陽と雲のプロムナ−ド







2001.8.6

「ふるさとの川を遡りつつ」などというと、まるで鮭のようだが、
この川沿いの道を遡って行くと、
ついには「栗駒山」という山にたどりつくのである。
この山は標高1628メ−トル、
秋田・岩手・宮城の3県の県境に位置している。

また、この川は「三の迫川」といい、
やがて北上川に合流し、
太平洋へと流れ込む。
昔はこの川で水遊びをするこどもたちの姿が頻繁に見られた。
私もその中のひとりであった。

今回は雨が降った直後でもあり、天気も良かったので、
けっこう良い風景写真が撮れた。
川も快活にみえる。
これだけの水量・・・どこから集まってくるのだろうと考えるとちょっと不思議である。










こらの旅
                青野3吉



おてんとうさまのもと

小さなこらは元気よく飛び出す

軽くなって青空高く集合する

白い一団となる



みんなで手をつないで

目に見えるほどの大きさになったら

地上に降りる番だ 

一斉に



山に野に街に舞い降りて

ひとしくすみずみまで

今を知る



やがて再び一塊りになったこらは

列をつくって川になり

走って戻る



そして見たこと聞いたこと

初めて出会ったことを

“おかあさん”に話してやまない









 作者のHP http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/4507/




川もやはり少しさざ波など白く波立っていた方が絵になる。
これは下流に向かって見た景色。
写真だけでは水流の方向がつかめず、どっちが川下かわからない。














 還るべきところ
                       青野3吉



何処からというのではなく

いつの間にか歩いている

石のあいだをぬって



ところによっては勢いをつけて走る

落差は思い切って飛び降りる

少しのたまりもあるのだが

ゆっくりとしていられる訳ではない



ところどころで仲間とおちあい

少しらしくなる

かと思うと別れることもある

役割が持たせられるのだ



 街中を通るときには気をつけねばならない

 頭の上を人や車やあるいは列車などが

 通過したりするのだ



やがて還るべきところが近くなると

体の内容に変化があらわれる

汽水域というやつだ

もうここまで来ると

自分が何であったのか

おぼろげながらに判ってくる





そうして帰ってきたという思いに溢れるのは

水平線の向こうにまで手の先が伸びているということや

足がついているというには心もとないほどの

深い底を実感したときだ















作者のHP http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/4507/



対岸の風景・・・ほとんど手つかずの自然がこんなところにもある。
せせらぎに架かる橋。
写真で見るとけっこうロマンチック?


道は川に沿ってできることが多い。
川は山と海をつなぎ、道は人と人をつなぐ。
前者は一方通行、後者は双方向?
しかしながら空を通じて海から山に水はまた帰ってきて循環している。
大地と空もそういう意味でつながっている。
さらにまた、それら諸々のル−トのすきまを埋めるのが、
心かもしれない。





こういう風景には、いかにも「夏休み」らしい情趣を感じます。


あまり期待もせずシャッタ−を切ったのですが、思いのほかブナの葉のみどりが美しく撮れました!


この崖の下に渓流があります。


ここは「行者滝」という名の滝。昔はここで修験道関係の修行者が滝に打たれていたのだろう。

この日の上空の気流は渦を巻くようにざわめいていて
そのおかげか いきのいい空の1ショットが撮れた!
雲の峡谷と森林の峡谷の相似形・・・おもしろいと思ってつい
シャッタ−を切ったもの。
そのときはごくあたりまえのように思っていたが、
こうしてじっくり見直してみると
かなり珍しい現象のような気もする。
山並みの向こうには何が?
と純朴に考えていたこともあった。。。

そうしたことなどもう少し捉えなおしてみようかな・・・
と思う昨今。

こうした風景を眼前にすると
憧れや夢や希望といったものが
急に具象化してくるような気がする。



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