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一人旅にあこがれている 男性には |
「佐渡」 (『きりぎりす』収録) 太宰治 新潮文庫、¥476 |
「男のひとり旅」 というのは、なんとなくカッコイイ気がする。 冷たい風に吹かれながら足の向くまま気の向くままに歩くその後ろ姿、頬杖をついて次々と変化する車窓風景をじっと眺めているその横顔には、どことなく哀愁が入り交じった、ダンディズムが漂っているように思える。 そうだ、沢木耕太郎の『深夜特急』(注1)も野田知佑の『旅へ』(注2)も、そんなダンディな男のひとり旅ではないか! などというのは、ひとり旅を味わったことのないシロウトの考えというものであって、実際の「男のひとり旅」とは、決してダンディなばかりではないのだ。むしろ、情けなくてつまんなくてトホホなことが多いのだ。 たとえば、電車の中で駅弁を食べていたら、ある駅で地元の女子高生が集団でドカチャコと乗り込んできてしまい、あわわあわわとご飯の味もわからなくなってしまったりするのである。 たとえばまた、ローカル線のボックス席の片隅で田舎の景色を楽しんでいると、向かいに座ったカップルが田舎者のくせに妙にネチネチとイチャついて、しかたがないので景色は断念して寝たふりをしなくてはならなかったりするのである。 さらにたとえば、山奥の秘湯の露天風呂で静寂の中ひとり湯に浸かっていると、突然水着姿の女子大生3人組などがジャポンジャポンと入ってきて、出るに出られなくなってしまったりするのである。 男のひとり旅のそんなトホホな真実を、沢木耕太郎も野田知佑も本にするときにナイショにしちゃったのか、あるいは真にダンディな男はそんなトホホな目にはあわないのかよくわからないが、しかし事実がどうであれほとんどの人は沢木耕太郎や野田知佑のようにダンディなわけではないので、男のひとり旅とはトホホなものであると心しておいたほうがよかろう。 男のひとり旅にまつわる、そうした情けなくてトホホでみっともないことを20ページほどの中に凝縮し、余すところなく書き尽くした、古今の紀行文学の中でも白眉とも言うべき作品が、太宰治「佐渡」である。 もともと、情けなくてトホホでみっともないことを書いたら日本一である太宰治が佐渡へのひとり旅を題材にしているのだから、いやもう、この作品の情けなくてトホホでみっともないことと言ったら! なにしろ始まりから、 《船には、まるっきり自信がなかった。心細い限りである。》 そのうえに、 《何しに佐渡へなど行くのだろう。自分でも、わからなかった。》 なのである。トホホである。 孤独な後ろ姿が漂わせる独特のダンディズムなど、カケラもない。 さらに、「工」の字の形の佐渡島の左下の部分を見て「佐渡島だ!」と思ったら船は通り過ぎていってしまい、また前方に島影が見えてきたので、「あれは佐渡島ではなかったのか。しかし新潟と佐渡島の間にほかに島なんかあったっけ?」と思い、10歳くらいの女の子が父親に尋ねているのを《人知れず全身の注意を、その会話に集中させ》て聞いて、「工」の字の左のふたつの出っ張りをそれぞれ別の島だと勘違いしたのか、とようやく合点したりしている。みっともない。 港についたら傘もマントもないというのに雨で、《港の暗い広場を、鞄を抱えてうろうろ》する羽目になる。情けない。 宿に到着すると、ご飯をよそってくれる女中さんとの会話がはずまず、 《「内地へ、行って見たいと思うかね。」 「いいえ。」 「そうだろう。」何がそうだろうか、自分にもわからなかった。》 なんていう具合。 ひまを持て余して料亭に行ってみたら、 《この料亭の悪口は言うまい。はいった奴が、ばかなのである。》 しかたがないので芸者さんを呼んでもらったら、 《君は芸者ですか? と私は、まじめに問いただしたいような気持にもなったが、この女のひとの悪口も言うまい。呼んだ奴が、ばかなのだ。》 もう自分ながら、情けなくてトホホでみっともないことがよくわかっているのである。それでもなぜか、情けなくてトホホでみっともないことを繰り返してしまわずにはいられないのである。そこのところがまたどうしようもなく、情けなくてトホホでみっともない。まさに太宰治の面目躍如!といった感じの作品である。 これからひとり、アメリカ横断旅行に出かけるんだ!というワクワク気分の若いあなた。鞄の中に『深夜特急』を詰めるのもいいが、その前に、この「佐渡」に目を通しておくといい。 「太宰治も、こんなふうだったんだ」 ということがわかるだけでも、旅の途中の心の支えになるだろうことは請け合いである。 |
(注1)『深夜特急(1)〜(6)』(沢木耕太郎、新潮文庫、¥400〜¥438))。「特急」などといいながら、あんまり列車に乗ることはない。どちらかというとバス旅ばかりなので、鉄道ファンの人はそのつもりで読むように。ユーラシア大陸をひたすらどんどん西へと旅する若き日の沢木耕太郎。西アジアかどっかで町をガイドしてもらった少年とのやりとりは感涙。最後に西の端についたときには、読んでいて目の前に青い海がバーッと広がった。 (注2)『旅へ 新・放浪記1』(野田知佑、文春文庫、¥600)。カヌー親分野田知佑の、こちらも若き日の旅の記録。これぞ男の旅だ。 |