにふれだすのを感じた。》
またシッポ振ってるーっ。
ということで、どうやら、遺伝子操作がどんどん発展して人間と同等の知性を持つにいたっても、犬はやっぱり嬉しいときにシッポを振ってしまうようなのだ。かわいいではないか。

遠い将来、そうやって犬が知性を獲得することがあるのだろうか。
愛犬のカレンちゃんなどが、散歩の途中、お茶目な口調で、
「ふふ、それじゃ、フンの始末はしておいてね。あたし、先に行くから」
などと言う日が来るのであろうか。
でもこの作品を読む限り、どんなに犬が賢くなろうとも、どうやらポーカーと麻雀の相手だけは、つとめられないようである。



(注)キャサリン・ネヴィル『8(上・下)』(村松潔訳、文春文庫、1998、\740)

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