空(そら)について考える

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プロローグ
   




そら



そら

空ってなんだろう?



空  
そら  

私たちは実に何気なくこの言葉を口にするが

その心は ほとんど うわのそら・・・?



冗談はさておき

たまにはまじめに考えてみよう

少し哲学的に

そして 科学的に



「 空とは何か? 」



そう 実はかなりすごいテーマなのだ






T 空の大きさ





まず

いったいどこからどこまでが空なのか?

地上20メートルは・・・まあ空だろうな

じゃあ10メートルは?

5メートルは?



地上1メートルも空と言っていいんだろうか?



ほら わからなくなってきたでしょう?



じゃあ 空の上限は?

普通学問的には

地上から順に

対流圏・成層圏・中間圏・熱圏と

上方に向かって4つの層になっていて

この上限は一応500kmとされている



だけど なにも線なんか引いてあるわけでもないしね?



こんなふうに

空というのは

実は大きささえはっきりしていないのだ

むしろこういう茫洋としたものの象徴として

私たちは空ということばを使っているふしがある

さっき冗談で言った「うわのそら」などというのがいい例だ

つまり限りない憧れや夢・想い・・・などなどをこめて

茫漠とした思いのままに 空! と言っているのだから

大きさを限定するのは 野暮!ということかもしれない











U
 空を構成するもの



つまり 空は何からできているのか?



昔は 幼稚園児などに空の絵を描かせると

きまって 赤いお日さまが入っていたものだ

それは雲などよりも絶対に絶対に

なくてはならないものだった

つまり空に赤い太陽はつきものだった



となれば空の範囲も大分拡大されることになる

夜空 星空ともなれば なおさらだ



我々地上にいる人間にとっては

そこが地球の大気圏外であろうが真空であろうが

どれだけ遠かろうが

そんなことはいっさいおかまいなしなのだ



すなわちそこにあるのは完全に天動説的宇宙観であり

地球 いや自分こそが宇宙の中心にいるという

とんでもない自己中心的発想なのである



空はその時 自分を中心にして

同心球状にどこまでもふくらんでいくことになる

どこまでもふくらんで

月をのみこみ

太陽をのみこみ

さらには星々までものみこんで

「そら」は限りなく肥大化する



壮大なる借景




だから空を構成するものには

まずもって太陽がトップ当選することになろう

(夜の空には 月や星々が・・・)

したがって 

こんな次元の考え方では 空=空気などでは断じて ない



しかしながら このまま終わってしまったんでは

石などぶっつけられそうな気がするので

もう少し無難なところに話を持っていこうと思う



そう 空を構成するものの2番目の主役は

やはり 雲だろう

これはまず異論がないところだろう

それともひょっとして

「オレハ青空ダト思ウ・・・ブツブツ・・・」

なんて人もいるかな?

いても取りあえずパス!

まあちょっと待ってなさい!



雲とは何か?

そう 雲は微細な水滴の集まりである



つまり 水だ 水



実に 空には水が浮かんでいるのです

風に吹かれながら

陽に照らされながら

微細な微細な水滴の集団が浮かんでいるのです




 

しからば その水は何処から来たのか?

うん 地表から蒸発した水だね



海からも川からも湖からも

あるいは地面からも

植物の葉っぱの気孔などからも

水は絶え間なくどんどん蒸発している

その蒸発した水蒸気が上空に昇って冷やされると水滴に変わる



だから雲ができるためには

まずもって上昇気流が発生していなければならない

低気圧の中心はまさに上昇気流だ

気圧が低いから周りからどんどん風が吹き込んできて

ぶつかり合った空気は上に昇って行かざるをえない



ほかに風が山にぶつかったときなども上昇気流になって雲ができる

だから山のてっぺんなどは雲ができやすい



暖気団と寒気団がぶつかり合うときも

暖気は軽いので寒気団の上に乗っかっていく感じで上昇気流になる

したがってそこに雲ができる



日本の梅雨と秋霖は暖気団と寒気団がせりあって衝突し続けている状態だ

どちらもなかなか譲らないから雲ができ続けて長雨になる



たき火をしたときにも上昇気流が発生する

夏の砂浜など つまり巨大なたき火状態だ

だから 入道雲が湧き起こり夕立となる

地球レベルでは赤道付近は年中そういう状態だ

あんまり激しいときは台風の温床になる季節もある



この台風がまた大量の雨を運んでくる

いや台風に限らず雲は一般に空を流れながら水を運んでいるといえる

だから大きな雲が空を横切っていくときなど

水の輸送船団という感じだ



とにかく水はそうやって空をぐるぐると循環している

固体・液体・気体の状態変化を繰り返しながら・・・

雨、雪、霰、雹、霧、靄、みんな水である(あたりまえだけど・・・)

つまり気象現象とはほとんどが水のなせる業だ

まあそれに風が入ればほぼ完璧だが・・・。



ついでだから ここらでそろそろ風のことを考えてみようか?

そうして だんだんには光と音のことなどにも言及してみよう



 雲を動かしているものが風だ

ところで風ってなんだろう?

私たちは風を感じることができる

風圧などというものを確かに感じることがあるし

微かな風でさえも時に心地よく

また時に淋しく感じたりもする

風は空気の動きだ

空気がなければ風もない

真空状態では風は起こり得ない

だから風の実体は空気である

だったら今度は空気ってなんだ?ということになってくる

空気の組成は「のんびりあるこうNHK」だ!

なんだそれ?

つまり窒素・酸素・アルゴン・二酸化炭素・ネオン・ヘリウム・クリプトン・・・ さらには水素・ラドン

もちろんそれに通常かなりの水蒸気が含まれていることが多い

とにかくそうした諸々の分子が集まってかなり自由に飛び交っているのが空気の中身

しかしこれは目には見えない

目には見えないが触覚として感じることはできる

「 風 」として・・・






V 空を感覚する





ところで 空がそこにあったとしても

それがまったく感じ取れなければどういうことになるのだろう

それはないのとおなじことではないだろうか?



話をあまり小難しくしたくはないが

これは大事な問題なのだ



この問題は宇宙の存在そのものにもつながってくる

人間の意識というものが 宇宙の存在を考えられるまでに成長してくれたとき

宇宙はきっとものすごくうれしかったのではないだろうか?

宇宙がそこにあったとしても

それを認識するものがまったく存在しなかったら

宇宙はすごく悲しく寂しいのではないだろうか?

それはきっと  アップしたものの誰も見てくれないHPのようなものだ



存在というものは やはり それを感じ取る意識というものがあってこそ

意味を持つものではないかと考えるのだが・・・ どう思う?               


私たちには五感というものがあって

それぞれ外界の状況の変化を

その五感によって総合的に感じ取りながら生きている

空との関わりについても

やはりその「五感」がはたらいていて

たとえば視覚 見るということ

これは光がなければ成り立たない感覚

そして聴覚 聞くということ

これは音がなければ・・・



音はいわば空気分子の振動による疎密波



その他 味覚 触覚 そして嗅覚



しかし ここでは

しばし 音と光に限定して

話を進めて行こうと思う



まずは光・・・これはいわば空の照明係である

その光はどこからくるのか?

いわずとしれた太陽だよね



そのエネルギーはどうやってつくられているのか?



それがなんと驚くなかれ 核融合なのだ

核融合といえば水素爆弾!つまり水爆!

そう 実は 太陽は巨大な水爆なのです



したがって もちろん 放射能も出している たっぷりと

でも 地球にはバン・アレン帯という名のバリヤーがあって

つまり 地球もかなり強烈な磁場を持っていて

その放射能の大半を寄せ付けないようにできている



太陽は しかし 地球に向けてエネルギーを供給しているだけではない

太陽の役割は・・・つまり恒星というものの役割は 実は元素製造装置

つまり 最も簡単な水素という元素を元にしてヘリウムをつくり

さらには というふうに 原子番号の大きな元素につなげていく



でも能力の限界がある

どうしてもつくれない元素がある

概して重い元素はつくれない

で どうするか?



究極の技・・・自爆!

太陽は最後は自爆する!

そして そのとき そのエネルギーによって 

それまでつくれなかった元素が生まれてくる!



つまり まさに太陽は

身を粉にして次の宇宙を形成する礎となるよう運命づけられているのだ



そんなことをくりかえしながら

宇宙の中に様々な元素が少しずつ満ちて行き

やがて わが地球のような惑星も生まれ 生命も芽生える



私たちとは実はそういう存在だ




自爆 水爆 などと少し物騒なことばを使いすぎてしまったかもしれない

が 私たちを取り巻く宇宙・自然には 

そうした 物騒さや 残酷さや 乱暴なことが

枚挙に暇がないほどあるのも確かなことだ

私たちは それを より大きな自然の意志や宇宙の念願のようなものとして

ひとまず受け入れながら考えてみることも必要なのではないだろうか?

やさしさや やすらぎや おだやかさ といったものの価値に

疑問を抱いているわけではない

ただ 省みるにつけ 私たち自身の 生と死・・・ 生まれてから 死に至るまで

そのことを少し思っただけでも もう かなり 波瀾万丈なのではないだろうか



太陽は 空の光源である

前回はその光源のエネルギ−の出どころなどの話をした

ただ話をしたといっても

たとえば「 核融合 」などと言われたところで

何も語ったことにはなっていないかもしれない 

そこで ちょっと補足をしておきたい



核融合にしたところで核分裂にしたところで

その際 質量欠損ということが起きて それが莫大なエネルギ−に変わる

その際の 有名なアインシュタインの公式が E=
mc というやつだ

 は光速、つまり秒速30万キロメートルの

  さらにその2乗をかけるのだから これは大変なことになる )



つまり ごく微量の質量が消滅しただけで とんでもないエネルギ−が発生する



とにかく 私たちが存在している宇宙の鉄則というのは

消えたら消えっぱなしということはな

必ず何かその代償というようなものが生まれてくるようにできているらしいのだ



「 空を感覚する 」というタイトルには

あまりふさわしくない話になってしまったかもしれないが

私たちの空の「 光源 」についてはやはりあまり軽く扱いたくなかったので

つい長くなってしまった



太陽は無尽蔵なまでに途方もないエネルギーを放射し続けている

地球が受け止めているのはそのうちの22億分の1にすぎないそうだ



そのエネルギーの大半が電磁波という形によっている

電磁波は真空を伝わることのできる波であり(だから真空には何かがあるはずだ)

波と言うからには波長や振動数がある

そのうち 私たちの目が視覚として感じることができる波長領域は

3800〜8100オングストロ−ム・・・1オングストロ−ムとは

1億分の1センチメ−トル

そしてそれは原子の中で一番ちいさな水素原子の直径ぐらい



3800は紫の端 8100は赤の端

その間を虹の色がうめることになる



とにかく私たちの視覚というものは

そうした電磁波の波長の違いを 限られた領域ではあれ

色合いの違いとして認識できる能力を持っている

すごいことだよね

でも 宇宙の総体としてみると

光があって視覚があるというのはきわめて当然のことなのかもしれない



光は電磁波という波の一種なので

波としての一連の性質を持っている

一方 光は粒子性をも併せ持っており

いわば二面性がある

一時期 光は粒子なのか波動なのかということで

活発な論争が繰り広げられたこともあった

結論はその両方だということになり

波粒( wavicle・・・wave+particle )ということばも生まれた



私たちにとって「見える」ということは

とにかく目に光が入ってきているということを意味する

何色に見えるかはどんな波長の光になっているかによる



もしも地球に空気というものがなければ

日中の空のような「明るさ」もない



空気中にはさまざまな分子や水滴や塵などが無数に浮遊しているので

光がそれらにぶつかって散乱され

ついには我々の目にも届く



光が何かにぶつかったとき

概ね 反射するか・吸収されるか・透過するかのいずれかになる

吸収はall or nothing ではなく 限られた波長域にかたよることもある



そのときの空の色は

私たちの目にどんな波長の光が入ってくるかによって決まる



赤青緑が同じぐらいの強さで入ってくれば白色光として認識される

白い雲などはそんなふうになっているんでしょうね

青空は青の波長領域の光が圧倒的に強くなっているんでしょうね



一般に波長の短い光ほど散乱されやすく

波長の長い光ほど透過しやすいそうです

ですから紫などはあまりに散乱されすぎて私たちの目には届かないことが多い

でも空気がすごく澄み切っているところなどでは
ごくまれに青空が紫がかって見えることもあるようです



地平すれすれの夕日などが赤く見えるのは

光が厚い空気の層を長くたどってくるうちに

透過力の強い赤以外の光はみんな散乱されてしまって

私たちの目には赤しか届かないからなのでしょう



以上大変長々と空の光や色について話してきましたが

とにかく私たちも生物なので

光や音だけでなく

目に見えない無音のところでも密接に空とつながっている

たとえば呼吸 たとえば汗をかく・日に焼けるというようなことも・・・







W 空・・・このかけがえのないもの




宇宙から見れば

地球のうっすらとした霞のような atmosphere

しかし我々にとっては広大な「 空 」

部屋の空気を汚せば その部屋の住人が息苦しい思いをするのと同じように

私たちの空も これ以上汚染が進めば

地球の人類 否 全生命が大変な目に遭う



最後に

私たちの空をもっともっと大切にしようと呼びかけて

「 空について考える 」の締めくくりとしたい






エピロ−グ





ちょっと中途半端な感じで終わってしまったような気がする

いつかまたもう少し補足や添削をしなければと思っている

空について様々なことを思いめぐらしているうちに

空ということばは人によってかなり受け止め方が違うのではないか

ということに気がついた



空と大地などという表現に見られるように

空=「 上 」という捉え方や

宙と書いて「 そら 」と読ませるときのように

空=「 宇宙 」という捉え方など

「 空 」ということばの響きは

人によって あるいはそのときによって

実に様々に変化する

それはまさに天気の多様性そのもののようだ



うわのそら そらおそろしい そらんじる 他人のそら似 そらみみ そらぞらしい・・・

いずれもとらえどころのない何かというニュアンス

「そら!」と単なるかけ声にさえ使われることば



わたしのこれまでの冗長な述懐もここでまた空に返して攪拌して閉じることにする