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反オバァ派の君に 『クローディアの秘密』
E.L.カニグズバーグ
松永ふみ子訳
岩波少年文庫、1975






我輩は憤っているのである(注)
熱く熱く、憤っているのである。
悲憤慷慨に身をよじっているのである
天を仰いで地を踏みならしているのである。
なぜか。
当たり前ではないか。
これを憤らずして、何を憤るというのか。
いま悲憤慷慨せずして、いつ悲憤慷慨せよというのか。
アレである。
例の、アレである。
察しのいい読者の皆様は、すでにわかっておられるであろう、アレである。
そう、アレなのである。
えっ。
なんだと。
アレじゃわからぬだと。
ちゃんと説明しろだと。
ぐぬ。
アレといったらアレだ。
アレに決まっているではないか。ええい、わからんやつめ。
アレだ、アレ。
いちばん最初の文字が「オ」で。
中ほどに「バ」で。
最後が「ァ」。
ち、違う違う。
「オカマバァ」じゃない。
アレじゃ、アレ。
そう、その、3文字の、それ。ううう、口にするのも汚らわしい。
アレである。
「オ○ァ」である。
吾輩としてはこうして伏せ字で表現するのも厭わしい「オ○ァ」である。
この「オ○ァ」に、吾輩は今、激しく、甚だしく、憤っているのだ。憤らずにいられぬのだ。うーぐぐぐ、と歯ぎしりせずには、いられぬのだ。
昨今の、この、「オ○ァ」の跳梁ぶりは、何であるのか。
このもてはやされぶりは、いったい何なのだ。
いつからこんな、「オ○ァ」よし、などという風潮が、まかり通るようになったのだ。
一説には、池上永一のバガーなんとかいう小説を端緒としているという話だが、もしそうであるなら、こらっ、池上永一、ここに出ろっ。
ぶった切る!
バガーなんとかいう小説、ここに積め!
焚書にする!
ええい、貴様らのせいで、日本は間違ってしまったのだ。
純朴な若者が、道を誤ってしまったのだ。
ああ、日本はどうなる。
未来をどうする。
あああ。
と、そうやって我輩は、怒り、悲しみ、悶え、苦しんでいるのである。

我輩には、まったくわからぬ。
「オ○ァ」の何がいいというのだ。
何がどのように魅力的だというのか。
老いとは裏腹に活力のみなぎる肉体。
恥ずべきことを忘れた厚かましい顔。
道行く者を恐れさせる鋭い眼光。
だらしなく開いた大口。
浅黒い肌。
そんな「オ○ァ」のたるんだ腕に締め上げられ、肥え太った足で足蹴にされ、踏みつけられ、鞭打たれ、しばかれ、いたぶられたい!
はあはあ。
などと熱望するとは、まったく、変態ではないか。
そもそも「オ○ァ」という呼称からして、気に食わぬ。
「オ○ァ」の「ァ」って、何だよ。エッ。「ァ」って。
「ア」でも「―」でもない「ァ」とは。
態度はでかいくせに、文字だけ小さくすればいいとでも、思っているのか。エッ。
こんな下品な呼称なんぞ、今すぐ、即刻、日本語から抹殺するべきだ。
お年を召したご婦人の呼び方といったら、古来より今に至るまで、これしかないはずではないか。
「おばあさま」
そう。
「おばあさま」
ああ、そう、そうなのだ。
「おばあさま」
ああ、なんと甘美な響き。声に出して読みたい日本語。匂やかな文字の連なり。
「お」。
ああ…。
「ば」。
むふふふ。
「あ」。
あーん。
「さ」。
あ、あ、あああ、もう。
「ま」。
ぐふう、どひー。
おばあさま。
おばあさま。
おばあさまーっ!!
あああ、そうなのだ。
お年を召した老婦人といえばおばあさまなのであり、おばあさまといえば、ああ、これにまさる魅惑的な存在など、ありはしないのだ。
ああ、おばあさま。
それはなんと神秘的な、なんと可憐な存在なのだろう…。
青白く透き通る、蝋のような肌。
青く浮かび上がった、細い静脈。
薄い皮膚を縦横に刻む皺は、歳月が生んだ不可思議な細密画。
茫洋とした瞳は、何者をも見ず、同時にすべてを見通して。
すぼまった口は、磯巾着のような妖艶さを湛え。
やせ細った華奢な腕は、ガラスのように繊細で。
静かな立ち居振る舞いは、上品この上なく。
ピシリと一本の筋が通りながらも、あくまで嫋やかに柔らかく。
すべてを許してくれる底知れぬ包容力を感じさせながらも、ああ、守ってあげたい!と、そう思わせずにはいない。
そこにあるのは、荘厳さと隣り合わせの優美さ。死と背中合わせの、タナトスの美。
そう、そうだ。
美とは決して永遠ではない。むしろ、一瞬の中に宿るものだ。猿のような顔の赤子として生まれ落ちた女性が、その人生の階梯を一歩一歩踏み上がったのち、最後にたどり着く終着点。死を目前にしたそのとき、その一瞬、その刹那に、はかなく、そして激しく燃え上がる‥‥。
それが、まさに、真実の美。
そしてそれが、あああ、おばあさま。
おばあさま。
おばあさま。
おばあさまなのだ!
ああ、なんという奇跡であろう、神秘であろう。
これを奇跡といわずして、何を奇跡というのか。
これを神秘と呼ばずして、何を神秘と呼ぶというのか。
おばあさま。それはまさに、人が人として許されうる、最も神に近い存在なのだ。

どうだ。
このおばあさまよりも、「オ○ァ」なんぞがいい、魅力的だ、たまらぬ、などと抜かす奴は、カスだ。糞だ。人間の屑だ。
エッ、どうだ。
わかったか。
わからずには、いられまい。
な、な、そうであろう。
そうに違いなかろう。
ぬ。
ナニ。
ま、まだわからぬだと。
ききき貴様、ここここれほど言っても、わからぬというのか。
我輩の、この熱い熱い想いが、わからぬというか。
ぐ、ぐ、ぐ。
きーっ。
ぐぐぐわーっ。
よよようし。
そそそれなら、これはどうだ。
これならば、どうだ。
すべてのおばあさまファンのために贈る、すべてのおばあさまファンのための本。
おばあさまのたとえようもない魅力が凝縮された、天下のおばあさま本。
でいやっ。
これが、そうだ。
カニグズバーグ『クローディアの秘密』。
これを読め。
今すぐ読め。即刻読め。
さあ、読め。さあ、さあ、さあさあさあ!
これを読めば、子どもから大人から老人まで、おばあさまに熱狂間違いなしだ!

岩波少年文庫におさめられているこの作品、生意気で独立心旺盛な少女クローディアとシニカルな弟ジェイミーの二人が家出してメトロポリタン美術館に隠れ住む、という一見したところちょっぴりわくわくどきどきの正しい少年少女小説のように見える。
が、それは隠れ蓑、世を忍ぶ仮の姿に過ぎない。
後半、もう、すごいのだ。
すごいおばあさま小説なのだ。
ああもう、思い出しただけでも、うっ、うっ、鼻血が。
なにしろ、ミケランジェロ作とされる天使の像の謎を明らかにすべく、姉弟が会いに行ったベシル・E・フランクワイラー夫人。これが、ああ、もう‥‥。
御年82歳。
ほつれたナイロン糸のような白髪、最近少し長くなってきた鼻、しぼんだ上唇。
押しも押されもせぬ、立派なおばあさまである。
そして、あああ、このおばあさまの魅力ときたら!
端から見れば、気難しくて偏屈。なのにあくまでもの柔らかくやさしく。天使の像にまつわる秘密を訊ねる姉弟を子ども扱いすることなく、気の利いた取り引きを申し出る。そうしてクローディアと、ある秘密を共有して、ほくそ笑む。いや、そんな御託を並べても、しかたがない。彼女のたぐいまれなる魅力は、ジェレミーの次の言葉を見れば、一目瞭然だ。
《「男の子をびくびくさせるのがうまいなあ」》
ああ!
男の子を!
びくびくさせる!
ああ!
我輩も!
びくびくさせてほしい!
あっ、あっ、フランクワイラーおばあさま、我輩を、我輩を、ケイレンさせてくださいっ!ビクンビクンとのたうち回らせてください!
ああっ、ああっ、ああーっ!

‥‥どうであるか。
『クローディアの秘密』、よいではないか。
おばあさま、ああ、なんと素晴らしいではないか。
その美しさ、はかなさを、近寄りがたさ、愛おしさを、キミたちにもぜひ感じとってもらいたい。
このおばあさまを前にすれば「オ○ァ」など、いかにとるにたらない、むくつけき嫌らしい、下品でみっともなくて抹殺すべきものでしかないか、わかってもらいたいのである。
ああ、おばあさま、おばあさま‥‥。
こんなおばあさまに、フランクワイラー夫人のようなすばらしいおばあさまに、実際に現実にナマで、お逢いしたいものだ。
そうして、そのやせ細った腕で、細い静脈が浮き上がった青白い腕で、締め上げられ、鞭打たれ、しばかれ、いたぶられたいものである。
ああ‥‥。
それだけが我輩の望みなのである。
はあはあ。





(注)この文章を読む前に、(お)オバァたまらん!というキミに贈る本を参照してください。
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