軽くビール行きませんかの私の誘いに、月刊 『Weeks 』特集ページの色校を手にしながらの、堀内さんのご返事でした。秋の夕方に近い午後、私がウィークスの編集部に寄った時、たまたま編集部員は誰も居なく、堀内さんが一人で、机の上の色校を立ったまま目をとうしていらしたので声を掛けたのでした。  そしてこの時が、堀内さんと私との最後の会話になってしまいました。何か他の事もしばらく話したと思うのですが、ほとんど記憶になく、その時は意味がわからなかった「のどがねー」だけをハッキリ思い出します。
 1986年、NHK出版が本格的なマガジンを出すにあたって、白羽の矢を立てたのが堀内さんでした。堀内さんがアートディレクションをした、放送とのメディアミックス・ムック『ルーブル美術館』全7巻が爆発的に売れ、その実力の確かさと人柄にひかれた当時の熊谷部長が、頼みこんだと聞いています。男性雑誌が欲しいと、いろいろ模索していたNHK 出版。そこで、ルーブルを終えた堀内さんに新雑誌のデザインをお願いしたのですが、編集のコンセプトづくりにも深く関わり、なんと『Weeks』というネーミングも掘内さん自身のものになったのです。そして堀内さんは「イメージ・ディレクター」と言う、今までの日本の雑誌作りにはなかった新しいポジションを作りました。きっと今までにない新しい雑誌作りが出来る、したいという思いが強くあったのでしょう。が、「雑誌は偉いんだよ」をよく口にしていた堀内さんにとって、最後の雑誌作りになってしまい、後を新谷さんが引き継ぎました。
 新谷さんの手を離れた堀内さんの雑誌『Weeks』を1987年10月号〜1991年3月号の休刊まで、村松仁美さんらと作りつづけられた事を大変誇りに思います。

昭和46年頃、私がアド・センターに勤務中、堀内さんが何かの用でアド・センターに来られた時、当時の上司でアート・ディレクターの追分幹雄さん(故人)に1階の階段の横で紹介されたのが最初ですね。(当時堀内さんはアド・センター役員の一人で、『アンアン』のアート・ディレクターとしてマガジンハウスに出向していた)
[『堀内さん』より]
(山崎信成)