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方言で話す女の子に弱いあなたに 『火宅の人』(上・下)
壇一雄
新潮文庫







「聞いてよお、ケンジってえ、もーチョー下手。サイテー。タクヤのほうが、百倍よかったって感じい」
などと女子高生が話していたとしたら、
「わわわわ、ななななんだキサマ、こここコムスメのくせに、ぐ、ぐわわわわ、ななな何を言っておるんじゃあ!」
と、思わず顔をどす黒く染めてしまうけれども、これがたとえば旅先のローカル線の電車の中、ボックス席の向かいに座った地元の女子高生で、
「聞いとちゃ、ケンジったば、もういかく下手なんだば。げもげも。タクヤんばあ、百倍えかかったって感じなんだばあ」
というのであれば、
「そうかそうか、ケンジは下手か。げもげもだったか。タクヤはえかかったか。そうかそうか。うむうむ、許す許す。どんどんやっちゃいなさい」
と、
「思わず、ニコニコ顔になっちゃうんです」
というあなた。

あるいはまた、
「ねえお兄さあん、ちょっと寄っていかなあい? サービスするからあん」
などと会社の飲み会の帰りにムチムチお姉さんに袖を引かれたところで、
「あのね、僕、そういうの、興味ないの。そこらへんのオヤジと一緒にしないでくれない?」
と眉ひとつ動かさずに一蹴するのだけれども、これがもし、たとえば出張先の夜、ビジネスホテルに帰る途中だったりして、
「あんなあ兄さん、ちいと寄っていけへんかっしゃ? サービスしちゃとっせえ」
などというのであれば、
「えっ、あの、その、僕、そういうの、はじめてだし。でも、あの、いけへんかっしゃ?と言われちゃうとなると、その、あの、寄ってもええかっしゃん、なんて、あの、その」
と、
「思わず、しどろもどろになっちゃうんです」
というあなた。

女の子の話す方言に弱いそんなあなたには、この小説をおすすめしたい。
檀一雄『火宅の人』。
これに出てくる恵子ちゃんが、というか恵子ちゃんの博多弁が、んーもう、たまらんのですわ。
《「好いとるよ」》
なんて、くーっ、いいねえ。いっぺん耳元で、囁かれてみたい。
恨み言を聞かされるにしても、
《云うちゃるけど、桂さんはアタシを廉う見てあるとよ》
とか、いいではないか。こんな恨み言なら、毎晩でも聞くとよ〜。でへへ。

ところで、こうした「方言好き」は、たぶんにエキゾチック嗜好を背景とするものである。耳慣れない方言が、未知の世界に対する甘く切なくロマンチックな思いを喚起し、目の前の娘さんを実際以上に純朴で、やさしく、可愛らしく、快活なように感じてしまうのだ。自分が内面化し、かつ通暁している方言を使われてしまっては、まったく意味がない。
そんなわけで、あなたが博多出身者である場合は、
「好いとるよ」
などといわれたところで、
「あ、そう」
と受け流すばかりであろう。
たぶん恵子ちゃんに満足できないだろうから、別枠として、うーむ、そうだなあ、『火宅の人』の向こうを張って、川端康成『古都』(注1)あたりをすすめておきたい。

ちなみにそういう私には名古屋人の血が流れているので、自慢ではないが、
「おみゃーのこと好きだでかんわあ」
などといわれたところで、どうってことはない。(注2)



(注1)新潮文庫。捨て子ではあったが京の商家の一人娘として美しく成長した千重子は、祇園祭の夜、自分に瓜二つの村娘、苗子と出会う…。数奇な運命を辿ったふたごが、互いに惹かれあいながらも、そのあまりに異なる境遇の違いが微妙なすれ違いを生んでいく…。というお話よりも、「いけずやわ」なんていう京言葉が織り込まれた活字版洛中洛外図のような世界で陶酔してしまいます。
(注2)脚色してあります。名古屋人はこんなこと言いません。せいぜい、「好きだで」くらいです。


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