仲秋の道を行く
yk
ななかまどの朱が 午後の秋風にゆれている
足下に続くドウダン・ツツジの生垣は紅(くれない)に燃え
柿の葉も 照れたように赤みを帯びる
山腹でひとり抜きん出た明るさを見せているのは漆の木だ
これだけは釣り竿の先のような細い枝までが真っ赤っか・・・
つらい冬を迎える私たちを慰めるかのように
これからは 日増しに
暖かみのある色合いが増えて行く
願わくは
私たちの人生も
このような華やぎとともにありたい
晴れ渡った空の下
今ひとり仲秋の道を行く
(秋色 それはなぜか
夕焼けに似ている・・・)
そんなことを想いながら
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実
り
nonya
のびやかな風の指先が
大地のたてがみを
慈しむように撫でつけると
さわさわと歓声をあげて
きんいろのうねりが
遥かな山の麓まで駈けていく
約束は果たされた
澱みない自然の営みは
たったひとつの答えをめざして
とうとうと流れ下り
時のほとりでうずくまる者達に
真の豊かさの在処を指し示す
確実に熟れていく
大地の端に突っ立って
背筋を這い上がる
透明な泡立ちを
声にすることもできずに
あおいろときんいろが
尽き果てるあたりの
微かな稜線に想いを馳せる
未だ実ることを知らない
自分がいる
作者のHP http://www.interq.or.jp/rock/nonya |
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穂
かのっぴ
いのちの終わりで
穂は黄金色になる
そして穂はまた
いのちの始まりでもある
実りは生
種は地に落ち
死の季節をやり過ごし
温かい季節に芽吹き
また恵みの穂をつける
収穫は死
死を食して生をつなぐ獣たち
生きるのみならず快楽を貪る獣たち
死の季節を極度に恐れるがゆえに
穂を飼いならし その死を食す
生とは実り
彼等に豊かに穂が実ることは
果たしてあるのだろうか
終わりであり始まりでもあり
終わりながらも生を与える
豊かな実りはあるのだろうか
作者のHP http://www11.u-page.so-net.ne.jp/sc4/kano-i/subpage3.html
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「ホンニョ」・・・それが並びゆく景観
yk
稔りに稔った田んぼの穂波が
しだいしだいに刈り取られて
そのあとに 次々とホンニョが立ち並んでゆく
時に そぼ降る雨の中
時に 秋晴れの昼下がり
ホンニョは ただの愚直な男のように
田んぼを見守ったり
じっと空を見上げたりする
ホンニョ・・・
このホンニョが「 穂仁王
」から来ていると知ったときは
子供心にかなりの衝撃が走った
どこかユ−モラスな愛称のような響きが
突然 いかめしい仁王像に激変したのだから無理もない
ホンニョ・・・
東北
殊に 我が郷土宮城県北や岩手県南では
このやりかたで稲を干す
田んぼに 長い杭を人力で突き刺し
「 キ
」の字状に 短い横木をくくりつけ
そこに 刈り取った稲の束を順次積み重ねて行くのであるが
できあがった全体像は
確かに がっしりとした大男のようにも見える
ホンニョ・・・
それが「 穂仁王
」であることを知った暮れ方
立ち並ぶ無数のホンニョが
夕景の中 黒い仁王の一群と化した
今年もまた その穂仁王が並びゆく季節となり
安堵と郷愁が錯綜する中
今度は背後で ほんとの仁王が私を睨む
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ヨイヤマ くた
秋の連休の最終日に
剣神社のほうらい祭りがある
小さな町のことで
老若男女こぞっての縁日というところだ
小学校低学年の女の子がボールを投げ
オッチャンが外れたボールを「当たり」に押し込んだ
女の子は半分怖がりながらも
自分よりも大きなピンクパンサーを受け取り
見上げた母親に
「あれがオッチャンの手口なんやで」
と言い放たれた
四つの息子が足を止める店は
ゴムボール釣りで
けなげにも「これ したい」とはまだ言えない
黙ってついてくれば
何かはやらせてくれるものだと思っている
お父さんだって空気鉄砲打ちたい
クーガのお面にしとこか
それと 焼きとうもろこし
田舎町の縁日には
思春期の女の子達が
目一杯のオシャレをしてやってくる
僕の田舎でもそうだったが
神社や出店には不釣り合いな彩りで
リンゴ飴と空気人形を持って
短い参道をいったりきたり
もちろん その中に初恋の君なんかを
映し出しているのだが
側を歩いてる妻よ
君と出逢うずっと前のことだ
知らない町に来てもう五年
ここで生まれた二人の子供には
ここがふるさとになってしまった
家に帰る途中の抱っこで
二人とも眠りに入った
こちらもふるさとの縁日を期待して
ふとんに入ったのだが
いつものように夢を見ることはなかった
休み明けには仕事の溜まった街へ
雑踏の中から聞こえてくる
ヨイトコーラセーノ
ヨーイヤマー
振りかえると消えてゆく
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作者のHP http://www.hamq.jp/i.cfm?i=kuta
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時の流れの中で
銀色
時の流れの中で、
僕が小さかったころの面影は
どこかに追いやられてしまいました。
けれどまだ、僕の周りを
すり抜けて行く残像が
僕に「帰ろう」と言っています。
ここで立ち止まれば帰れるのかもしれません。
でも僕たちは前に進むことしか、出来ない。
時間というものは、時の間の存在するもの。
狭間にいる一つ一つの僕たちは
、
いつでも沢山の世界の僕を見つめて、
囁きあって暮している。
「帰ろうよ」
そんな声が何処からとも無く聞こえてきて、
僕は懐かしくてたまりません。
未来へと続くこの路は、
まるで硝子のように脆く美しい。
踏み外せば僕の体は時間という欠片で
ずたずたに引き裂かれてしまいます。
僕は未来を見る力も、
未来に飛ぶ翼もないけれど、
着実に歩いている。
僕が暮したこの街は、
刻々と姿を変えて
生活を変えて
存在しています。
存在というものはあやふやで
とても寂しいことだけど、
ここに居るという記憶をもとに、
僕はまだ
未来への路を
たどっています。
時間という大きな流れの中で
僕はあっぷあっぷしながら
おぼれないように
泳いでいます。
作者のHP http://www.rinku.zaq.ne.jp/bkacc704/
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秋 晴 れ nonya
胸のいちばん奥に
隠し持った優しさと
同じ色をしている空
描きかけた風の行方を
そのまま空に残して
居眠りをしている雲
澄みきった葉擦れの囁きに
柿の実は頬を染めて
うっとりと枝にもたれかかる
古い日記の一頁で折った
紙飛行機が金木犀の香りにのって
心のきざはしに不時着する
新しい靴紐を不器用に
浮かれ気分に通しながら
あてどなく問いかける
今日はどこへ行こうか
光を頬張り過ぎた空は
何も答えずに
満面の笑みを
地上にふりまくだけ
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2000.10.16
作者のHP http://www.interq.or.jp/rock/nonya/
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秋 晴
榎本 初
大漁のいわし雲に漁夫が胸を躍らせるという
のは本当のことであって男たちは勇んで海へ
漕ぎ出していきそれは漁りであってもいいが
漁りというのが群れた魚を追って尽きるの
ならば労働に過ぎなくて胸を躍らせるなど
なくて漁りというのは実は海から空へ翔ける
ことでありいわしと戯れて雲を追いかけて
帰る道すがら雲が一つの空すら持っていない
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作者のHPアドレス http://www1.gateway.ne.jp/~well/
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空 よ
加藤
馬鹿な事をしていた
屑を貯めこんでいた
これが大切な物だなんて
雲の裂け目に見惚れた隙に
風がさらった願い事
お前の絶望は幻だ
想像上の他人が作ったモノだ
人間の根性に慣れすぎたんだ
誰かと誰かの間に沈殿している
普段には見向きもしないのに
人前では磨きたてて見せる
実は眩暈と肩凝りの原因であった
それは御立派な屑どもだ
とっても良い眼差しをしてる
感動できないとダダをこねて
座りこんでいる泣き虫じゃない
心が大きな両手になって
空を掴もうとしているんだ
屑でできた背骨はいらない
空を仰いで仰いで
光を掴んで立ち上がってやる
作者のHP http://www.f4.dion.ne.jp/~hermit/
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2001年 Photo&Poem特集 (詩の提供をご快諾下さったみなさん ありがとうございました。)
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