2000年8月〜2000年11月


秋・円熟への道程





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できれば一番下からどうぞ!(笑;)



秋の終焉
            
 



草も枯れて 木の葉も落ちて

オレンジ色の柿の実だけが

妙に明るく陽に照らされている



 
秋の終焉の

その

極みの中の明るさ
 


その明るさに励まされたのか

白い穂の群れも笑っているように見える



 
枯れた草原(くさはら)の色合いも

暖色といえば暖色で

やすらぎや和みに満ちてもいる
 


そういえば きょうは

ばかに川の流れもはしゃいでいて・・・
 


しかし考えてみると それは

昨日までの 冷えきった長雨のせいなのだった
 


< 郷愁の「 愁 」は「 秋の心 」 >



 
ここは まぎれもなく郷(きょう)であり

季節も秋の終着点であるだけに

「 郷愁を感じる 」というよりも

むしろ郷愁そのもののなかに

すっぽりとはまりこんでしまったかのようで・・・
 


こうした秋の終わりの午後などは

時に永遠が止まって見えたりもする
 


< 郷愁の「 愁 」は「 秋の心 」 >
 


秋の心は いま 眼前の景色の中に

まざまざと弔われようとしている 










2000.12.10










世紀末・行く秋
            


 

気がつけば世紀末

もう ほんとに 世紀末
 


昨日までは

濡れ落ち葉に 冷えきった雨

心までがどこかいじけて

何もやる気が起きなかった

寒くて寒くて

まだ暖房が入ってなかったりして

衣服も完全に冬対策ではなかったりして

寒くて寒くて

冬眠する動物の気持ちもわかるような気がした
 


気がつけば世紀末

もう ほんとに 世紀末
 


きょうは勤労感謝の日

空は からりと晴れ渡って

「 のどか 」を絵に描いたような景色

枯れススキが微風になびいて

小川の水だけが元気に駈け抜けていた
 


気がつけば世紀末

もう ほんとに 世紀末
 


晩秋の夕映え

その残照の中を

雁が飛ぶ
 


その編隊

編隊のバリエ−ション
 


郷愁に満ちた

秋の終焉

翳り行く茜空
 


気がつけば世紀末

もう ほんとに 世紀末
 


20世紀が終わろうとしている

ほんとうに 終わろうとしている













2000.11.24









立 冬
                  



 
この秋一番の冷え込みとなった朝

あたりいちめん びっしりと 霜が降りた
 


ススキも葦も色とりどりの雑草たちも

しんと凍りついたまま動かない
 


天然のフリ−ジング

季節の静止画
 


< そういえば もう「立冬」は過ぎている >
 


凛とした寒気の中

人知れず 空気までもが昇華して

季節の夜が

全うされた生への賞賛の

きらびやかな表彰を用意したのだろうか
 


自然は実に味なことをやるものだと感服しながら

峻厳に立ち起こってくる冬を想った









2000.11.17









渡り鳥の飛ぶ空
                      
 



見上げれば 鳥の飛翔

飛翔の列
 


今年も もう渡り鳥が来ていたのだった
 


この空以外にも

別の空の領域があることを思い知る
 



不意の訪問者 と感じられるのは

日常の雑事に撹乱されている証左
 


彼らにとっては

生き抜いて行くための

必要不可欠な年中行事

予定どおりの行動であろう
 


鳥たちは 新天地の散策や巡検に余念がない



広々とした田んぼや山並み

さらにそれを覆う空

その空を我が物顔に飛び回る鳥たち
 


鳥によってわかる 空の高さ

鳥によってわかる 風の強さ

そして

彼らが越えてきたものの大きさ
 


そのたくましさを学びたい



 
かつて 海の中を泳ぎ回るペンギンを見て

その自在さに まるで飛んでいるようだと思ったものだが

今度は ふと 空を泳ぐ鳥ということばに思い至る
 


考えてみると

空も 海のようなものなのかもしれない
 
 
 
 










2000.11.10









賢治のふるさとにて
                     
 



かろやかな風と心が散歩する

小春日和の 昼下がりの

日当たりの良い 自由の坂道
 


ここを通るのは かれこれ十年ぶり

通算十二年も家族とともに住んでいた街

そして

こどもたちが幼稚園や小学校に通っていた街
 


思い出をたぐりよせながら

かつての土地勘をなぞるようにそぞろ歩く
 


カラカラと鳴る 立ち枯れた草の風情や

あかく色づいた さまざまな葉のなごみ



 
川面(かわも)に煌めく 光のもやの語らいや

くるみの木の葉陰(はかげ)の佇まい



 
そして 空の雲の光り方や 風の吹きようまでもが
 


なんとなく どこか賢治風に感じられるのは

ただの気のせいだろうか?
 


ガタンゴトンと 貨物列車の古びた振動が地を走り

その跫音(きょうおん)が空を渡る
 


そう

まさしくここはイ−ハト−ブの中心

そして次の駅は銀河ステ−ション

その次は 白鳥の停車場(ていしゃば)・・・
 


かの大いなる詩精神がぐいぐいとimaginationを引き寄せて

白昼の空のまっただ中

ごうごうと銀河鉄道が駆け抜けて行く
 












2000.11.3









地球の想い
           



 

秋が深まって

霜枯れた草や木の葉が目立ち始めた


 
何気ない道端にも さまざまな生命(いのち)

健気な 自己表現


 
思えば 不思議なことなのだ

なにゆえに こんなにも・・・ 


 
もとは 岩だらけのはずなのに


 
岩だらけだった 地球から

どうして こんなものが

こんなにも たくさん

つぎつぎと

現れてくるのか
 


これは地球の意志なのだろうか

想いなのだろうか








2000.10.27









空の高さに見習って
                 




日が短くなった
 


仕事からの帰り道も暗くなり

西空に一番星など輝くようになった
 


街灯も少し寒そうで

山懐(ふところ)のあちらこちらにも

人家のあかりが懐かしい星のように灯る
 


日常はいつも どこかはらはら

なんとなく すっきりしないことの連続

一難去って また一難

ふと 不条理ということばを思い出したりもする
 


あくせくしがちな毎日だが

今朝の青空は格別だった

いつも こんな空のようでありたいと思った
 


あの空の高さに見習って

あの はちきれんばかりの

十全なる夢の青さを胸に秘めて

さりげなく かつ

気宇壮大に生きて行きたい
 


暗がりはしだいに深みを増して行く

家路を急ぎながら

しきりに 朝の青空を想った












2000.10.20










秋の湖水
                  
            
    

 
深山(みやま)の 湖を取り巻いているのは山ばかりなので

「 文明 」 も 「 社会 」 も すべてが隔離され

まるで古(いにしえ)のそれと全く変わらぬ営みが

そこにただ延々とくり返されているだけなのであった
 


眼前にある風景は

まぎれもなく現実であり

同時にまた

想い出のようでもあり

さらにまた

伝説のようでもあり

どこかしら

未来のようでもあって
 


息をするたびに

冷涼な気が鼻腔や胸にしみて

思いがしだいに透きとおってくる

耳も目も 

奥深い静寂に洗われて新しくなる
 


< 今までのことは いったい何だったんだろう? >
 


凪いだ湖面はすべてを映す

やがて

真一文字の水面が

本来の規矩に思えてきて

心も 水と光だけになる











2000.10.13掲載










   降りてくる秋
           

          
 
 
秋は

降りてくる季節

紅葉(こうよう)も

アキアカネも

山頂から

麓へ
 


秋は

降りてくる季節

落葉(らくよう)も

朝夕の冷気も

秋晴れの 空の気流も

空の上から

私たちの心へ
 


降りてきた秋は

広々と地上のここ彼処(かしこ)に静かに行き渡り

音もなく 積もり 沈み

やがて 冷たい雨とともに

地中の奥深く さりげなく 浸みて行く



秋は

降りてくる季節

そして

静かに沈む季節











2000.10.7掲載









欅の仕返し





まるで

虚空から涌いてくるかのように

つぎからつぎへと

スロ−モ−ションで

舞い降りて来る枯葉



アブシシン酸という名の

植物ホルモンの葉っぱ離脱システムが

葉の付け根に正常に機能した証拠



落ちている最中の葉の中は

多分 無重力状態の宇宙船のようだろう



それにしても

欅の木も

なかなかどうして したたかなもの

普段私が車の排気ガスなどで顰蹙させている腹癒せか

後から後から ほとんど無際限に

とことん枯葉を降らせてくる



しかもその枯葉の中には

欅にとっての有害物や

不要物がたっぷりつまっているらしい

つまりこれは欅の排泄物!



これからの季節は

欅にやられっぱなしになる季節

掃いても掃いても きりがなく

まさに 徒労の典型



容赦のない葉っぱ爆弾の攻撃に

まいった こうさんだと

白旗を揚げたい 秋のこれから










2000.10.1









  鶏頭の良さ





昔はぴんと来なかった鶏頭の良さが

最近少しわかるようになってきた



正直言って

あんなダサイ色の 花らしくない花の

いったいどこがいいんだろうと思っていた



そりゃあ 確かに鶏のとさかに似てはいる

それは認める

だからと言って・・・

と思っていた



鶏頭の良さは

ある程度 それにまつわる思い出が増えないと

作動してこない良さなのかもしれない




 * * * * * * *




それにしても

鶏頭は変わらない



そのあたりだけ

時が止まっているかのよう



今は特に

穏やかな秋晴れの午後



雲も止まって動かないので

景色全体が

時を失ったかのよう



やがて 時代までもが

おぼろげに わからなくなってきて



ひだまりの中

少年の私が 立ち止まる




 * * * * * * *




鶏頭の良さは

毛糸の良さにつながる

あの 濃いめのエンジの

なつかしい 毛糸のぬくもりにつながる











2000.10.1









真夜中の雨





ふと目覚めると雨の音

雨が間断なく降り続いている



秋の夜更け

闇の中の秋霖
 


巷間にも

田んぼにも

我が心にも

雨は ただただ浸みて行くばかり
 


乱れていたものを

鎮め
 
灼けていたものを

冷やし
 
乾いていたものを

潤し
 


どこまでも 広く 深く

雨は ただただ浸みて行くばかり
 


ふと 気がつくと

虫の声も続いている
 


どこか 叢(くさむら)の中で

雨にもめげず

虫も ただただ 鳴き続けているばかり
 


それらの音に耳を傾けながら ふと

野晒しのまま ひとり死んで行く自分を想い描く
 


たとえば 秋の午後

人気(ひとけ)ない河原に横たわり

眠るように死んで行く私
 


自棄(やけ)になっているわけではない

いずれ そうやって

雨のように 虫のように 我利や我欲を捨て切って

いつかはただ土に帰って行けばそれでいいのだ
 


たとえば 秋の午後

人気(ひとけ)ない河原に横たわり

眠るように死んで行く私
 


いつも はやく眠りに戻りたいときは

こんなふうに  暗示をくり返す
 


やがて 眠りの筏(いかだ)がやってきて

どこか遠くへ 私を運び去るまで
 











2000.9.29









稲刈りの詩





山吹色に輝く稲の穂波の大半がきれいに刈り取られて

田んぼのあちこちに藁を焼く煙が上がる



今年は豊作

稲刈りも なんとかうまくいった



その火を見守る人々にも どこか安堵の風が漂う



今日は お彼岸

秋分の日

すでに新米でおはぎを作って食べたりしている人も多いことだろう



道端の雑多な禾偏(のぎへん)たちも

稲に負けじと頭(こうべ)を垂れて

実に明るく賑やかに

調和の風がさやさやと吹く



豊穣という名の 美酒の如き

このひんやりとした空気に身をさらしながら

しばらくはこうして すべて忘れて

この至福の時を享受しようと思う











2000.9.23














秋の夕べに 「 死 」を思う
     




人が ほんとうに いつか死ぬのだということが

最近 やっと わかってきたような 気がする



しかし こと自分のこととなると

まだわかっていないのかもしれない



なぜなら 自分だけは なんとなく

いつまでも死なないような気がしているからだ



しかし それは 大きな まちがいだ

あたりまえだ



自分とて生身の人間であり

内蔵があり 耳や目や口があり

つまり紛れもなく動物なのであって

それは つまり いつか死ぬことを意味する



私はいつも通勤途上でそれを教えられている



たとえば

無惨に横たわっている犬や猫の死に様

雨のそぼ降る晩など よせばいいのに

道を横切る蛙のジャンプ



明くる日の 食用蛙の交通事故



天気のいい日に はい回る毛虫

道ばたから飛び立つ一群の雀



人間だって・・・



飛行機が墜落したり

地下鉄が脱線したり



そして 

一般交通事故などは news value もないほど

さらに 自殺 自死者の 累々とした 屍



そんな風にして

簡単に死んでしまうということが

ほんとにほんとに 実にやりきれないと思うのだ



死は もっと 静謐であるべきではないのか

死は もっと 穏やかに迫り来るものではないのか



残照の中に

木々のシルエットが浮かぶ



細やかな 生の形の実相の顕示



いつのまにか 雲のふちの 朱や オレンジや 金が消えて

黒ずんだ雲が次第に増えて行く



そんな 空の雲を見ながら

人の様々な夢の死骸のようだと思った










2000.9.22











「ホンニョ」・・・それが並びゆく景観
                                      
 




 
稔りに稔った田んぼの穂波が

しだいしだいに刈り取られて

そのあとに 次々とホンニョが立ち並んでゆく

 
時に そぼ降る雨の中

時に 秋晴れの昼下がり

ホンニョは ただの愚直な男のように

田んぼを見守ったり

じっと空を見上げたりする
 

ホンニョ・・・ 

 
このホンニョが「 穂仁王 」から来ていると知ったときは

子供心にかなりの衝撃が走った

どこかユ−モラスな愛称のような響きが 

突然 いかめしい仁王像に激変したのだから無理もない
 

ホンニョ・・・
 

東北

殊に 我が郷土宮城県北や岩手県南では

このやりかたで稲を干す
 

田んぼに 長い杭を人力で突き刺し

( 軽く書いてしまったが これもかなりの熟練とパワ−と根気を要する )

「 キ 」の字状に 短い横木をくくりつけ

そこに 刈り取った稲の束を順次積み重ねて行くのであるが

できあがった全体像は

確かに がっしりとした大男のようにも見える
 

ホンニョ・・・
 

それが「 穂仁王 」であることを知った暮れ方

立ち並ぶ無数のホンニョが 

夕景の中 黒い仁王の一群と化した
 

今年もまた その穂仁王が並びゆく季節となり

安堵と郷愁が錯綜する中

今度は背後で ほんとの仁王が私を睨む











2000.9.15









秋の夕靄







赤味がかった夕靄のなか

遠い景色がシルエット状に霞んで浮かぶ



まるで天然の絵本のよう



遙か かなたに

既に死んだ

郷愁の国の亡霊を見る思い・・・



なんだか そこに これまでの

かなえられなかった夢や想いが

今も諦めきれずに彷徨(さまよ)っているような気がして

胸苦しかった









2000.9.10









流れない時





こんな日でも

時は やはり流れているというのだろうか



曇り空の下

叢のあたりの暗がりに

時は虚ろな影のように うづくまって

いじいじしているだけのように思えるのだが



《 百日紅め         

 いつまでも そうやって

       へらへらとピンクでいるがいい 》



花にあたっても

はじまらないことなど

百も承知だが



どこか じりじりとした思いに悩む

初秋の一日







2000.9.10












眠りへの橋





インタ−ネットをして

テレビを見て

本を読んで

それでもなにか

心が鎮まらず

どこかささくれ立ったまま

いらいらとして 虫の声を聞く



5、6種類の鳴き方がある・・・

じっとその声に聞き入っているうちに

しらずしらず

波立っていたものが急速に沈んで

溶暗のようにまどろみがひろがった



それがなぜなのか

よくわからなかったが

ともかく 私にとっては 大変ありがたい

眠りへの橋であった







2000.9.10 















秋になったら

花の赤が いっそう

引き立って見えるようになった



サルビア

カンナ

ケイトウ



そして

葉ゲイトウ



秋陽の中に

赤い火焔が 燃えて立つ



でも こんな赤が引き立つわけは

背景に円熟の atmosphere があればこそ



たとえば 広やかな水田の

黄金色(こがねいろ)の穂波

その上のあたりの 静謐な あかるみ



たとえば

トウモロコシの一群の 立ち枯れた姿

うなだれた その枯葉を揺らす 風



そして

野火の煙や

すすきの佇まい



《 バックが もしもビルの壁だけだったら

  こうは行くまい



  かろうじて 空の様子や 風の温度で 

もう夏ではないことがわかるぐらいか・・・ 》



秋の花の赤を引き立てているのは

回帰する季節の 下り坂の

少し寂しい 静けさと落ち着き



サルビア

カンナ

ケイトウ



そして

葉ゲイトウ



< そういえば「 秋 」という文字の中にも「 火 」があった >



その火は やがて ゆっくりと夕靄に燃え移り

すべての山々の 頂(いただき)から麓(ふもと)へ

無数の木々の葉を 紅々(あかあか)と燃やしながら

さらに広く 里に至り



深く 深く

晩秋の深奥まで

焦がし尽くして

冬を迎える










2000.9.8 









いただきにて
  




山頂の風をさえぎるものなど

何もないのだった



それは豊かで とめどなく

何か巨大な生きもののように奔放だった

そんな中 ふと 

見渡す限りの 風の大河を幻視する



眼下に広がる 青い霞の海

きっと僕らは あのあたりに住んでいる



汗や 涙や

やるせないぼやきや溜め息などが

霞の中にも混じっているような気にもなる



でも だからこそ ここはちょっと威張ってもいいのかもしれない

僕らは今 一応 そこを抜けて来て ここにいるのだ



そう まさしくここは

天空の一部

遙か上空に見上げていた雲が

今は すぐそこに浮いている



梅干し入りのおにぎりは本当においしかった

どこに食べたかわからないほどに

なんらの屈託もなく ただ ス−ッと腹の中に消えた



凍らせて持ってきたペットボトルの水は意外に融けにくく

標高1628メ−トルの陽光に

その氷塊は からかうような煌めきを見せるばかり



その雫を惜しみながら飲み込む




  * * * * * * *




帰りの道は一層明るかった



何か一仕事終えた後のような開放感を背中に

僕らはズンズンと

長い坂道を快活に語らいながら降りて行った










2000.9.1











みのりゆく秋
              
        
 
 
 
秋は みのる みのりゆくもの

栗のイガも 水田の稲も
 


みどりから きいろへ

きいろから ちゃいろへ
 


秋は みのる みのりゆくもの

ひまわりの花の中でも

花のあとに生まれた さまざまな果実たちも

ひっそりとしらずしらず

みのる みのる 秋はみのる
 


翳りゆく夏に代わって

するすると音もなく

みのる みのる 秋は みのる
                   


力むことなく

あせることもなく

ただただ時の流れのままに

そう成る可くして成るという感じで

みのる みのる 秋は みのる
 


野火焚きの煙を嗅ぎ

夕映えに染まりながら

諸々の みのりとともに

秋も静かに 熟して深まる
 


秋は みのる みのりゆくもの
 









2000.8.25








亡骸(なきがら)





7月末

家人に頼まれて

のび放題になっていた庭木を剪定した

ちょっと悪いような気もしながら

かなり斬新に切りまくった



「 すっきりした 明るくなった 」と喜ばれて

少し複雑な気分・・・

そのとき ぽろっと一つ 蝉の抜け殻が 落ちた



ここから出て あそこで鳴いているのだろうかと

山の林のほうを見上げた





*  *  *  *  *  *  *





お盆が過ぎて

庭先に蝉の死骸を見た



実に あっけなく

なんの感傷も入る余地のないような感じで

それはただ地面にあっさりと転がっていた



(( きっと この蝉は この一夏 おもいっきり鳴くだけ鳴いて

  空っぽになって死んだんだろう

  それは蝉として本望だったに違いない ))



そんなことを思いながら亡骸(なきがら)を見つめた

亡骸は 前に見た抜け殻のようにも見えた



今度はどこに行ったのだろうと

ふと 思わず

また 山の林のほうを見上げた







2000.8.18








秋の気配





夕立

 夏の野に雷鳴が轟き渡る

情け容赦のない

どしゃ降りの後の

ひんやりとした夜気



今夜は

 虫の声も聞こえる



もう秋の気配










2000.8.15







潜む秋





連日の容赦ない日射しに

さすがに疲弊し始めたのだろう

力強かったとうもろこしの葉が少し萎れて

真夏の午後の風にうなだれながら揺れている



峠に至れば後は下り坂



深山(みやま)に入れば

がまずみなどももう色づきはじめていて

すすきの穂も目立つ



いろいろなところに

もうすでに 秋が

潜んでいる









2000.8.10








星の矢





いま ペルセウスが 矢を 放つ

天の頂(いただき)から混迷の巷(ちまた)に



それは

怪女メドゥ−サを退治した英雄ペルセウスの

青白き 信念の 火矢

魂の炎



人の形をした 星々のつながりの静寂(しじま)から

諸々の 病める心たちに向けて

いまこそ ペルセウスが 矢を放つ



それは

誤って祖父を殺(あや)めたペルセウスの

号泣の涙



人が 人として あるべき姿を諫めるべく

渾身の愛を込めて



いま

ペルセウスが

矢を



放つ









2000.8.11







ペルセウス 流れる星の 潔き



夜の静寂(しじま) 去りゆく星に 祈りつつ











2000.8.12








昼の終わり





西日

アスファルトが光る

青くのびる電柱の影たち



夕日

道ばたの葉も 人の顔も

金色(きんいろ)にかすむ



なぜだろう こんなとき

「 永遠 」ということばを思い出したりするのは









2000.8.11









夏野菜の詩





夏の野菜は何処かワイルド



テカッたピ−マン

長すぎるインゲン

向こう見ずなトマト

毛だらけの枝豆



夏の野菜はかなりワイルド



トゲの生えたキュウリ

トウモロコシの髭面(ひげづら)

黒光りするナス

ごつごつしたカボチャ



煮えたぎるような炎天のもと

ひるむどころか そのエネルギ−をしたたかに吸収して

どん欲なまでに 自己発現に邁進してやまない奴ら



だけど そんな猛者たちを

さもなんでもないことのように

ごくあたりまえの日常茶飯事として

さりげなく採って食う我らは

採って食う我らは



いったい 何者?








2000.8.8





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