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イカ好きのあなたに | 『サイエンスエッセイ イカの春秋』 奥谷喬司編著 成山堂、1995 |
よく知られているように、函館には「イカ踊り」という踊りがある。 老若男女、1万人の函館市民が街へ繰り出し、 「イカ刺し、塩辛、イカポッポー」 などと口々に歌いつつ喚きつつ、手まね足まねでイカの三角頭や打ち震えるイカそうめんを表現し、我を忘れて踊り狂うという、まさに勇壮にして華麗、剽悍にして繊細、青森のねぶた、秋田の竿灯にも比肩すべき、北の夏のクライマックスである!と言っても、 「過言ではない」 と、イカ方面漁業関係者の間で囁かれている、そんな踊りである。 毎年、この季節になるとイカとイカ踊りで頭がいっぱいになって、ほかのことには手が着かなくなってしまうという、高校野球好きのオッサンのようなファンも多いと聞く。彼らの間では、イカ踊りでウキウキしてしまうことを、 「イカイカしちゃう」 というそうである。 まあしかし、すべての高校野球ファンが必ずしも甲子園で観戦したことがあるわけではないように、このイカ踊りに参加した人ばかりが日本のイカ好きのすべてではない。たとえイカ踊りを踊ったことがなくても、イカを愛すること人後に落ちないという人は、この世には多いのだ。 「イカには私も一家言あります」 と、自分なりのイカ哲学を持っている人。 話がイカのこととなると、つい熱くなってしまって、 「ま、いっか」 などと言っていては、 「いかーん!」 と、思わず叫んでしまうんです、という人。 イカの塩辛さえあればおかずは何もいらず、パスタを食べるなら必ずイカ墨スパゲティ、水族館ではイカの水槽の前にへばりつき、イカの匂いを嗅いでは恍惚となり、もし首を絞められるのなら白魚のような美女の指ではなくイカの細く長く白い足で絞めてもらいたい!と思っている人。 日本は、イカ好き、イカファンで、満ちているのだ。 そんな、イカを愛してやまないすべてのかたにおすすめしたいのが、この本である(注1)。 タイトルはズバリ、『イカの春秋』。 シンプルながら含蓄に富んだ、狙っているような狙っていないような、味わいのあるタイトルには、イカファンならずとも、思わずゾクリとさせられてしまう。 内容は、サイエンスエッセイ。イカに情熱を注ぎ命を懸け、四六時中イカのことばかり考えているイカ研究者の人やイカ研究者じゃない人、総勢26名が、いかした口調でつづった31編は、まさに綺羅星のごとし。専門的な論文や記事ではカバーしきれない、あふれんばかりの熱い思い、目を覆いたくなる軽妙な駄洒落が、遺憾なく開陳されている。 テーマは実に多岐に渡る。イカの生態や構造はもとより、イカの年齢、イカにつく寄生虫、飛んでるイカ、イカ墨食品、CGで描くイカ…。手を変え品を変え、次から次へと代わるがわる出てくるイカエッセイの連なりは、まさにイカ料理フルコース、といった趣(注2)。ふだん何気なく接し、何気なく食べていたイカの、思わぬ魅力に気づかされ、イカ好きのあなたは思わず感涙にむせんでしまうかもしれない。 もちろん、別にイカ好きではない人にもおすすめだ。 これまで、 「イカなんて、いかほどのものか」 などと、イカを侮っていたあなたも、あるいは、 「イカって、いかがわしいわ」 などと、イカに不信感を抱いていたあなたも、これを一読すれば、 「イカって、すごいではないか」 と、目を見張るだろうことは間違いない。 |
(注1)あまり関係はないけれど、イカではなくタコを愛する人には東海林さだお「タコ釣る人々」(『とんかつ奇々怪々』(文芸春秋、2000)収録)をおすすめしておきます。タコに対する素朴で力強い愛情にあふれた一編です。 (注2)ことに「イカを騙す秘訣 自動イカ釣り機の開発」(浜出雄三)は、いかにも素人くさい文章がたまらない好編である。 |